サウザンド・ナイツ号クルーとして

2004年

2004年5月25日(火曜日)、晴れ、南東の風、3m/sec。E氏がオーナー・スキッパーのS号(1998年製ヤマハ・マイレディー25)にご招待を受け、夫婦で熱海市長浜の氏のホームポートから初島までセーリングした。高気圧に覆われて殆ど風がないため、ジブセールだけを使った機帆走とした。エクシーブの初島フィッシャリーナでイタリアンの昼食をとり、帰路につく。(Marina Serial No.169)ちょうど午後2.50の引き潮時にあたり、1時間程、汐待をして帰港した。東京湾に比べマリーナの不便さはあってもやはり相模湾から見る伊豆の山は美しく、セーリングが楽しめる。

帰路、慎太郎・裕次郎などヨット乗りの溜まり場として有名な江ノ島モノレール駅下の「すし政」(Restaurant Serial No.235) で夕食をとり、車を置いてタクシーで帰る。「すし政」さすがヨットマンの溜まり場だけあって、「Maupti」の共同オーナーの一人、藤沢名店街の二代目社長、Y氏(通称ヒーチャン)やUK・セールメーカーズのI社長に紹介されることになった。「すし政」のオヤジ(通称アニキ)は慎太郎以下のコンテッサ乗組員が客となればノレンを降ろしてしまったと舵誌で読んだことがある。息子(通称ワカダンナ)は映画シナリオ翻訳家でAC Create社長のK氏の持ち舟、Luna II世号のクルーをしている。

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初島へ向けて

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初島フィッシャリーナ

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熱海市長浜のホームポート

2004年 8月14日(土)、晴れ、南西の風、3m/sec。E氏が湘南港に置いてあるシードのディンギーで七里 ヶ浜沖のセーリングを楽しむ。 E氏はオリンピック終了時にここの権利を取得した人からゆづり受けたという。

久しぶりの七里ヶ浜沖のセーリングは快適であった。七里ヶ浜2丁目の住宅地が展開する丘の南斜面は緑に覆われて目に心地よい。岸沿いではカヌー競技が開催されていた。通常は葉山御用邸沖に停泊しているコーストガードの巨船がなぜか、前夜から七里ガ浜沖に停泊している。

セーリングの個人指導を受けている人が転覆からの回復の練習をしている。180度の完チン状態からの復元は相当の体力を消耗する。一度もセーリング教室に通ったこともないが、実践では何回も転覆を経験して生還している。アラビア湾の島で舵が折れて漂流したこともなつかしく思い出した。

昼食は小田急セーリングクラブで摂る。湘南港の名物船、ドクロマークの海賊船が機走している。上部構造が大きすぎて、帆を展開できない ため、機走しかできない。ほとんどの時間をハーバー内で波にゆられて時を過ごしている。その上で裸で読書しているオーナーは東大の先生とか。

江ノ島名物の海賊船

家でシャワーを浴びて、昼寝。夜はE邸の庭でさつま焼酎をあおって反省会。

2004年 9月12日(日)、晴れ、無風。E氏の熱海市長浜から初島まで氏のS号で機走。船底塗装とエンジン整備のため、S号は初島フィッシャリーナに置いてフェリーで帰る。

2004年 10月1日(金)、晴、東南の風、4m/secで安定。台風21号一過の晴天であったが、ロカ号はフローティング・ボートショー展示のため、3日まで貸し出し中だ。家で悶々としていたら町内の久保野氏から江ノ島の湘南港に置いてある氏と東谷氏共有のディンギーでセーリングしようとお声がかかった。週末は混雑するマリーナも閑散としていて、デイク−ザーが紺碧の海に2隻程浮かんでいるだけだ。まことに贅沢な空間である。9月23日に再発させた腰痛もようやく治まったので、用心しつつ船を水に浮かべる。心地よい風を受けて七里 ヶ浜の瀟洒な住宅地を海側からながめながら、鎌倉の由比ガ浜沖までタックなしでセーリング。シルエットになっている富士山を見ながら帰還。至福の時を過ごした。氏のディアマンテでとって返し、十八夜の月の下、裕次郎や慎太郎の話を聞きながら、夜の1時まで深酒をする。

