メキシコ世界遺産紀行8日間その2 
メキシコ国立人類学博物館、グアダル−ペ寺院、世界遺産テオティワカン遺跡
 2014年4月30日〜5月7日  クラブツ−リズム

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 5月2日(金):晴れ 

 
7時30分ホテルを出発し、開館前のメキシコ国立人類学博物館へ。15分位待って入場する。ビデオ撮影45ペソ。展示品の盗難があったためリュックのような大きな荷物は預けなければならない。この国立人類学博物館は1865年メキシコ初の博物館として創設され、メキシコ各所の遺跡の発掘による出土品の収納のために現在のチャペルテペックの地に1964年移転し、メキシコ国立人類学博物館として開館された。中庭の東半分はマヤ人の世界観であるセイバの大木(天上界と地上界をつなぐ)を模した世界樹が屋根を支えている。1階はマヤ、メキシコ湾岸、オアハカ、アステカ等の七つの主な部屋に分かれており、添乗員T氏の案内でマヤの部屋を1時間、其の後アステカ等の部屋を見学した。T氏の熱のこもった詳しい解説に一同感服。幸い館内は非常に空いていた。
 マヤの部屋では入口近くにある代表的な古典期後期(BC600年ころ?)のヤシチランの戸口を飾っていた石板について丸は水、放射状の線は噴き出す血液で扁平な頭、寄り目などと、またマヤ文字や数字についても詳しい解説。

 漆喰彫刻の人面像と土偶。アルマジロ、イグアナ、蛇、蛙、亀、鹿、七面鳥、ミミズク、そしてジャガーなど動物コーナー。様々な動物が 皿、壷、呼子等 に表現されている。鮮やかに彩色された陶器。
 腹の上に生贄の心臓を抱え移動するチャックモ−ル、雨神チャック。
 パレンケ遺跡のパカル王の翡翠の仮面と墳墓など。

 3行目1列2列の写真は古典期の代表的な遺跡のパレンケ遺跡の発掘に非常な苦労をしたアルベルト・ロス(1906年〜1979年)が発掘した翡翠の仮面をしたパカル大王(在位 615-683AD)とその地下墳墓の復元です。 マヤ室の一番の目玉です。

 アステカの部屋ではアステカの成立(蛇を咥えた鷲がサボテンの上にとまっている場所を都に。現在のメキシコの国章であり、国旗の中心に描かれている)、現在のメキシコの国旗の模様を表現する石碑など。大地の女神コアトリクエ像、ティソックの石 など。
太陽の石はアステカの部屋の大きな目玉。ガイドT氏の解説。中央に舌を出す太陽神、それを囲みジャガ−、風、火の雨、水 の4つの太陽の世界が繰り返されて来て、現在は太陽の時代で、これらの世界をとり囲むところに地震が見られ、この世界を滅ぼすのではないかと示唆している?

 各部屋の展示物にはスペイン語の解説があルがスペイン語が分からない。 じっくりと見学すると、より一層面白い博物館と思う。
 
マヤの部屋
 アプロ−チ  生命樹
アプロ−チ
 
 コフンリチ遺跡の装飾壁画  カバ−遺跡の雨神チャック  この浮き彫りに詳しい説明を受けた  チャックモ−ル 腹上に生贄の心臓
 パレンケ遺跡の写  復元されたサイ−ル宮殿    
 パレンケのパカル王(615〜683)の翡翠の仮面  パカル王の王墓 実物大の復元  マヤ文明について:断片的に
古代マヤ文明は2000年の永きに亘り40万平方キロに及ぶ地域で栄え、その芸術、科学的創造性は メゾアメリカで最も 注目に値するものであり、高地山岳地帯、熱帯雨林のジャングル、沿岸地域と異なる自然環境の中で多面的な文化を育み、メキシコ南東部、 グアテマラ、ホンジュラス、ベリーズ、エル・サルバドールのマヤの村々では今日に至るまでその独自の言語、信仰、習慣が守り続けられて いる (マヤの部屋のパネル説明)。マヤ遺跡探訪より引用させていただきました。
 エギプト、インダスのような大河流域に文明が起こったのではなく、所規模の灌漑などの農業を中心に都市が散在的に発達し、統一国家の形成を見なかった。さまざまな王国が共存し多様性を保っていた。
 古典期マヤ文明の衰退について神秘的な謎の崩壊とメディアでゃ取り上げられるが青山氏は人口の過剰、間橋の破壊、戦争等が最も重要視されるとされている。
1:鉄器や青銅器などの金属器をもたず高度な石器を多用した。黒曜石など。
2:二十進法を用い、ゼロの発見
3:文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた。数字は、点(・)を1、横棒(−)を5として表現したり、独特な象形文字で表現
4:マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密なマヤ暦を持っていた。
5:牛や馬を飼育しなかった。そのため物資の運搬は常に人力だった

