読書録

シリアル番号 753

書名

脳と魂

著者

養老孟司、玄侑宗久

出版社

筑摩書房

ジャンル

サイエンス

発行日

2005/1/15第1刷

購入日

2006/3/21

評価

養老孟司氏の本はこれで4冊目だ。なぜか自分で買って読んだのは「バカの壁」だけだ。「唯脳論」 はまえじま氏に勧められ、「養老孟司アタマとココロの正体」 は原卓にもらった。本書は友人S.K.よりもらった。それだけ大勢の人が読んでいるのだろう。

養老孟司氏は対談の名手だ。前向きの発言が心地よいのだろう。話題が広範囲にとんでも、全て脳の仕組みに結びつき一貫性がある。本書も手にとってすぐ読破してしまった。

ダビンチ・コード」が取り上げているホーリー・グレイル(聖杯)は女性原理と同等であり、ローマンカトリックは男性原理に満ちている。洋の東西を問わず、母系社会が父系社会に取って代わられたのは都市化にあったのではないかという養老孟司の見方 は面白い。 たしかに戦争が男系優位にしたという論は単純すぎる。

グールドの「時間の矢、時間の輪」などに言及があり、「利己的遺伝子」を書いたチャキチャキのダーウィニストのリチャード・ドーキンスが「ブラインド・ウォッチメーカー」でジェイ・グールドが「ワンダフルライフ」等で展開した区切り平衡説をコテンパーに論破してたのを懐かしく思い出す。

唯円のたんにしょう(歎異抄)、阿満利麿著「無宗教からの「歎異抄」読解」、司馬遼太郎の「島原・天草の緒道 街道をゆく17」などを読んでいると、浄土真宗はほとんどキリスト教だなと思うが、養老孟司氏も玄侑宗久も同じ考えのようだ。

聖徳太子以降、日本には伝統的に公私の区別はあるが、個の概念が欠落している。明治期に個の概念を作り損ねた故に私と個がごちゃごちゃになっているという指摘も説得力ある。

「 西洋=ギリシアのロジック=キリスト教=客観的」 対 「日本=仏教=相対的=羅生門の世界」 がある。NHKなどマスコミが公平・客観・中立と宣伝することは 実は羅生門の世界にいるのに客観的真の世界にいると錯覚しているにすぎない。一億玉砕、八紘一宇などとは紙一重のあやうさとおいう指摘もうなずける。

東大法学部のボット出が先生もしたことなく、従って人間も知らずして文部省の役人になり、個性重視、創造性重視の教育方針の旗を振る異常さを痛快に批判。養老孟司氏はこれに嫌気がさして東大教授を辞任したという。 集団主義から個人主義に変えたのが間違い、人間が生物である以上、集団なくして個無し。共通の基盤なくして感情、意志、ロジックの疎通なし。創造性といっても他に理解不能のものは精神病にすぎない。共通の基盤をつくるのが教育の役目であろう。

世界で森林率の高い国はノルウェー、インドネシア、日本。その理由は植生に理想的な気候と火山性土壌にある。ほうっておいても自然は復原する。東京の八潮団地が自然復元の例というのも広町緑地の散策や登山で気がついて「森林考」、「続森林考」に書いたとこと一致する。

人間という語はもともと中国では世間という意味だったのが日本ではヒトをさすようになった。世間に入らないヒトを非人といい、外国人を外人というのは世間の外のヒトという意識があるため。死んだヒトも世間の外にいるので靖国に誰が参拝しようが日本の世間は気にしない。ところが中国は「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という国柄なので靖国参拝に黙っているわけには行かないのだ。

さてこの本で養老氏はまだ東大教授だったころ、ハイデルベルク大のグンター・フォン・ヘーゲンス教授が開発した死体の水分を樹脂に置き換えるプラスチネーション技術でつくったプラストミック人体標本を日本に誘致して展示したことを自慢されている。


トップ ページヘ