信州

根子岳(ねこだけ)

2005年10月、義姉の沓掛宿の別荘を拠点にして横川茶屋本陣か ら友人のカントリーハウスがある茂田井(もたい)宿を経由して和田峠まで旧中山 道を歩こうと決めていた。

長い梅雨も明けた2006年8月沓掛宿の別荘に家族を伴って出向いた。しかし76才の義姉を伴って横川茶屋本陣から碓井峠を越えて沓掛宿に向けて高度差 700mを登るのは気温が高く、エスケープルートも無く、無理と判断。代わりに標高が高く、気温の低い根子岳(2,207m)に登れるところまで登ること に方針を変えた。根子岳は火山である四阿山(あずまやさん)の 火口にあるピークの一つである。菅平は草原で森林が深い日本では貴重な開けた風景が楽しめるためである。

というわけで、沓掛宿の別荘での第1日は軽井沢町植物園の散策、第2日は根子岳登山、第3-4日は旧中山道を沓掛宿から和田宿まで単独で43kmを歩く、 第5日は帰宅移動日ということにした。


第1日 軽井沢町植物園

8月1日(火)、軽井沢町植物園は軽井沢に自生する野草を集めたもので、野趣があってなかなか楽しめた。ミセスグリーン ウッドが山中湖の友人の別荘でフシグロをスケッチしている。しかし本物を見るのは初めて。茎から枝が分かれる部分が黒ずんでみえるから、その名がついたと いう。

軽井沢のフシグロ

フシグロのスケッチ

昔は軽井沢の塩沢湖は誰でも立ち入れる場所だった。最近は囲い込んで周辺に観光施設を作り、軽井沢タリアセンという有料施設になってしまった。(Theme Park Serial No.227)子供向けの施設なので敬遠して入らず、駐車場近くの有島武郎別荘「浄月庵」でティー・ブレーク。

義姉が南軽井沢コンチネンタルホテル(Hotel Serial No.206) で夕食をとりたいというので探して訪問したが、会員のみの利用ということであった。浅間山登山のとき利用したホテルであった。代りに南大 門で韓国宮廷料理を賞味する。(Restaurant Serial No.285


第2日 根子岳登山

本日のルートは峰の原”登山口から根子岳中腹の避難小屋付近往復。総距離3.97km、累積登り242m、累積下り 243m。

8月2日(水)、6:00起床、7:00沓掛をジープ・ラングラーで出発し、8:30”峰の原”登山口に到着。大笹街道 の”土手道”を通って菅平グリーンゴルフ場と牧場の間の登山道 入口に至る。

大笹街道は須坂と沓掛を結ぶ北国街道の脇往還でこの街道の最大の難所は”峰の原”だった。積雪は少ないが、粉雪が風で吹 き寄せられて旅人はしばしば道を見失い遭難した。幕末頃、この道を利用する付近の村々が共同して高さ1-1.5mの盛土の道を建設したのだという。これが 今でも残っ いいるのだ。

入山料の集金人は不在であった。 登山道と牧場は針金製のフェンスがあるだけで牧場も根子岳もよく見える。登山道と菅平グリーンゴルフ場の間は樹林帯が設けられていてゴルフ場は見えないが 時々芝刈り機の音が聞こえる。子牛がフェンスを越えて登山道に迷い込んでいる。標高1,400から1,880mまで登ったが、草原には木陰がなく、強い陽 射しに焼かれた。

牧場越しに根子岳を望む

牧場には乳牛と食肉牛が放牧されていた。朝8:00頃は牧場の向こうに雲ひとつない根子岳が望める。牧場とゴルフ場は緩 傾斜で、それらが終わるあたりから勾配が少し増すがたいしたことはない。若き頃、このあたりで友人Nと二人で山スキーに出かけたが雪が少なく、帰路ブッ シュに突っ込んで足首を捻挫したことがある。この牧場の上を下のダボスに向けて滑ったのかどうか。零下の気温で弁当が凍って食べられなかったことも新鮮な 驚きであった。

根子岳中腹より牧場(中央)と菅平グリーンゴルフ場(右端)を見下ろす

根子岳中腹の避難小屋付近まで登ったところで義姉がこれが限度という。雲も湧き上がって山頂を隠す。用意したオムスビを 食べて下山。路傍にはエーデルワイスが沢山咲き誇っていた。大学駅伝の選手の卵達が登山路を駆け上がってゆく。

根子岳中腹の避難小屋

もしそのまま登り続け、子根子岳北肩(1,992m)まで登っていれば根子岳、四阿山、浦倉山が造る勇壮な爆裂口が見え たであろう。そしてその噴火底に降る雨は落差80mの米子瀑布となって北側から米子川に降り注いでいるはずである。小学生低学年のころ、父に連れられて滝 壺にある米子不動尊に立ち寄り、ゴマを焚く祈祷と、瀑布に打たれる修行を見た記憶が鮮烈によみがえる。

米子の瀑布脇にはかって2,000人以上の人が働き、小学校もあったという国内屈指の硫黄生産量を誇った米子鉱山跡があるという。昭和のはじめまで隆盛を 誇った製糸業衰退のあと、硫安の原料となる硫黄生産は須坂市の経済を支えた重要な産業のひとつであった。その硫黄生産は石油精製の副産品として硫黄が多量 に得られるようになって閉山されたの だ。今では須坂の産業は電子産業へと移行しているという。

真田の庄を抜け、東御町のヴィラデストガーデンファームアンドワイナリーに向かう。(Restaurant Serial No.286)作家兼画家の玉村豊男氏が経営するワイナリーだ。ここで午後のお茶とシャレ込む。

ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー

ワイナリーはフランス式のブドウ畑に囲まれた傾斜地にある。玉村豊男氏は冬季は著作と絵画に打ち込み、その印税でブドウ畑をつくり、ついに自家製ワインを 創るまでになった。夏季だけ営業するワイナリーの中に併設されたレストランではブドウ畑と発酵設備一式を見下ろしながら食事がとれるようになっている。受 付はTVで見かけた玉村豊男氏 自ら担当している。

レストランの席が空くまでの間、玉村豊男氏が旅で描いた風景画付きエッセイ本と収穫物の絵と文それぞれ1冊、地元農家産のりんごから作ったシードル2本、 シャルドネからつくったワインを発酵中の果皮や種子といっしょに蒸留したウーバ1本を購入。ウーバはブランデーとグラッパの特徴を兼ね備えた飲み口の良い 蒸留酒とのこと。

ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリーの庭

沓掛の別荘に帰り、シャワーを浴びて、昼寝。夜は離山の北側を通って、ホテル「鹿島ノ森」経由、旧軽井沢 ロータリーまで出かけ、料理研究家山本麗子 女史の経営するレストラン&カフェローザでフランス料理に舌鼓を打つ。(Restaurant Serial No.287


第3-4日 中山道

8月3-4日(木ー金)、 旧中山道を沓掛から和田宿まで単独で43km を歩いた。

August 13, 2006

Rev. November 24, 2017


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