読書録

シリアル番号 664

書名

隠された十字架ー法隆寺論

著者

梅原猛

出版社

新潮社

ジャンル

歴史

発行日

1972/5/20発行
1974/1/10第20刷

購入日

1974/2/1

評価

1974年に夢中で読んだことを忘れていたが、川端俊一郎氏の本で記憶がよみがえりザット読み返す。

柳田・折口学では日本では昔から個人で神になるのはほとんど不幸な死に方をした人であるとする。たとえば菅原道真、崇徳上皇、後醍醐天皇など。梅原 はこの考えから聖徳太子一族父子二代にわたって法隆寺に祭られている意味を紐解いてゆく。出雲大社もおなじような起源であろうと考察。

皇国史観は藤原不比等が指導した「古事記」と「日本書紀」に準拠している。すなわち7世紀に蘇我入鹿が山背大兄皇と一族25名を殺害、藤原鎌足と中大兄皇子が共謀したクーデターで入鹿を殺害したというそれである。こうして蘇我一門は滅亡し 、中大兄皇子は後に天智天皇となり、律令制国家が樹立された。

鎌足の息子、不比等は「古事記」と「日本書紀」を書き、太子を聖化し、太子の子孫の殺害を全て入鹿一人のせいにして巧妙に藤原一門の罪を隠したと推 論している。不比等は日本国家の形を作った隠れた大政治家だったが、自己の事跡のあとかたを隠すことにも天才的だったとしている。

関連文献:法隆寺のものさしー隠された王朝交代の謎検証 白村江の戦い隠された十字架ー法隆寺論平松幸一氏の日本国成立の経緯

日本書記をかかせたのは天武天皇とされている。

Rev. December 10, 2013


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