2004年 10月11日(月)台風22号はベイサイドマリーナの少し南を通過し、近くの駐車場のCOOPのデリバリートラック20台を横倒しにして去った。久保野氏所有のシエラザードはたまたま初島エクシーブの水に浮いていたため、大きな被害は受けなかったが、陸置のボート類は全て横倒し、ひどいのは防波堤の上まで舞い上がったそうである。エクシーブのホテルは10ミリ厚の大型ガラスが かなり破損し、ホテルは閉鎖、電力なし、電話不通とのこと。松林もかなりのダメージとか。

熱海市長浜の氏のホームポートの方は浮桟橋が流れ、港の中を団子になって浮遊。そのうちの1隻は港外に流出し、テトラポットに乗り上げてしまったとのこと。S号はたまたま初島フィッシャリーナにメンテナンス依頼し、かつ台風直前のクレーン故障のため、陸置きしなかったため助かったことになる。

2004年 11月16日(火)、晴、東北の風、3m/sec。オーナーがみうら宮川フィッシャリーナに応募したらくじ引きで当たったという。まちがいなく熱海市長浜より条件がよいので、せっかくの権利を行使したいという。2日間セーリング日和が継続するとのことで、急遽、初島から江ノ島へのシエラザードの回航をオーナーと2人で行うことに決定。

熱海からの最終フェリーに間に合うように電車で出発。オーナーのつてでエクシーブ・ 初島クラブを確保。(Hotel Serial No.297)ホテルの外観はアパートのようにそっけないが、さすがエリツィンの接待に起用されただけあって使用材質には金がかかっている。バブルの遺産だろう。これに貸し込んだ銀行は破綻したわけである。台風22号は東側の窓に大きな損害を与え、西側の回転ドアも持ち去ったということであった。明日の朝は6時チェックアウト、7時出航のため 、朝食と昼食のためパンや飲み物を買う。展望風呂に入るが夜のため、対岸の伊東の夜景が見えるだけだ。予約が急であったため、夕食は日本食のフルコースとなった。(Restaurant Serial No.253)ワインのおかげで10時には寝てしまう。

2004年 11月17日(水)、晴、東北の風、4-5m/sec。 オーナーは朝4:00に眼が覚めてしまったらしい。クルーは5:00起床。簡単にコーヒーとドーナツの朝食をすませ、予定通り、6:00時チェックアウト。フィッシャリーナへ下る松並木の中で台風で倒れた直径60cmの松の切り株が残ってい るのが見えた。

フェアリングジブのセットアップに時間がかかって、出航可能となったのは7:30であった。やっと出航したものの港の出口でディーゼルエンジンの出力が急に低下し、停止してしまう。もしや燃料タンクが空かと予備タンクから注入するが、すぐあふれて満タンとわかる。幸い風も波もなく、そのうちに何とかエンジンがかかる。バースに取って返す。スロットルを上げてもエンジンの出力は上がらない。どうも燃料フィルター交換後の空気抜きが不充分ではないかと判断し、朝一番の7:20着フェリーで出勤してくるメカニックを待つことにする。暇をもてあましてフィッシャリーナ内を見物。豪華なオーナーズルームなどあるが、使われているのだろうか?

初島フィッシャリーナのオーナーズルーム

チーフメカニック、ながさわさんの診断も空気抜き不足とのことである。空気抜きはエンジンを回しながら燃料ポンプからノズルに至るチューブ接続ナットをスパナで緩めて少量の燃料とともに空気を抜くという作業である。噴出する高圧の燃料油で指を切らないように注意深くモップをあてがう。単気筒エンジンのため、あまり緩めるとシリンダーに燃料が噴射されなくなるのでエンストしない程度に何回もこの操作を行う。試運転での確認が不充分であったと反省しきりである。再出航の準備が整ったのは8:30。遅れた1時間半を取り戻すべく、ボートによる曳航を依頼する。

8:35港外でロープを曳航ボートに投げ、曳航開始。真鶴岬まで曳航してもらうつもりである。方位は大磯の高麗山(こまやま168m)に向かって磁針30度。向い風で結構波があり、ウサギが飛ぶ状態である。牽引ボートは波にあおられて結構大変そう。115馬力のエンジン搭載のボートがたてる白波はいかにも早そうな気分である。途中ボートマンが向かい風でスピードも出ないので機帆走でタックしながら行ったほうが早いのではと問いかけてくる。帆の出力はともかく、こちらのエンジン1GMY10の出力は318cc、3,400rpmの8ps程度、タックは1.4倍の距離を走らなければならないので曳航の方が時間が節約できると判断、無理を言ってボートのガソリンが底をつき、帰れなくなる恐れが出るまで曳航をお願いする。

