読書録

シリアル番号 1235

書名

文系の壁

著者

養老孟司

出版社

PHP研究所

ジャンル

文化論

発行日

2015/6/29第1刷

購入日

2015/06/16

評価



PHP新書

大船駅構内書店で衝動買い。

養老氏の本は「唯脳論」、「バカの壁」、「養老孟司アタマとココロの正体」、「脳と魂」、「逆立ち日本論」と5刷読んでいる。内容は、「バカの壁」とほぼ同じ。ということは文系=バカになる。

この本は4名の理系の小説家兼研究者やジャーナリストとの対談記録をまとめたものである。

<小説家兼研究者森博嗣との対談>

「バカの壁」では「話せばわかるなんて大嘘」「人は聞きたいののしか耳に入らない」のはなぜか?を大脳の働きから説き起こしている。本著では「理系は言葉 ではなく、論理で通じ合う」しかし文系は言葉を通じて理解しようとする。たとえば「コマは回っているから倒れない」を理屈だと勘違いする。だから「原発は 安全だ」といわれれればそうかと思う。理系はそれをおかしいと思うが、言葉で説明が下手だから「オタク」とされてチョン。

欧米の文化は「誰がやったのか」の物語を作りやすくできている。言葉にしてからが、主語を省くことはない。これは11-12世紀のカトリックが始めた懺悔 の習慣からきている。なぜ第二次大戦が起こったのかという質問にはナチなかんずくヒトラーが始めたと明確である。日本では御前会議で決めたことになってい るが、空気が決めたことになっていて天皇は責任をとらなかった。これでは9条を取り去ればまたぞろ戦争を始める可能性がある。だから西洋の憲法ではあえて 明記する必要もないことだが新日本国憲法には提唱した人間の責任を明確にする義務を明記する条項を明記する必要があるのだろう。原発事故責任を米国のプラ イスアンダーソン法のように国家の連帯責任とするのも悪しき日本文化の拡散といえるのではないかと読んでいて考えさせられた。

文系が造った悪しき日本の文化に「言い訳するのは見苦しいことだ」というのがある。だがか社長はでてきて説明もなく「申し訳ありません」と頭を下げてチョ ン。理系はミスの原因を解明して再発防止策を考えるが文系はしない。文系は自分に反対する人間の説明する理由を「わからない」といって拒否する。本当は 「わかっているけど賛成できない」と言っているのだ。だから文系は正直ではない。文系官僚の「ご理解いただきたい」は「私のことを受け入れて、文句を言う な」という意味。これに対する意地の悪い回答は「あなたは僕を理解していないでしょう」

<理研研究者藤井直敬との対談>

創造とは脳の中で新しい組み合わせを作ること

<複雑性の研究者鈴木健との対談>

都市に人が集まるのは人間の習性。

二十世紀は国家の時代だったが、二十一世紀は都市の時代。都市は人が自然と集まってできたもの。資源は集約したほうが経済的効率がいいからである。一方、 国家とは細胞の膜と同じ人工的な膜で内外を隔てたものである。細胞は40億年前から膜で囲まれた小自由度(核)が大自由度(細胞全体)を制御するしかけで 生き延びてきた。国家は膜を使って政治的な囲い込みの原理で作動する。そのために教育制度を確立して洗脳し無理やり国民という観念を作った人工的なもので ある。そういう意味で国民国家は生命現象といえる。近代ヨーロッパは民衆が王様に抵抗して国家を作った。これを革命という。したがって憲法は王様の権利を 制限することを目的としている。そして革命を起こした市民たちをつなぎとめる概念として自然法とか社会契約論をホッブス、ロック、ルソーらが考案した。一方、明治維新は革命ではなく、下級武士のクーデターで あったのでそのような文化は日本には不要だった。島国のため、海岸線が膜の役割を果たし、自然と国民国家風なまとまりは醸された。今、都市が国家に勝ちつつある。国家が税金をか けると多国籍企業は逃げてしまって国家を維持するのが難しくなりつつある。

リチャード・ドーキンスが「進化を通じてずっと生き残っていたのは遺伝子であって、個体は乗り物にすぎない」といっているのは間違い。生物の基本は細胞で あり、細胞は時間的連続体である。戦前、国家を構成する家制度、天皇制など教育で叩き込まれたが、敗戦で天皇制を除きつぶされた。しかしなにをしようとあ らゆる生物は万世一系であることは忘れてはいけない。人間社会も生物のこの原理から成立している。フォン・ノイマンが始めたセル・オートマトンというコン ピュータシミュレーションで自己複製する何かしらを作れるが、それが生物だとは言えない。

生物的個体差があること。人間の感じる不条理や不合理は脳内現象で国民国家内の社会との折り合いが悪くなる。解決法として代議制議員が獲得した選挙民票数を議決時振り分ける分人民主義や行政を法に基づく自動化する構造的社会契約論を構想している。

<捏造の科学者 STAB細胞事件を書いた毎日新聞須田桃子記者との対談>

基礎研究題目は煮詰まってしまって何もない。そこで巨大プロジェクトに配分される国家予算のおこぼれにどう食いつくかになってしまった。このようにシステムが持つ慣性は生物の進化の過程そのもの。

野依氏が研究者に責任があるといったのは研究者の主体性をみとめているため。これは欧米型。日本では戦争責任は形式上の責任者の天皇以外、だれが開戦しようとしたのかが全く分からない。その場の空気で決まってゆく。

研究は性善説にたち研究者に自由にさせ、結果の責任を取らせるのが欧米型で成果がでる。理研の失敗はそう主張し、社会的な善悪は社会でどうぞと言わなかったこと。二十歳代に欧米で研究者をしていた人間は日本社会では成果を出す前に回りと衝突してつぶされる。

嘘学を始めたい。ネオコンはWepons of Mass Destructionといってイラク進攻したがこれはWepons of Mass Deceptionではないかと米国でいっている人がいた。

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