このメキシコ紀行の記事には次の文献を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
1:朝日新聞社 世界の博物館12 メキシコ国立人類学博物館 2011年10月
2:寺崎秀一郎 図説 古代マヤ文明 河出書房新社 1999年5月
3:青山和夫  マヤ文明 密林に栄えた石器文化 岩波新書1364 2012年4月
4:WEB SITE:マヤ遺跡探訪 http://www.infomaya.jp/index.html
アステカの部屋 など
 アステカの都の復元模型  太陽の石  ガイドT氏の講釈  人頭石

 
国旗のいわれ
 
 ケツァル鳥の羽根  大地の女神コアトリクエ
 
 11時10分開館入り口に集合してバス出発。グアダル−ペ寺院に行く。
11時40分 カトリック教会公認の聖母出現譚に一つグアダル−ペ寺院を下車バスは賑やかな場所に停車。多数のカトリック信者が列をなして参拝している。カトリック教会が公認している聖母の出現譚の一つであり、新教会の褐色の聖母マリア画はメキシコを主として中南米で最も敬愛されている宗教的シンボルということである。1531年12月9日先住民ファン・ディエゴの前に褐色の肌の聖母マリアがあらわれ、奇跡が出現。 る。1709年テペヤックの丘から移された旧寺院は地盤沈下のため傾いています。1976年に建てられた新寺院は2万人収容可能な現代建築。訪れた人が等しく参拝できるようにと、褐色の聖母の絵の前は動く歩道になっている。
 グアダル−ペ旧寺院   
グアダル−ペ新寺院
 
      褐色のマリア像
 2万人収容の新寺院
  次にテオティワカン遺跡に向かう。途中車窓より小高い山の上にぎっしりと小さな家屋が山腹一面にびっしりと立ち並ぶ風景が遠くに見られらた。最初は不法占拠だったが、現在 実質的に住宅地にかわっているようで、地域のバス、タクシ−も走っており、屋上に貯水槽や大きなパラボラアンテナを据えた家屋も見られた。

 
12時半にサボテンのお迎えを受けて遺跡に。遺跡は現在の観光に解放されている土地よりももっと広大で住民の家屋や耕作地が点在している。遺跡近くの土産物店による。寄ってらっしゃい、いらっしゃい で、龍舌蘭 から プルケ酒(アルコ−ル5度)、繊維(ミシオテ) 紙、針をつけた糸、石鹸(アロエのそれと同じ)などができる工程を流ちょうな日本語で。次に酒の試飲、そして近医罹・銀色、虹色に反射する黒曜石。プルケとテキ−ラの試飲。最後にお決まりの販売所への案内。遺跡近くのレストランでサボテンのス−プなどのバイキング

 テオティワカン遺跡の観光: 1987年世界遺産
 メキシコシティ北東約50キロの地点にあり 紀元前2世紀から6世紀まで存在した、トルテカ人によるテオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市 遺跡で当時のアメリカ大陸では最大規模のもにである。
 太 陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北 5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点 となり各施設が配置されている。平和な都市と考えられていたが近年の発掘調査の結果か ら、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明し戦士の壁画も発見されて いる 。

 入り口は数か所あり、われわれは月のピラミッドに近い入り口から土産物店の並ぶ前のジャガ−の神殿より見学した。大地を意味する、そして故意に痩せて描かれた赤色のジャガ−がほら貝で雨を呼んでいるとガイドT氏。極彩色の鳥の壁画。南面のほうが北面よりも形が大きい。水洗トイレの跡
 
遺跡の殆どの大きめの石を漆喰で固めてあり、漆喰部分に小石をはめ込んで着色したようである。
 少し小高い丘の上(ケツァルコアトル神殿?)で太陽のピラミッド、月のピラミッド、南北5km程にも達する死者の道のいわれなどについてT氏より説明を受ける。南を向く月のピラミッドでは、支配者による宗教儀式が行われ、た月の広場の周囲には、大きな階段で上る12の建物群。
 月のピラミッドは、4辺150m、高さ47m 建造は、西暦300年頃である。太陽のピラミッドは紀元後100年頃。
其の後約1時間くらい自由時間となり月のピラミッドに登ることに挑戦した。大きく4段に別れ、最初の1段目まで上ることが出来る。45度くらいあるだろうか。しんどかったが、やっと上ると仲間の人から拍手喝采。そこから見る死者の道、太陽のピラミッドの景色は素晴らしい。
 死者の道には多くの露店商人がいて、盛んに物売りに来る。太陽のピラミッドには到底登れないのであきらめた。
午後4時半集合してメキシコシティ空港第2タ−ミナルに。フ−ドコ−トで配布された幕の内弁当を食べ、ス−ツケ−スを預け、セキュリティを受けたのち、AeroMexico AM0647 午後9時55分発でユカタン半島のメリダに向かう。機内食1回。24時過ぎにメリダで専用バスに乗り、ハイアット・リ−ジェンシィ・ホテルに。現地ガイドは60代のガイド経験43年のアルゼンチン生まれの日系2世(?)。 気温は36度を上回るでしょう。湿度も高いですよと。20分ほどでホテルに到着し部屋に。明日の出発は8時30分とのこと。疲れました。13927歩。
 
       
テオティワカン遺跡