ボートによる曳航

10:10ボートのガソリンが帰路分しか無くなったというので曳航を止め、ボートは帰る。ちょうど真鶴岬の延長線上とおぼしき地点である。メインセールとジブを展開し、機帆走に移る。 前方三浦半島の双子山、最高峰の大楠山と武山と思しき形を認める。機帆走でぎりぎり上れる方位は武山(磁針方位80度)方向である。江ノ島はかすみがかかって見えない。

11:40頃になると城ヶ島が見え始めた。今回の回航の最終目的地の「みうら・宮川フィッシャリーナ 」は城ヶ島の島影にある。波もだいぶおさまってきた。千匹以上の小魚の大群が船の周りに飛び跳ねる。スキッパーは喜んでトローリングの仕掛けを投げ込む。この風なら江ノ島より 「みうら・宮川フィッシャリーナ」に早く到着すると判断し、方位を城ヶ島(磁針方位100度)に向ける。 真上りでなくなったため、スピードも上がる。ところがエンジンの出力が再び落ち始めついに停止する。エンジン無しで「みうら・宮川フィッシャリーナ」には入港不可能である。タグボートもないという。 江ノ島の湘南港のハーバーマスター、桑名さんに連絡すると曳航可能とのこと。

12:35今回はじめてのタックをし、江ノ島に向かう。しかし風の向きが悪く、真上がりで大磯の高麗山にしか登れない。しかし次第に風向が変り、茅ヶ崎方向となり、風力も増し、ついに江ノ島にタックなしで入港できた。3:30頃心配した 桑名さんが「心配しましたよ」と沖合いまで出迎えてくれる。この風向の変化は高気圧の中心がゆっくり西から東に抜けるときに期待できると考えていたものだった。期待より遅かったが、間に合った。

相模湾から陸をみると高麗山は目立つ。古代から歴史に名が残っているのは海上交通の目印だったためなのだろうと気がつく。

4:00江ノ島灯台をぎりぎりでかわして片瀬湾に入り、そこで帆を降ろし、タグボートのロープを受けて入港、ルナ号のクルーで「すし政」の若だんながもやいを直してコイルしてくれる。

これでグリーンウッド氏にとって相模湾横断の初航海は完了した。 航海中、佐島沖に5隻位の漁船と江ノ島の近くで漁船2隻と大型ヨット1隻を見かけただけで他の船は一切、見えなかった。

チャートワークによる分析結果は下記のとおりである。

航跡図

レグ 動力源 時間 磁針方位(度) 航海距離(km) 速度(ノット)
1 曳航 8:35-10:10 30 10 3.4
2 機帆走 10:10-11:40 80 12 4.3
3 出力低下した機帆走 11:40-12:35 100 7 4.0
4 風力増した帆走 12:35-16:00 350-40 20 3.0
初江総合 - 7:25 60 49 3.6
5 機帆走(ジブ) 10:00-12:00 150 20 5.4

初島→江ノ島間直線距離44kmであるから総合的には効率の良いコースを選んだことになる。

第1レグの曳航は第2レグの機帆走より遅いようだが、この角度ではタックのため1.4倍の距離を走らねばならない。仮に第2レグの速度4.3ノットであったしても10分節約した勘定になる。風により起こされる波高は風下程高い。風下の第1レグでは機帆走でも3ノットしかでないとすれば56分の節約という計算である。江ノ島入港が16:00の日没以降になる可能性を避けたという意味で曳航は役にたったといえる。

オーナーのNTTドコモの富士通製F505iGPSは岸から18kmの相模湾中央でも通話可能であった。しかし京セラ製auは電波は検出するが、通話できず圏外となる。江ノ島に到着してすら、通話できない。どうも電話機がイカレタらしい。これではROCA号でエンジントラブルの時、救助要請できない。新機種への買い替え時期かもしれない。

