幼年時代

 

 

ある日、母が家事も一段落して休みかたがた家の前の通りを見ていると赤ん坊が道路上を這って斜め向かいの家から自分の方 に這ってくるのが目に入った。どこの子だろうと目を凝らすと驚くなかれ我が子である。いったいいつの間に家を出てよその家まで這ってでかけたのかとビック リしたそうである。戦時中のそれも真田の庄の未舗装の田舎道だったので自動車も通らず安全ではあったのだ。

人は子ども時代できまる
一日が朝で決まるように

ジョン・ミルトン

長野県庁の近くの町、県町(あがたまち)の貸家に住んでいるころ、あ る日、私が忽然と見えなくなったそうである。もしかしたら幼稚園生について近くの幼稚園にでも行ったのかと訪れてみてもいない。かなりあわてて周辺を探し 回ることになったという。最終的には狭い路地をぬけて川中島バス車庫にゆくとそこの待合室のベンチにチョコンと座っていたという。そこにいた紳士が 「あー、あなたのお子さんですか、ここに突っ立っていたので私がベンチに座らせたのですよ」と言ったそうである。母の顔を見ると「あー」といって両手を出 して抱きついて来たそうである。 以上の逸話は無論、記憶には無く、母から聞いたものだ。

このころの記憶といえば父のレコードをいじっているうちに床の間の床板と畳の隙間にレコードが挟まってとれなくなり、パニックに陥ったことや4才の時一時住んだ豊科町新田で大家さんのうす暗い土間で大家さんの奥さんに焼酎漬けの梅をもらったことなどである。大きな土間あって、その奥の上がり框の戸棚の上にある大きなガラス瓶に梅が漬けてあった。大家さんの稼業はすでに衰退していた養蚕向けの卵を製造し卸す商売だったらしい。

父の転勤で屋代の貸家に住んでいたときは近くの教会が経営する幼稚園に通った。入園直後、先輩の園児が砂場に作った落とし穴に誘導されて落ち、陰謀に加 わった連中にはやされて、裏切られた悔しさに激しく泣き叫んだことを覚えている。保母さんが飛んできて悪童共をしかってくれればくれる程、泣き声が自然と 高くなるのを我れながら不思議と思ったものだ。幼稚園では人形劇してくれ 、工作などをさせてくれるのでとにかく楽しかった。今思えばモンテッソーリ幼稚園のような雰囲気のある所だった。しかしお昼寝の時間だけは眠くもないのに静かに横になっていなくてはならず苦痛だった。

幼稚園から帰ると、お隣の女の子、さっちゃんと遊んだ。しかし殆どの時間は一人、近くの鍛冶屋に毎日でかけて戸口の柱によりかかりながら鍛冶屋が鋼を炭の 中に入れ、フイゴを吹いて加熱し、赤熱した鋼を磨り減ったクワの先にハンマーで叩いて形を調えて鍛造する作業を眺めて飽きなかった。昔は町にかならず1軒 はあったこうした鍛冶屋に鉄製農具の補修をたのみ、再利用していたものだ。戦後、日本では鍛冶屋は消えてしまったが、後年、仕事で中近東やローマなどに旅 した時、繁華街に鍛冶屋を見つけて懐かし く思い出したことを覚えている。

さっちゃんといえば、はじめて世の中には2種類の人間がいるということを気づかせてくれた人である。すなわち初めて異性を意識した相手だ。今頃、どこでど うしているのだろうか。 彼女のお母さんだったと思うが、焼酎漬けの梅をもらって食べているうちに、気分が壮大になって裏の小川のほうに駆け出し、洗濯場に使われている小川にか かっている木道の上を渡りだしたことがある。フラットした途端、空が見えて水の上に仰向けに倒れこんだものだ。挙動に不信をいだいたさっちゃんのお母さん が後をつけてきて助けてくれたので、大事には至らなかった。

屋代に住んでいた頃だとは思うが、母の小島田から多分伯母だと思うが遊びにきて一緒に近くの戸倉温泉に日帰りで出かけた ことがある。帰りのバスが千曲川にかかる大正橋にかかる時、窓から顔をだして橋の欄干が後方に流れる様を見ていたのだが、一陣の風でかぶっていた一張羅の服とそろいの帽子(多分水兵帽)が飛んでし まった。その時の切ない気持ちは大切なものが失われ、もうとりもどせないという悔悟の念で胸が締め付けられた。バスが橋を渡り切った停留場で運転手がなにか外の人を話していたと思ったら、風で飛んだ帽子を通り かかりのおじさんが拾って一生懸命バスを追ってきてくれたと分かった。これが無償の親切心を知った初めてであった。その後東京から戸倉温泉のお母様の実家(みやこ屋)に疎開し、戸倉国民小学校に通学したという山口さんからその時は鉄製の欄干は戦時の鉄供出で無くなっていたそうである。

小学校低学年の頃、父に連れられていったのか、米子不動尊を訪れ、ゴマを焚くところと、瀑布にうたれる修行をみて驚いたことを思い出す。あの高い滝の水は何処から流れてくるのか不思議に思ったが、後年、登山をするようになって四阿山(あずまやさん)と根子岳(ねこだけ)の北面に降る雨水を集めて流れ下るということを知ることになる。

December 20, 2004

Rev. August 14, 2015

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