第8章 1970年

ポドビルニアク・サイクルを適用する

オレフィン分離精製プラント

試設計

 

 

ポドビルニアク・サイクル応用技術の共同開発

ポドビルニアク・サイクルを適用するLNGプラントの見積もり作業の後半、フロントエンド設計の私はやることがなくなり、常畠氏の提案により欧米に技術調査に出かけた。調査旅行から帰っても、社内失業してやることがない。もんもんとした日々を送っていた。このようなとき、LNG液化に採用されたポドビルニアク・サイクルをLNG製造以外に適用できないか考えて思いついたのが、オレフィン分離精製プラントに適用することであった。このアイディアをLPG輸入基地プロジェクト以来パートナーとなっていた常畠さんに話すと、ブルネイLNG失注以来、ポドビルニアク・サイクルを学ぶチャンスを失した、丁度よいチャンスなのでエアプロダクツ ・アンド・ケミカル社に共同開発を申し入れようと言い出した。

このころ、ようやく純炭化水素の3次元の状態方程式からモル比で荷重平均する気液平衡計算をするプロセスシミュレータの開発がMIT留学帰りの後崎らを中心にしてはじまったばかりで、まだ成分間の相互作用まで計算に入れるところまでは到達していなかった。それゆえ、まだ多成分冷媒を使うポドビルニアク・サイクルの設計できない。というわけでエアプロダクツ ・アンド・ケミカル社との共同開発は願ってもないことだと合意した。

 

3ヶ月間のアレンタウン滞在

社長、常畠さん、私と善山吉次の4人でアレンタウンに出かけて契約に調印し、3ヶ月の試設計を始めた。

アレンタウンにて

LNGプラントの設計用プロセスシュミレータを開発した人にエチレンとプロピレンの気液平衡計算ができるようにプログラムの改訂を依頼しに出かけておどろいた。その人はなんと王博文博士(ポー・ウェン・ワン)という台湾出身の人で日本語がペラペラである。お父さんは医者で日本統治下の台湾で息子を日本人として育てられたそうである。そのため日本語がまず母国語となった。そもそも博文という名前も伊藤博文からもらったのだそうだ。ところが父親の思惑とは関係無しに日本が負けてしまって蒋介石が台湾統治することになり 、あわてて家庭教師をやとって、中国語を勉強したのだという。学生時代に台湾で政治活動して蒋経国政権を批判してしまったのでもう台湾には帰えれないとのことであった。

彼が作成したプログラムは状態方程式としてヴィリヤル式をつかっている。これからライス大学のリキ・コバヤシの気液平衡実験値を調べてバイナリ・インタラクション係数を求めてからプログラムを改訂してあげようと約束してくれた。数日で作業が終わったので 稼動中のプラントの設計値を比較すると一致しているのを確認した。それから逐次段の蒸留計算プログラムでこれも稼動中のオレフィン・プラントの理論段を計算し、実段数と比較して 総括搭効率を求めると限界成分の相対揮発度の大きいものは約60%、エチレン、プロピレン・スプリッター等は80%と出た。化学工学便覧似掲載されているO'Connelの総括搭効率と限界成分の相対揮発度と液粘度の積との相関が教える数値に近いものである。いわばリバースエンジニアリングをしたわけだ。その後、米国の学者達が展開した物質移動速度に基づく点効率やMurphreeの段効率など理論展開は華麗だが実用にはならないものだった。ゲオルグ・ジンメルが「学問とは知るという活動が内容を失い、その形式だけが独立した姿だと見ることができる」と言っているがけだし名言。

ところで逐次段の蒸留計算プログラムが各社で完成したのは1960年代だが、王博文博士の上司でこのプログラム開発の指揮をとった人はまだ電子計算機が使えないころ、搭の理論段数に相当する女性を臨時雇いし、彼女らに手回しの機械式計算機(日本ではタイガー計算機)、各段の気液平衡とエンタルピー計算をする計算手順を記したフォームシートと初期値を与え、ヨーイドンで計算をさせた。計算が終わるとそれそれの段の担当者が下の段から上がってくる蒸気の量・組成・温度と上の段から流れ下る液の量、組成、温度を前後の人からもらい、これを初期値として再計算をする。こうして塔頂製品の量・組成・温度、塔底製品の量・組成・温度、供給段への量・組成・温度の計算結果が一致するまで継続するのである。これを人間コンピュータと称した。電子計算機はこの原理をチップにゆだねただけのものである。今となってはエクセルでも同じことが出来るであろう。この話を王博士が面白おかしく話してくれた。