2004年11月18日(木)、雨。初島からチーフメカニック出張してきて、1日費やしたが直らず、どうもインジェクションポンプの磨耗のようだという結論となった。湘南港はゲストであるから、長居はできない。 湘南港にある岡本造船が契約している、ヤンマーのメカに19日に修理するように依頼したが、仕事が詰まっていたことと、週末が重なり手付かず。

2004年11月22日(月)、晴、北の風、3m/sec。ようやくヤンマーのメカがきて見てくれる。燃料タンクにスラッジなど溜まっているとのことでフラッシング。フィルターとフエルフィードポンプまではOKとなった という。残りはインジェクションポンプとのこと。ポンプのプランジャーとバーレルの間隙がゴミの磨耗で増せば、インジェクション量は減ることになるのだ。これを交換すればよい。

ところが 肝心のインジェクションポンプの交換部品は鳥浜の横浜ベイサイドマリーナ近くにあるヤンマー東日本の部品倉庫にはなく、尼崎市の本社から取り寄せなくてはならないという。1GMY10はまだ沢山は売れていなく、インジェクションポンプは通常では磨耗するものでもないため、東日本の部品倉庫には置いてないのだそうだ。ROCAの点検に横浜ベイサイドマリーナに出かけたついでに、ヤンマー東日本に立ち寄って部品をハンドキャリーして時間稼ぎしようと目論んだがだめであった。 とりあえず1万7000円のインジェクションポンプ部品を発注したという。

メカニックは持ち帰って分解点検するという。このほかデリバリーバルブの設定圧が低いとインジェクションできなくなるがこれを疑う人は居ないようだ。 明日23日を逃せばまた天気がわるくなりそう。折角マウピティ号の大影氏(通称シャドー)が乗って回航を指導してくれると言ってくれたのにどうなることか。

湘南港にはかって慎太郎/裕次郎の持ち船、コンテッサ号があったが、今はない。ここでの現在のメジャー艇はMaupti号とLuna II 世号であろう。

2004年11月23日(火)、晴、北の風、3m/sec。昼頃、エンジンの修理ができたというので試運転にでかける。注文したインジェクションポンプがまだ到着していないので古いものを点検して使えると踏んだのであろう。港ではM号が船底塗料を塗っている。大影氏らに1時間程の試運転につきあわないか声をかけると来てくれた。ところがエンジンの調子は全く改良されていない。すぐ停まってしまう。大影氏がインジェクションポンプの吸入ポートの空気抜きビスを緩めるとエンジンは元気になるがすぐ同じ現象になる。空気が少しずつ吸い込まれているようだ。 空気が吸い込まれる場所はバキュームになっている系統だ。それはフュエルポンプ吸入系統である。大影氏がストレーナーとフュエルポンプを繋ぐゴム製チューブのポンプ側を良くねじ込んで増し締めすると少し改良される。次にストレーナーとゴム製チューブのつなぎのネジも緩んでいたとのことで増し締めするとエンジンは完全に元気になる。ゴムホースの繋ぎ目が空気を吸い込んでいたようだ。ついに真犯人を突き止めたわけだ。

ヤンマーエンジン1GMY10

このドサクサで空気抜きのベントプラグがねじ切れているのを発見。切れた先をほじくり出して、仮のビスで間に合わす。インジェクションノズル元のネジも緩んでいたとのこと。ビジターバースから空いているマウピティ号のバースに移動中にもエンストを起こすが、大影氏はラダー漕ぎで着桟する。 最近のメカは初島といい江ノ島といい、米国のメカのようにいまいち信頼できない。大影氏はヨットにのりたくて東芝タンガロイの米国支社長を辞めたという経歴の持ち主で、その経験に裏づけられたロジックの冴えはさすがと感服した。

ユーザーが自ら手を汚してチェックしないといけないことを学んだ。夜は功労者の大影氏を含むマウピティ号のクルー、UKセールメーカーズの社長、裕次郎の友人らとノレンを取り込んだ「すし政」で乾杯。 近くに住んでいるK・マリ夫妻やその他のセーラー達もやってきて、常連はそろったようだ。 話題は自然、昨夜放映された慎太郎作の劇映画「兄弟」のことになる。裕次郎の友人からみると兄の見た弟であって友人から見た裕次郎の姿とは少し違うとのことであった。

