サンフランシスコ再訪とウィチタ

技監になって、NPRA会議に出席するため、1998年3月15日、サンフランシスコを訪問した。(Hotel Serial No. 85) サンフランシスコは31年前にアラスカ経由初めて訪れた米国本土というなつかしい場所だ。クルーザーの舵を握ったのも、紳士方がクラブでドミノというゲームを昼食時に楽しんでいるのをみたのもここが始めてだ。その後の30年間は、ここはただの通過点であったが、昨年1月久しぶりにここに数日滞在し、記憶を更新した。変わったところもあり、変わらなかったところもある。

気候は世界で最高にすばらしい。今年はからずも、再訪し、さらに数日間滞在した。エルニーニョの影響で雨が多く、地滑りがあったと地元では大騒ぎであったが、日本からみると小雨程度である。さて試験のために持参した発売直後の10倍ズームのビクター製デジカメで撮影した2枚の写真を掲載する。

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芸術家が絵を売るユニオン・スクエア

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チャイナタウンを横断するケーブルカー

NPRA会議後、建設現場の合理化をしようと、浜森を伴い、資材管理用のICタグ調査のため、ウィチタを訪れた。 (Hotel Serial No. 86) ウィチタは初めていったところである。米国のへそといわれるところだが、ど田舎であった。 ここでみた何万匹のホタルの大群は忘れられない。

1998年3月15日

Rev. July 24, 2006


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