私も逐次段計算プログラムが開発される前の1966年のころ理論段10段の逐次段計算に挑んだことがある。女性を雇う権限も機械式計算機の台数も不足していたので日曜出勤して一人で朝から晩までこの単調な作業を一人で延々と継続したのだ。夕日が傾く頃それらしい計算結果が得られたが、以後絶対にこの愚はくり返さないと心の中で思ったものだ。

少し脱線してしまったが 次にしたことはエクソンの中央研究所のフローラムパークに出かけて彼らのスチームクラッキング炉の収率をもらい、これを分離プロセスの設計ベースとした。これであとはゆけゆけドンドンとなった。 相棒の”きっかわ”はコンピュータを相手にすると超人的で、私などデバグに時間がかかるのに彼はスッと通してしまう。おかげで作業がはかどった。彼と大学の同期だった菅原教授に聞くと、教授など足元にも及ばぬ秀才だったとのちに聞くことになる。 社長が大学教授達に働きかけて、わが社は有能な学生達の理想的な職場であるとの宣伝が行き届いていたため、全国の大学のトップクラスの学生が集まっていた。

ポドビルニアク・サイクルを分解ガスの冷却に使うのはまったく問題ない。しかしエチレンーエタンスプリッターとかプロピレンープロパンスプリッターのコンデンサーにしろリボイラーにしろ 、凝縮曲線や蒸発曲線がフラットでポドビルニアク・サイクルとは相性が悪い。やむを得ず、蒸留塔の冷却と加熱は多重効用ヒートポンプ方式を採用した。これで総合エネルギー効率は既存プロセスと同等に 出きることはわかったが、互いにヒートインテグレーションしているため、運転はむずかしいことが予想された。

混合冷媒予冷オレフィン分留プロセス

エアプロダクツ・アンド・ケミカル社は英国子会社にいたオレフィンプラント経験者を英国より呼び寄せ、チェックさせた。かれからは予想通りのコメントをいただいた。ただ面倒だというだけで全く運転不能とは考えられなかった。成果を持ち帰って積算してみたが、建設費が特に安くなることもなかった。気をとりなおしてM化成に説明に出かけたが、

「もうオレフィンプラントは過剰投資で当分建設は予定されていないよ。ご苦労さん」

というものだった。これでこの開発研究もお蔵入りとなった。ただこの過程で混合冷媒装置の設計に関し、数多くの知見と友人を得た。これが後日実を結ぶ。

特許取得も検討したが、国際特許を維持しても費用がかかるだけでこれを買ってくれる企業がありそうもない。申請せず、論文などで公知のものにする方針となった。論文執筆をなまけていたところ、類似の構想をケロッグ社がオイル・アンド・ガス・ジャーナル社に発表したのをみて、無罪放免となるのを感じた。

 

コールドボックスの設計思想

エアプロダクツ・アンド・ケミカル社の地下の社員食堂でプロセス部長リー・ガーマー氏とザワークラウトを摂りながら、色々興味深い話をうかがった。

彼が子供のころ、父親がキャベツを畑に掘った穴に入れて土をかぶせキャベツを乳酸発酵させて、冬季間これを掘り起こし、ソーセージを放り込んでザワークラウトとして食するのがペンシルバニアの普通の農家の生活様式だったという。

話はアーミッシ(ペンシルバニア・ダッチ)におよび、最も厳格な新教徒である彼らは文明の利器や電力まで否定する生活を大切と思っている。いまでも馬車とランプの生活をしているのだが、冷蔵庫だけは必需品と認定してガス燃焼式の冷蔵庫を使っていると笑う。

エアプロダクツ・アンド・ケミカル社の創立者はユダヤ系で製鉄会社にボンベ詰めの酸素を売っていたのだが製鉄所の隣に空気分離装置を作り、パイプで酸素を供給するビジネスモデルを発案して大成功をした会社を大きくしたのだという。

