読書録

シリアル番号 662

書名

検証 白村江の戦い

著者

牛島康充

出版社

近代文芸社

ジャンル

歴史

発行日

1995/8/31第1刷

購入日

2004/11/29

評価

陸軍嘱託ハルピン特務機関勤務、防衛庁事務官の経歴を持つ牛島氏の白村江の研究成果。

川端俊一郎氏の「法隆寺のものさしー隠された王朝交代の謎」を読んで、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)後の天智天皇(てんじてんのう)や白村江(はくすきのえ)九州王朝のツクシのサチヤメに興味を持って鎌倉図書館蔵の本書を読む。

軍事専門家の書いた詳細な戦記である。まず白村江の場所の特定から始まり、軍事的見地から歴史家が陥りやすい解釈を一つ一つ解釈している専門書。

白村江の敗戦で漁夫の利を得て九州政権を大和に移すことに成功し、律令国家の創始者として尊敬された中大兄皇子であったが、牛島氏は戦略的見地から唐の敵である高句麗や百済と提携し、唐の味方である新羅を袖にしながら、唐から文化輸入をはかった、「曖昧に事を済まそうという政策は、曖昧模糊のなかで危機に直面することになる」と中大兄皇子を批判している。

高句麗の内部からの崩壊により新羅は唐すら朝鮮半島から手をひかせ、半島の統一に成功する。このとき新羅王のとった手段は唐軍を壊走させておきながら唐の高宋に謝罪文を送って懐柔するという複雑な手を使っている。


牛島氏は

戦いに勝って謝罪するは賢者の勇
負けて謝罪するは余儀なきこと
負けて言い繕い謝罪せざるは愚者の狂


と言っている。小泉氏の靖国は愚者の狂か?

関連文献:法隆寺のものさしー隠された王朝交代の謎隠された十字架ー法隆寺論平松幸一氏の日本国成立の経緯

Rev. September 18, 2013


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