最高裁見学

2004年1月6日、才口判事が日本国の司法のトップ15名の判事に選ばれてはや1年チョッと過ぎ た。余裕ができたので会いに来いとのご招待をうけた。それではと2005年4月1日のサクラの季節に同期の山木会の木内、小沢、西沢に娘も加えておじゃました。

戦前は陸軍参謀本部のあった三宅坂の上に国会図書館や国立劇場とならんで御影石の堂々たる構えの建物が建っている。正門から入りたいとの希望をいれてもらった。守衛は笑顔で迎えてくれる。判事の秘書が玄関まで出迎えてくれて4階にある判事室に案内してくれる。一般人は入れない聖域である。廊下の角には守衛が直立不動で立ち、裁判官の姿が見えなくなるまで敬礼の姿勢をくずさない。

秘書官達の居る部屋を通り抜けて裁判官室に入ると、目前の皇居の緑が目に飛び込む。すばらしい景観だ。ガラス窓は二重になっている。専用トイレ付きの御影石の巨大な部屋だ。執務机も巨大。ここで浴びる自然放射能もバカにならないなどの冗談が飛び交う。

ここで話に花が咲いて午後5時の閉館時間真じかになってあわてて、館内見物にでかける。判事自ら案内してくれる。 図書館、記者会見室、小法廷、大法廷、ホールなどを見物する。図書館には旧庁舎の大法廷に掲げられていた堂本印象の三面の「聖徳太子絵伝」が掲げられている。裁判官と一般人は交差しないように動線計画がしてある。記者会見室前で判事を囲んで記念撮影。

記者会見室前で

才口判事は第一小法廷所属だが、テレビカメラが狙う正面の裏側の裁判官控え室でどういうことが行われてから法廷に入るのか裏話を聞く。法廷に被告が入るのは高等裁判所までで、最高裁は検事と弁護士 または代理人弁護士だけが出席するという。被告をさらしものにする江戸幕府直系のお白州を見ないで済んだ。

第一小法廷で

本ビルは岡田新一氏設計で1974年に鹿島建設が150億円で建設したという。今では建設費は何倍もかかるだろう。茨城県稲田産の「稲田みかげ」を沢山つかったので稲田の御影石は枯渇したそうである。そもそも岡田新一氏は鹿島建設の社員であったが、設計コンペで入選したため、鹿島を退職し、独立して設計事務所を開設したのだという。

才口判事が70才で引退するころは裁判員制度が実施されるので大変であるという。欧米の陪審員制度より踏み込んだ、裁判員制度は有罪・無罪判決だけでなく量刑もきめなければならない。日本の裁判は書類審査型で 口頭弁論をする訓練をしてきていない。裁判員に説明する能力が不足しているために問題が生じるだろうと彼は心配している。そもそも法的には日本にも陪審制度はあって、今は停止されているにすぎないという 説明も新鮮だった。そういえばトルストイの復活にはツアーの時代にすでに陪審制度があり、この法廷場面が物語の展開に重要な意味をもってくるのだ。というわけで日本のいままでの司法制度はツアーの時代にすら達していなかったことになる。

日本は永らく行政的事前規制型で来たがアングロサクソン型司法的事後規制型への移行期にあたるとされる。司法的事後処理型になれば裁判官の数も不足してくるはずである。各国裁判官1人当りの人口数をみれば日本は約6万人のところ欧米は1万人である。最高裁判所の判事数が15人というのも少ないのではないかと思った。

職員に迷惑をかけないよう早々にお暇する。

近くにでてきていた山木会メンバーの西川も参加して千鳥が淵の花見としゃれ込むが、今年はソメイヨシノの開花が遅れて、少し華やかさが少ない。それでも英国大使館まわりには早咲きのサクラがちらほら。1999年に宿泊したフェアモント・ホテルは高級マンションに生まれ変わっている。マンションとしては最高の立地だろう。価格も並みではない。その下にある立派なお屋敷は悪名高い社会保険庁長官の官舎だそうだ。一般に皇居周辺には旧軍関連の施設が沢山あり、現在この界隈にある公務員宿舎や医療機関はかっては軍施設であったものが多いそうだ。

花見の後、当日誕生日だった木内の祝いを兼ねて生ビールでのどを潤した九段会館は旧軍人会館であるし、陸軍将校の親睦・研究団体だった偕行社(かいこうしゃ)の建物は靖国神社の大鳥居前にある都市基盤整備公団の所にあったという。偕行社は海軍の水交社と並ぶものである。

April 8, 2005

Rev. December 6, 2007


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