2004年11月24日(水)、晴、東南の風、4m/sec。「すし政」のワカダンナが宮川フィッシャリーナ回航(第5レグ)に参加。「すし政」のワカダンナは水曜日しか休めない。ところが仕事を持っているオーナーの巨大な持ち船、マウピティ号やルナ号は週末しか港を出ない し、大きすぎてシングルハンドは無理。というわけで週日にハイカイ老人達に1日付き合ってくれたわけだ。3名乗り組みで10:00出航。UKセールメーカーズの伊東さんが見送ってくれた。

ジブセールのみの機走で一路城ヶ島に向かう。ルアーを2本流すが成果はない。途中進路150度でほとんど一直線にすすむ。中間点の佐島マリーナ沖を通過すればかってミラークラス・ディンギーで遊んだ三戸 浜沖合いの亀城礁が見えてくる。これをかわせば三崎港だ。予定より早く12:00に三崎についてしまった。第5レッグの分析のとおり、ジブだけの機帆走で5.4ノット出ていたことになる。ジブをファーリングし、オーナーの作ったシジミの味噌汁とおにぎりの昼食をとりながら機走で三崎港を通過。12:30、風車下の宮川フィッシャリーナに難なく入港。 航路の周りは岩礁がキバうをむいて待ち構えている。もしエンジン不調ならここには入港は不可能と再認識。初島を出航してちょうど1週間目のことである。 疑似餌を2本全コース流したが、成果はゼロ。

宮川フィッシャリーナC72番バースに休むシエラザードとワカダンナ

もやいをとってからあたたかい日差しの中でビールで乾杯。民宿でタクシーをよんでもらい三崎口から京浜急行で久里浜経由横須賀線で日没前に帰宅。

三崎港西側では先日大楠山から見えた巨大クレーンが築港作業をしている。あとでタクシー運転手に聞けば埋め立てしているのだという。そこにみやげ物店などつくりたいらしい。

2004年11月27日(土)、前夜の西南の強風でジブセールがほどけバタついて紫外線防止の青色カバーが取れてしまったという。ジブファーラーのファーリング・ラインとジブシートをはずし、ロープで結わえただけでは、セールは次第にゆるみ、ロープが解けなくても、セールは風を張らんで、ばたついてしまうということのようだ。 グリーンウッド氏が結んだロープは結び目をのこしたままデッキに落ちていたという。ROCAの場合はファーリング・ラインとジブシートは外さず固定してある。さらに念を入れてスピネカーハリヤードも巻きつけてあるので問題は起こしていない。

2004年12月2日(木)、S号のオーナーは湘南港の陸置き空スペース1隻分に応募していて、2日に発表になったが、なんと1/300の難関を潜り抜けて見事当り籤を引い てしまった。幸運は2度来ることもあるのだ。宮川フィッシャリーナに応募した人が100人とすると3万分の1の偶然ということになる。湘南港のクレーン使用料は無料とのことで、ハイカイ老人には負担にならない。というわけで宮川フィッシャリーナは次席の人にゆずり、湘南港に移ることになるだろう。それにしても湘南港のビジターズ・バースを使った艇は不思議と籤運がよくなるというジンクスがあるそうで。今回もそれが証明されたようだ。

2004年12月11日(土)、北東の風、8-9m/sec。ジブシートが修理中のため、機走で城ヶ島一周。宮川フィッシャリーナは崖下にあり、風の影響がないが、沖に出ると強い東北の風が吹いていた。12月4日の風は多量のスプレーを船に浴びせたらしく、スタンションやウォッシュ・ボードは塩で真っ白になっていたので真水でふき取る。12月4日の台風より強い40m/secの南西の風が吹いたときの港の写真を見せてもらったが、防波堤に砕けた大波がスプレーとなって船がみえなくなる程であった。

三崎の来々軒でラーメンの昼食。小さな店だが潅水を使った懐かしい味の麺であった。その後、伊東政信氏が経営する緒磯のヨットマン相手のヨット・パーツ輸入兼コーヒーショップ、IMC Yacht & Restaurant (Cafe, shop Serial No.208)に立ち寄る。オーナー共々ここでヘリー・ハンセンブランドの携帯の防水袋を購入する。 オーナーはかってこの界隈に出没していて伊東氏とは旧知の仲という。ここに立ち寄ったのも、湘南港の陸置用の中古の船台探しを依頼するためであった。

Rev. May 20, 2008


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