アレンタウン

ペンシルバニア州アレンタウンには混合冷媒を使う天然ガスの液化技術にすぐれたAPCI社があり、ここをしばしば 訪れた。

1970年12月には混合冷媒を使うオレフィン分離精製プラント開発のた め、ここに3ヶ月間滞在した。The Hotel Traylor  (International Hotel Serial No.180)という長期滞在型ホテルに宿泊した。

アレンタウンはフィラデルフィアの北方にあり、ベツレヘムスチール発祥の地、ベツレヘムの隣の町である。後にスプ リングティーンの歌で有名になる町であるが、マックトラックという大型トレーラーの製造会社以外これといった工業のない田園都市である。

アレンタウン近傍はペンシルバニア・ダッチまたの名、アーミッシュが多く、屋根のかかった木造橋が多い。ジェー ムズ・ウォラーの「マディソ ン郡の橋」に出てくる橋である。アーミッシュは現代文明を拒否している面白い人達だと 昼食の時などAPCI社の人からよく聞いた。「電化製品は一切使わないが、ガス冷蔵庫だけは使っているよ。肉類が腐っては生活できないからね」と面白がっ ていたが、その信仰は尊重するという態度であった。

後にフィラデルフィアのセントラルステーションでヨーロッパ中世時代の服を着たアーミッシュの家族を見かけた。この風俗は現世を拒否しているようで社会に 異様なイメージを与えていると感じた。彼らも最近では反省してマスコミの前では独特の衣装を着ないことで「異様なイメージ」を持たれないよう工夫している という。

アーミッシュの社会で生じた多量殺人事件で犯罪者を許すとアーミッシュが言っている場面をTVでみたが、キリストの愛の教えを守っている人々だなという感 を強くした。このような態度は被害者にとって精神的な救いになると思う。日本のように被害者が加害者に死刑をと叫んでいるだけでは精神的に救われないだろ う。ただ性悪説にたって罪に厳罰でのぞむ西洋式法治国家の方が、性善説にたつ儒教(朱子学)に立脚する徳川時代から伝統の徳治国家より住み易い社 会だと思う。

プロセス部長のガーマー氏はアーミッシ出身ではないが、近くの農村出身で親父がキャベツを収穫するとすぐ畠に埋めて発酵させ、ザワークラウトを作った話を 社員食堂でザ ワークラウト料理を食べながら話してくれた。

APCI社のオフィスは田園の中にあるため、通勤にはGMのツーシター・スポーツカーのカマロを選んだ。カマロに乗る前は日本では360ccの軽自動車、スバル360に 乗っていた身である。スバルのつもりでアクセルをいっぱい踏み込んだら発進せず、雪道のようにお尻を振っている。バックミラーを見て驚いた。白煙が上がっ ている。アクセルをもどしたら、轟然と発進。ツーシター・スポーツカーといってもV型8気筒の大型エンジンが車体の半分を占めている車である。エンジンパ ワーが簡単にタイヤのグリップ力を越えてしまうのである。

パワーステアリングというのも初体験であった。エンストするとハンドルが極端に重くなるという経験をした。

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カマロと

週末にはニューヨーク、フィラデルフィア、アトランティック・シティーは言うにおよばず、デラウエア・ウォーター ギャップ、ポコノ山系までカマロを飛ばして行った。アトランティック・シティーにでかけて帰途につこうとしてフト、前輪のタイヤに目をやるとゴムがベロッ と剥がれてしまっている。命拾いをしたと今でも思っている。

社員の家に招かれるとよく独立戦争当時の戦場となったデラウエア川沿いの「トレントンの奇襲」の古戦場に行ったことがあるかと目を輝かせて質問された。ボストン・ティー・パーティー以 外、独立戦争の詳細を知らないタメ当惑を覚えたものである。 英国が5,000人のワシントン独立軍平定のためにハウ提督に大艦隊を持ってニューヨーク湾やハドソン川を制圧し、弟のハウ将軍指揮下の25,000人の 大部隊が背走するワシントンを追ってデラウエア川の西岸に追い払ったのである。戦線は硬直状態になったがクリスマスの日にトレントン川を渡河して吹雪のな か駐屯していたヘッセンの傭兵旅団を襲ったのである。ヘッセンの傭兵旅団はたちまち白旗をあげてワシントンの軍門に下り、アメリカは独立にむけて雪ダルマ のように勢いを増すのだ。その時、独立軍兵士が読んだのがトーマス・ペインの「コモン・センス」だという。

その外の週末はゴルフなどをして時を過ごした。18ホール3ドルであった。

ペンシルバニア州の片田舎の町クッツタウン空港でグライダーを楽しんだこともある。顧客1名にグライダーの操縦士 1名、それにこれを牽引する飛行機の操縦士1名という贅沢な遊びである。

自由の女神を見学に訪れたときの写真の背景に2001年9月11日に崩れ落ちたワールドトレードセンターの建設中 の姿が映っていた。ほぼ30年後にその姿が消えるとはおもいもよらなかった。

ここで創業社長の玉置氏の逸話を記しておかねばならないだろう。この共同研究契約調印のために社長は秘書の赤田氏をともなってアレンタウンにやってきた。 いきなり低温技術の技術書をもらったが、すでに読んだものだ。赤田氏はたまたま立ち寄った書店で社長が買ったものだという。ありがたく心だけはいただい た。さて双方のトップ同士の夕食会というときに、社長はほろ酔い機嫌でチンチラ飼育のウンチクを傾けで相手方を煙にまいた。そのうちに機嫌よくコアントロ を5杯注文してその座にいる全員を呆然とさせるに至る。こちらもどうするのかと固唾をのんでいると。給仕からグラスを受け取ると我々若い者に一つずつ配っ たのでホッとしたものである。お開きになって一足先に部屋からでてくると社長が見張ってくれといって口から 総入れ歯をパクッと取り出してハンケチで拭きだした。「入れ歯ではビフテキも食べられない。チンチラとコアントロで時間をもたせなければならいんだよ」と おっしゃる。苦労しているなと思ったものだ。

2001/1/11

Rev. November 12, 2007


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