上対馬の西北部、佐護(さご)平野を流れる佐護川の河口左岸にそびえる天道山(てんどうさん、174m)の南麓に「天神多久頭魂(てんじんたくずたま)神社」は鎮座している。朝から降り続いている小雨のせいだろうか、当社のすぐ川下に佐護湊(みなと)漁港があるが、あたりは閑散として、人の姿は見られない。
『延喜式』神名帳には、対馬上県郡(かみあがたぐん)16座の一つとして『天神(あまの)多久頭多麻命(たくつたまのみこと)神社』とある。また、平安時代に編纂された『三代実録』貞観12年(870)3月5日の条にある「天多久都玉神社」に比定され、従五位上の神階を授けられている。
このような由緒正しい古社であるが、境内に社殿はなく、創建の時期・事情も不詳。神社名の読みもまちまちで「あめのかみ たくずだま」や「あまの たくつたま」などがあり、地元では「テンドウサマ」とよばれている。
対馬の南西端にある下県郡(しもあがたぐん)の厳原町(いづはらまち)豆酘(つつ)にも、古来より「天道信仰」の本拠とされる式内社「多久頭魂(たくずたま)神社」がある。対馬の天道信仰は、北部と南部に大きく分かれる対馬島にあって、豆酘と佐護に対をなして鎮座するの2つの「多久頭魂神社」を中心に発展した。
豆酘と佐護、どちらの多久頭魂神社も「天道山」を神体山に祀った神社とされている。当社は、天道山の雄獄を海岸から拝むための遥拝所とされており、豆酘の天道山(龍良山)の南麓、「恐ろし所(おそろしどころ)」の森の中には、天道信仰の聖地「八丁郭(天道法師塔)」がある。
神社名「タクツタマ」の「タク」は、長(た)く、あるいは丈(た)く、卓(たく)で「高貴な」「卓越した」という意味をもち、「ツ」は助詞、「タマ」は玉、魂、霊であり、「タクツタマ」は「稜威(いつ)高くまします神霊」と解せられ、その神霊こそ天(日)の神・天道法師を表したものとされている。
中世以降の神仏習合の時代、多久頭魂という神名(社名)はなく、佐護の当社は「天道大菩薩」、豆酘は「天道菩薩」と称していた。この信仰形式は近代まで続いており、現在も天道山への入山はタブーとされている。
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対馬独自といわれる天道信仰は、原初的な太陽霊「オテントウサマ」崇拝と穀霊信仰、祖霊信仰を基層とし、それに日光感精(かんせい)神話によって母神(神功皇后)と子神(応神天皇)を祀る八幡信仰が複合し、さらに仏教、道教とも習合したことで、平安時代後期に「天道菩薩」「天道法師」と称する「人神(ひとがみ)が誕生した。
当社の神体山とされる天道山については、貞享3年(1686)撰の『対州神社誌』天道大菩薩の項に
「天道大菩薩 神体無之(これなし) 天道地麦百俵蒔程之山也 村より北に当る 麓まで三町程 雄獄雌獄とて峰二有 〜中略〜 雄獄之頂上に天道菩薩住居被成候由申伝候 此雄獄之山八分之所より 磯石数百有之 東之麓に御手洗川有 此川より十間程南方に潮場と申候て こおりを仕所有 此所より男女共に奉拝候也」とある。
要約すれば、天道山には雄獄と雌獄の2つの峯があり、雄獄の頂上に天道菩薩が住むといわれ、雄獄の8合目辺りに磯石数百によりつくられた神籬(ひもろぎ)があり、古い磐座の跡と推定されている。東の麓は御手洗(みたらい)川が流れ、川の十間ほど南方に潮場(しらいば)とよばれる「こおり(垢離)」があり、ここで禊をして男女ともに拝む。と記されている。
また、『対州神社誌』に記載されている天道法師の「由来譚」には、霊亀2年(716)、元正天皇の病を霊力で癒やし、対馬に戻った天道法師は、豆酘の卒土山(そとやま)に入定した後、「其後、天道は佐護の湊山に出現したとあり、今の天道山これなり」とあり、天道法師が人神となって天道山に蘇ったことが記されている。
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低い石垣に囲まれた当社の境内は、東側と南側の2方向に入り口となる石鳥居があり、社叢林の奥まったところに、ゆるやかな階段状の祭壇がある。その奥に鏡が置かれているが、この鏡は母が日光に感精して身ごもったと伝える天道法師の誕生譚に由来したものだろうか。
また、石鳥居のそばに高さ2mを超える積石塔が2基並んでいる。前回紹介した「木坂・青海(おうみ)のヤクマ」の塔と同様に、天道信仰の祈り、世界観にかかわる造形物と考えられているが、先に挙げた『対州神社誌』にも由来についての記載はなく、この塔がいつからここにあるのかはよく分からない。
対馬の天道信仰のあるところ、いつもこうした石積みの塔を見られるが、それぞれ異なる細部を見ていくと、安易にひとくくりにできないのではと思われる。
海際に立つ木坂・青海のヤクマの塔は、荒波による倒壊を想定したもので、毎年ヤクマ祭りのたびごとに新設されているが、当社の積石塔はより堅牢な、恒久的な造形物として施工されている。
さらに木坂・青海のヤクマと上対馬町の「五根緒(ごねお)の積石塔」は円錐形だが、当社の塔は四角錐の形状をなしている。四角錐の石積みは、「角(隅角部)」があるぶん、円錐形とは施工の難易度も上がるだろう。
郷土史家の永留久恵は、海辺にあるヤクマの塔は、海から来臨する神を迎える門であろうと推察されている。卓見であり大いに共感できるところだ。しかし、当社の積石塔は、社叢林の中にあって海辺から離れているせいか、どこか装飾的な居ずまいが感じられる。木坂・青海のヤクマの塔、五根緒の積石塔と同列に扱うものではない。というのが私の正直な感想である。
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2023年12月24日 撮影
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積み石の頭頂部に置かれた奇妙な形をした石。 角度によっては不気味な顔にも見える。
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