空気分離装置は空気を深冷液化するため熱交換器は無論、蒸留塔も配管も全てコンパクトに箱につめ、保冷用のロックウールを隙間につめている。発泡パーライト粒子はマイクロリークがあった時、エロージョンでリークが拡大するリスクがあるので使わないことにしているという。熱交換器には当初細いチューブをマンドレルに巻きつけて作るハンプソン式を使っていたが今では多数のアルミ板を溶着という工法で一体化して作るマトリックス熱交換器を使う。この溶着技法はちょうどマイクロプロセッサーをエッチングと多層蒸着で製造する方法と相似があって、多様な回路を生み出せる。

彼の夢はエッチングと溶着という工法でアルミのボックスのなかに化学工場を作りこむことだという。当時私も同じような夢を描いていたので、同じ環境におかれると同じ発想をするものだと多いに意気投合したものだ。残念ながらまだこの夢は実現していない。化学エッチングがエネルギー消費型で機械加工に適わないし、プロセス流体が不純物を含み、汚れの問題、コントロール弁をどう作りこむかなどの難しい問題がひかえているためである。

ところでエアプロダクツ・アンド・ケミカル社はLNG液化器は流体圧力が60気圧と高く、溶着工法のマトリックス熱交換器は強度不足のためとしてハンプソン式を採用している。これに対し大分後になるがダス島のLNGプラントの増設では善山吉次 が溶着工法のマトリックス熱交換器を採用することを研究し私も積極的に指示し、幸い顧客のBPも採用を決断してくれたので成功裏に実用化できたことを誇りに思っている。

 

時代が生む類似の設計思想

それから数年経たある日、ハイドロカーボンプロセッシング誌にケロッグ社が同じようにポドビルニアク・サイクルを分解ガスの冷却に使うプロセスを発表したが、注目を集めることはなかった。

この開発は潜在的ニーズを発見したものではなく、シーズがあったから始めたものだ。わが社の研究所の連中と同じレベルに落ちてしまっていたのである。だがこの研究開発の最大の成果はエアプロダクツ社内に人脈が築けたことだった。 後のインドネシアLNGプロジェクトのセールスやフロントエンド・エンジニアリングを遂行する上で大変助けてもらうことになる。

 

原発や燃料再処理プラントで発生する放射性ガスの回収研究

米国に滞在中にAPCI社が原発や燃料再処理プラントで発生する放射性ガスを回収保存する委託研究をしていることを聞いた。核分裂反応によって少量のクリプトンや トリチウムなどの放射性同位元素が生成する。これらは化学的に不活性で他の元素と反応して固体ないし液体にもならず、常温では液化しないガスのため、高いベントスタックから大気放散するしかないという。 石油も石炭も焚かない原発が結構高い煙突を持っているのはこのガスを希釈放散させるためのものだったのだ。

委託研究はこれを深冷して分離濃縮して液体にし、魔法瓶に入れて永久保存しようという研究なのだが、コスト的に引き合わず、この研究は中断せざるを得ないことになったという。クリプトン やトリチウムなどは化学的に不活性なので仮に吸い込んでも肺で吸収されずにでてきてしまうし、希釈すれば自然放射能のレベルに下がるのでよしとされるのだそうである。

この話を聞いたとき、日本では全く報道されていなかったので電力業界と政府の情報管理、更にマスコミの不勉強に不快感を持ったものである。

たしかに土壌からはラドンが自然放散されているので地下室は換気をよくしておかないと放射性ガスが蓄積して健康上好ましくないということは欧米では常識のようだ。しかし地下室が普及していない日本人はこの問題に無関心というより、温泉などではラドンという元素は好ましいものとされるので始末がわるい。

名古屋大名誉教授の古川教授は「クリプトン85の半減期は10.756年、トリチウムの半減期は12.32年と短いし、生物濃縮しないからまだしもいいけど、アルファ線を出す元素と炭素14は怖い」と言っている。たしかに炭素14は生命現象の中心的な要素である炭素12と化学的活性は全く同等なので、危険であろう。その故に天然ガス中に自然に存在する炭素14はわざわざ深冷分離して診断薬や治療薬に利用されるのだ。

January 4, 2005

Rev. December 23, 2010

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