読書録

シリアル番号 784

書名

帝都東京・隠された地下網の秘密

著者

秋葉俊

出版社

新潮社

ジャンル

ノンフィクション

発行日

2006/2/1発行
2006/4/25第3刷

購入日

2006/6/12

評価

新潮文庫

5月末にまえじまてつお氏にこの本を奨められた。まえじま氏は成蹊大学法学部のとある先生に勧められたという。

しかし山蛭ガビチョウアジサシなどと戯れていたためなかなか入手できなかった。東京長高会主催の猪瀬直樹氏の講演会を聞きに霞ヶ関ビルに出かけたおり、藤沢の有隣堂で売り切れ、虎ノ門の書店で売り切れ、財務省隣の文教堂でようやく手に入れることができた。すでに 「その2」が出回っていた。

発見の時系列にそって書かれているし、史料となる古地図が小さく読むのは困難。ただ兎に角面白い。地下鉄考古学による政府の秘匿体質の発掘暴露とでもいえるような本だ。

著者は銀座線の回転半径200ヤード、丸の内線と千代田線は国会議事堂駅での交差、丸の内線のトンネル構造と銀座線の構造の酷似、日比谷公園の巨大な築山など証拠物件を次々に指摘する。そしてまだ未使用の支線は闇に葬られたままであるという。

関東大震災後の帝都復興のための道路拡幅を後藤新平が指揮するが同時にその新道路の地下には地下鉄が同時に造られていた。しかし、これは陸軍により秘匿される運命を持っていたというのが、著者の結論である。 内務省都市計画課がその立案をしたという。

手持ちの人文社の1/10,000のミニ東京23区地図を見ても丸の内線と千代田線は国会議事堂駅で交差していない。これは改錨(かいびょう)された国土地理院の地図に従っているわけで、真実ではないようだ。

丸の内地下駐車場を使ったとき、日本初の地下駐車場との看板を見たことを記憶しているが、これは政府の公式見解でその前に国会議事堂周辺はもとよりいたるところに地下駐車場ができていたらしい。

千代田化工建設がまだ赤坂見附にあったころ、労働組合の代表として営団赤坂見附駅に出向き、改札口を新橋側に作ってくれと陳情したことを思い出す。駅長は安全から言ってももう一つ出入り口を確保したいので本社には要望を出しているのだが、2階建てのホームと道路の間は1.7mしか空間がなく、地下2階の下に 一旦下がってから改札口に向かう通路を作るのは利用者にかえって不便となる。2階建てという構造上の制約で苦慮していると言っていたことを思い出す。結局、我々が鶴見に移転したのち、地下駅の上のビルの中に改札口を作って解決したようである。

小田急線の初台付近を地下にせず、高架にしたのはコストのためとかの行政の言い訳は、昭和2年の「大東京街路計画」による地下鉄道網のための地下構造物が存在していて建設の邪魔になっているのではないかという疑惑も読んでいて忽然とわきおこってきた。 「その2」はこういうことに触れているのだろうか?

相模の国の住人にとって東京をバイパスして北関東に抜ける自動車道がないことが大変不便である。東京外環自動車道 または圏央道を完成させれば解決できる。しかし行政は住民反対のため工事着工できないといって工事を凍結していた。私は今から7-8年前、地下自動車道ならシールド工法で簡単に建設できるだろうと考え、本書で戦前の政府に特命で国会議事堂や地下網建設を受注したという大倉組の後身である大成建設のエンジニアに建設会社の方から建設省に提案してみてはどうだろうと問いかけてみたことがある。彼らの反応はまず地下鉄とちがって換気装置の排気塔を何処に建設するかで住民が反対する。それに一建設業者が建設省の計画課に提案するなど、官尊民卑の風土ではタブーであると首をすくめた。

東京外環自動車道または圏央道が完成したところで東海道と中央道の連絡がないと意味が無い。住民の居ない丹沢山塊にトンネルを穿ち東海道と中央道を直結するなら簡単でなないかというと、フランスのある会社が建設省の計画課にこの案を提案して役人のプライドを大いに傷つけて早々に追い返されたという。

小沢設計事務所を経営している一級建築士の小沢にこの本の真偽を聞くと、東京都の地下はかなり秘密の地下網があるという話は先輩から聞いたことがあるよと話してくれた。

ここに書かれていることがもし本当なら、戦前軍部が秘密に地下交通網を軍事機密として扱ったことは理解できるとして、戦後の日本政府が 「寝た子をおこすことない」と戦前に地下鉄網が完成していたことを国民の目から隠し通していることは問題だと思う。愚民政策がまだ継続しているのか?「国家の品格」を書いた藤原正彦はこれでも戦前式のエリート教育をよしとするのだろうか?単なる反動勢力ではないのかしら?

著者のサイト

Rev. October 9, 2007


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