塩田平から安曇野への旅

2002年の9月も末、母を連れて塩田平から安曇野に抜ける2泊の旅をした。

第1日

新幹線で長野に降り立ち、車を借りて上越道を上田に向かい上田菅平ICで降りる。上田バイパス経由千曲川を渡り、塩田平に入る。塩田平は信州の鎌倉とも称される。3年前の1999年上山田温泉から蓼科に抜ける時、通過して忘れ得ない土地だ。藤田藤田宣永はこの土地を舞台にして「愛の領分」という小説を書いている。別所温泉の北向観音にちょっと立ち寄る。別所温泉は「七久里の湯」として枕草紙にその名がでてくる古い温泉場だ。

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別所温泉の北向観音

時間も無いので、前山寺(ぜんざんじ)や古安曽(ごあそ)の無言館には立ち寄らず、平井寺トンネルを抜けて丸子から松本に抜ける254号線を急ぐ。鹿教湯温泉(かけゆ)、内村ダムを過ぎる頃、摩周湖にそそぐ幾つもの沢は人の足が踏み込んだ形跡もなく静かにそこにあった。ここはまだ秘境である。やがて三才山(みさやま)トンネルを過ぎれば、谷川は安曇野に向かって流れている。三才山は美ヶ原に連なる峰である。254号線が善光寺西街道とクロスするあたりは記憶がある。やはり3年前の1999年5月に美ヶ原から浅間温泉に出た後、通過したところだ。善光寺西街道に入るつもりが間違って松本トンネルに入る。そのまま進みトンネルを出てからは梓川沿いに北上し、田沢で左折し、梓川変じ犀川となった川を渡り豊科に入る。グリーンウッド氏が4才の時住んだ町だ。この町を突っ切り、安曇野の西側の山際の道を少し北上する。ここから見下ろす安曇野は美しい。鳥川橋で左折して少し登り泉郷プラザホテル安曇野に日没前に到着。(Hotel Serial No.233)

第2日

須砂渡渓谷を車で行けるところまでゆく。途中須砂渡憩いの森で猿の一群に遭遇。小猿が多い。どんどん登ると車を止めてキノコ狩をしている人がいる。舗装も終わり道路の車止めのところに登山者用とおぼしき駐車場がある。まえじまてつお氏の本によればここは三俣駐車場というんだそうである。まえじま氏も1999年8月、猿軍団に遭遇したと書いてあるので途中の須砂渡憩いの森には猿が常時出てくるのだろう。駐車場から蝶ヶ岳や蝶槍が見える。いずれここに車を置き蝶ヶ岳や常念岳に登ろう。

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三俣駐車場から見た蝶ヶ岳と蝶槍

須砂渡渓谷の出口、堀金村鳥川にある大庄屋山口家に立ち寄り三百数十年の歴史を持つ旧家の屋敷を見物する。母屋は木曽の開田村でみた大馬主、山下家と同じ切妻の破風を持つ家屋だ。同じ設計はこの界隈の古い民家にも見られる。この地が天竜川の文化圏に属する証拠である。敷内のどの樹木も巨木で本物の旧家の風情がある。庭のトチの巨木が印象的だ。江戸時代は松本藩主がたびたび逗留したという。1894年(明治27年)8月北アルプスを紹介したウェストンは山口家を宿舎として常念登山を行なった。須砂渡から二ノ沢を登って山頂に立ったそうである。当時村長であった吉人氏の歓待を受けて深く感謝してこの地を去ったという。山口家22代目の肇は日本画家の山口蒼輪である。37才の若さで昭和25年死去した。邸内には院展出品作の外多数展示されている。

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大庄屋山口家

少し南下して三郷村(みさとむら)の室山の山頂にある安曇野みさと温泉のファインビュー室山で安曇野の景色をめでながら昼食。(Restaurant Serial No.193)食後、三郷村の林檎畑の農道を住吉神社に向け走行する。周りは真っ赤な林檎がたわに実り、心休まる風景を楽しむ。

このあとは60年前4才の時一時住んだ豊科町新田を訪れた。町の古老に聞きながら探しだすことができた。借りた離れは取り壊わされていたが、大家が今も住む糸魚川街道に面した築後150年のしっくいで固めた母屋はがんとして建っていた。60年前の記憶にある古風な土間もそのままであった。4才の子に焼酎漬けの梅をくれた奥様も95才でご存命とか。養蚕向けの種を生産販売するための店舗として建てられたものだが、戦後は養蚕も廃れ不要となった離れを貸家にしたのだった。

September 27, 2002

Rev. February 3, 2007


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