おとぎの国ドイツ紀行その1
                                ケルン・ハ−メルン・ハンブルク
                            2013年4月23日〜5月2日  阪急トラピックス
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 平成25年4月23日,いつものように兼ねて予約しておいたMKハイヤ−で関西空港に。5時40分タクシ-の迎えあり。京都市上鳥羽のMK営業所ハイヤ-に合流して関西国際空港に7時35分到着。
 9時30分の中国国際航空CA162(B737-800)で北京に向かう。北京空港で飛行機を降り空港のバスでTRANSITの場所に移動する。飛行機を降りた途端、異様な臭気が漂いあたりはどんよりと視界に乏しい。悪名高いPM2.5であろう。
 多くの日本人はマスクを着用。TRANSITでの検閲はすごく厳しく、またなにか官僚的な態度で異様。日本と北京の時差1時間。
 中国国際航空CA963(A330-300)北京13時20分発でドイツのデュツセルドルフに。日本とドイツの時差7時間、二度の食事が飛行中あり。若い中国人のグル−プが多い。一行は遠慮なしに通路でのおしゃべりで少しやかましい。
 全席の背中に映像パネル。飛行案内や映画(当
然中国語)を選択。007を見る。
 ドイツ時間5時40分デュツセルドルフ国際空港に。グル−プ一行、初めて顔合わせ。26名。添乗員ベテランのAさん。
 現地出迎えのSさんの案内でス−ツケ−スを各自搬送し、空港構内のコンビニで枕銭用の小銭を取得するため少額の水などを購入し、専用バスで約2時間ケルンのホテルメルキュ−ルゼ−ベリンスホフに9時40分到着。
 この時期の通貨レ−トは関西国際空港で米ドル102.44 ユ−ロ134.36であった。
 日本から北京への食事の米飯は美味、しかし北京からドイツへのそれはパサパサ。
 ケルンのホテルは普通クラス。周囲の道路など工事中でス−ツケ−スの搬送は苦労した。

4月24日(水) 晴れ
 
ケルンの観光:Kern
 専用バスで9時出発。ケルン大聖堂に。2001年にケルンに来たが当時は物乞いの人が見られ治安が悪いといわれていたが、そのような風景は無く人々の往来も賑やかで、我々はSさんの案内で大聖堂の周囲を一巡りし大聖堂の外観を見学。
 またケルン駅の近くの橋の欄干の多数の愛の鍵、ロ−マゲルマン博物館の外からの観光、小人の像の見学などをした後、約1時間の予定で大聖堂の中に入り見学を。
 グル−プの一部の人は鐘楼に階段を。
 ステンドグラスは立派で、特にル−ドヴィッヒ一世寄進のバイエルンステンドグラスは素晴らしいもの(四人の福音書著者など)である。
 ケルンの大聖堂の見学後、メルヘン街道の街々の観光に。今回はネズミ捕り男のハ−メルン、ブレ−メンの音楽隊のブレ−メン。ハ−メルへの途中、ドルトムントで昼食をとる。
ケルン大聖堂
ケルン大聖堂

ケルン大聖堂

ケルン大聖堂正面入口
   

聖遺物
中央回廊 愛の錠前
メルヘン街道についてグリム兄弟の出生地ハ−ナゥからカッセル、サバブルクを経てハ−メルン、ブレ−メンに至るヴェ-ザ-川沿いの緑豊かな地域。
ハ−メルンの観光:Hameln
 
観光案内所で日本語の『ハ−メルン ようこそ』解説パンフレットをもらい、現地ガイドのWさんに案内していただいた。
ハ−メルンは人口六万、ヴェ−ザ−川沿いの交通に便利な商業都市として発展し、その経済的な繁栄を背景に裕福な商人らは富や名声を示すため華やかな装飾を施した家々を建築していった。
 ヴェ−ザ−・ルネッサンス様式の宝石ともいえる美しい街並みで大きな屋外博物館のようでもあります とパンフには記載されている。ネズミ取り男の家、シュティフツヘレンハウス、結婚式の家、デンピタ−ハウス など。
 
ェ−ザ−・ルネッサンス:イタリア・ルネッサンスの北ドイツ特有の愛らしい建築様式で切妻屋根部分にダイヤモンド風に仕上げた石の飾りや渦巻き模様、マスクや厄除け獣面、紋章や文字の刻印などの豪華な装飾が施されている(解説パンフ より)
 パンフ の記載のように華やかな建築が並んでおり、ガイドさんの説明も詳しく当時の宗教改革の一面もこれらの装飾に関係しているとのこと。
 マルクト広場では5月中旬より毎日曜日にネズミ捕り男の物語の市民による野外劇が演じられる。素人集団ではあるがなかなかの演劇で横浜でも演じられたとのこと。
ネズミ捕り男の家 レスレストラン ネズミ捕り男の噴水像 オスタ−通り
ライストハウス博物館 シュティフツヘレンハウス 結婚式の家

