おとぎの国ドイツ紀行その4     
 ディンケルスビュ−ル・ミュンヘン・フュッセン・ヴィ−ス
     2013年4月23日〜5月2日  阪急トラピックス
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  4月30日(火)晴れ
ノイシュバンシュタイン城 と ヴィ−ス巡礼教会 の 観光:
 7時に朝食をとった後、ミュンヘン中央駅まで散策する。8時専用バスでホ−エンシュバンガウに(約120km)。
 GALERIA LISLでトイレ休憩を兼ねて、みなさんお買い物。RIMOVAのス−スケ−ス、AIGNERのハンドバッグなど。
 肺癌を手術した同年のT氏とミニバス(2ユ−ロ)で先にブラウン橋に。しかし霧が立ち込めて、まったく城の姿は見えない。止むを得ず、そこからゆっくりと歩いてノイシュバンシュタイン城の城門に。
 下のテラス、上のテラスでうっすらとした城の各景を写真・ビデオに納める。ツア−一行の入場予約の11時50分に入場する。
 およそ40名くらいのひと組になるのか。イヤホンガイドでの見学。ビデオ、写真は不許可。
 説明が終わると、次の部屋に進んでくださいと、流れ行程での見学。およそ25分くらい。ゆっくりした見学はできない。
 フュッセンのホッペン湖のレストランで昼食をとり、世界遺産のヴィ−ス巡礼教会に。
 教会内部は我々日本人から見るとなんとも華やかな装飾で落ち着かない雰囲気。
 帰途、うすぼんやりとノイシュバンシュタイン城の姿が遠方に見え、運転手がバスを路肩に止め、写真タイム。
 夕食(レバ−ケ−ゼ)をミュンヘンのレストランで。店のそばでは中世風の衣装をした人々で小さなお祭りをしていた。

 5月1日(水):晴れ
 10時40分ミュンヘン国際空港に。
  免税品の取り扱い
免税品をス−ツケ−スに入れている場合はス−ツケ−スを航空会社受付では座席の予約のみを行い、ス−ツケ−スは空港内の税関(ZOLL)に預け、RETAXの手続きを。
 その際、店で貰った書類は戻しいてくれない。RETAXの(印を押した)書類をLOBAL OFFICE で 貨幣 に 交換する。
 ミュンヘン空港内では ホ−ルにより 国内フロア と 国外フロアがあり、大変ややこしかった。
 国外フロアのHフロアで小品っを購入したがZOLLでのRETAXは同じだったが,GLOBAL OFFICEに行くと、SHOPへ行けと。SHOPで航空券等をみせ、VISAカ−ドの番号をいい、それへの振り込みになりますとの説明だった。少し、ややこしかった。GALERIA LISLでの購入ではRETAXの申請は必要であるが付加価値税(消費税)は購入時に差し引かれているそうです。
 お買い物をたくさんされる方は、慎重に。
 CA-962 中国国際航空 で 北京に。CA-927 で 関西空港 に 5月2日(木)12時30分に到着。
北京の空はどんよりと灰色で、臭気があり、関空に帰って空の青さの違いにビックリ。
 予約していたMKハイヤ−で帰宅した。翌日より、日常診療に従事した。
   
ブラウン橋 下のテラス ノイシュバンシュタイン城
新展望台より 馬車 ホ−ヘンシュヴァンガウ城

巡礼ヴィ−ス教会
涙を流したキリスト 天井画
                          
 ノイシュバンシュタイン城
 1869年から17年の歳月をかけ建設された城。バイエルン王ル−トヴィッヒ2世の情熱が詰まった夢の城ともいえる。芸術とファンタジ−を愛した王がワ−グナ−の創作する楽劇の世界、中世騎士道の再現を夢見て作り始めたが、当時のバイエルンはプロイセンとの戦争の敗北による多額の賠償を抱えており議会との間に築城の継続について対立。医師グッデンによるパラノイアとの診断のもと、1886年6月王は城にて逮捕されベルグ城に監禁された。1886年6月13日夕方ル−ドヴィッヒ2世は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げた。その夜、王とグッデンの死体が湖に発見された。
 1869年9月5日に建設が開始され1886年には何とか居住ができるようになりこれ以後、王はミュンヘンに戻らずこの城に居住したがその期間はわずか102日。
王の死に伴い城の建設も中止されたが、その後城の内部は一般に公開されるようになり今日では南ドイツ、いやドイツ観光の大きなドル箱になっているのも皮肉なものである。
ヴィ−ス巡礼教会 世界遺産:

 1730年に作られた鞭うたれるキリスト像は悲惨なかたちで修道院の屋根裏に放置されていたが哀れに思った農婦マリアがその像を引き取り祈りを捧げる日々を暮らしていたが1738年6月14日の夕方と翌朝にキリスト像が涙を流しているのを見た。このことが伝わり巡礼者の波が押し寄せた。その地に建てられたのがこの教会で1754年。ロココ様式。
 ツインマンマン兄弟が持てる力を傾けて建設した。プリティと呼ばれる童子や天子がこの教会の装飾全体を軽やかにしているといわれる