ヴェ−ザ−川
ネズミ ここにもネズミ 観光案内所の床
  ハメルンの観光後ハノ−ファのホテルに。ホテルは静かな住宅地の中のあり、ホテルの横には森林公園があり落ち着いた雰囲気のあるホテルでした。

 4月25日(木) 晴れ
8時45分ホテルを出発しメルヘン街道の一つブレ−メンに(約127KM)
ブレ−メンの観光:
 ブレ−メンはハ−メルンと異なり活発な市民生活のあふれた旧市街で、その中を市電が通り、多くの市民の賑わい。
 ブレ-メンは人口でドイツ10番目の都市でベルリン、ハンブルクと同様に州府になっている。世界遺産として市庁舎とロ−ラントの像が登録されている。両者は15世紀ハンザ同盟都市で栄えた商人たちにより自由と自治を求め建てられたもので「われ 民に示したるは自由なり」とロ−ラント像に。
 ブレ−メンでは現地ガイドは無く、添乗員さんについて旧市街を観光する。世界遺産の市庁舎とその前に立つロ−ラント像を見る。その後、聖ペトリ教会の前で説明を。昼食後の自由観光時間に堂内を見学。
 グリム童話で有名なブレ−メンの音楽隊の小さな像が市庁舎の横に立っている。驢馬、羊、猫、鶏。驢馬の口は人々がさすることにより金ぴかに光っていた。
 昼食を旧市街の一角シュノ−ア地区で取る。シュノ−ア地区は小さな小奇麗な土産物店が並んでおり、孫たちにブレ−メンの音楽隊を店のご主人がデザインしたTシャツを購入。
 ブレ−メンの紋章は鍵。キリストが聖ペトリに教会をたてキリスト教を広めるようにと天国の鍵を渡したことに由来するそうである。

市庁舎
市庁舎とロ−ラント像

聖ペトリ教会

ブレ−メンの音楽隊
驢馬の口 シシュノ−ア地区
ハンブルクの観光: Hamburk
 ブレ−メンの観光後、午後4時前にハンブルクに到着。ハンブルクの観光はまず、市の中心部に位置しアルスタ湖に面する市庁舎の観光から始まる。現地ガイドはGさん。
 市庁舎正面にはドイツの各都市の紋章や往年の神聖ロ−マ帝国皇帝像が掲げられており、正面玄関の上にはカ−ル大帝とフリ−ドリッヒ1世帝の銅像。市庁舎はのネオ・ルネッサンス様式の建築で19世紀末に建てられ、6代目である。
 その当時の経済力でイギリスのパッキンガム宮殿に劣らないと市民自慢の建物。
 ハンブルクは正式にはハンザ自由都市ハンブルクという。ハンブルクはエルベ
河口より100km上流の港湾都市で人口はベルリンに次ぐドイツ第二。南のミュンヘンとは風土や人の気質がおおむね対照的である。
 中庭には中央に環境衛生の女神噴水像。壁には大阪、横浜などの姉妹都市の紋章。三越のライオンのご先祖になるライオン像を後ろに庁舎を出て、近くの旧聖ニコライ教会に。
 イギリスの空爆で破壊され、広島の原爆ド−ムと同じような存在で毎年広島の催しが実施され、東北大震災にも催しが催されたとのこと。運河の連絡事務所?の前でバスを止め、橋の上から倉庫街の写真撮影。
 その後7mのエルベ川の堤防を横に見ながら港へ。古い大型のエレベ−タ−で旧エルベトンエルへ。開通は4年がかりで1911年。深さ24m長さ427m 道幅1.9m。車2ユ−ロ。
 浮き桟橋からエルベ河に浮かぶ船舶、遊覧船を眺めエルベ川の今昔をガイドさんより。そのあと有名なレ−バ−バ−ンを専用バスでぐるっと一回り。国公認の公娼の一角でSEX SHOPやアムステルダムと同じように飾り窓もありますと。日本人の御姫さんはいないが中国人は多いとのこと。

 
ブレイク前のビ−トルズもこの町で苦労しながらの、演奏活動を行っており、ジョン・レノンは「僕はリバプ−ルじゃなくハンブルクで大人になった」と述べている。レストランOldCmmercialRommのオ−ナ−がビ−トルズを援助したそうで、入口近くのコ−ナ−にビ−トルズの写真。
 その夜のホテル パノラマインホテルはビジネスホテルでよろしくなかった。

市庁舎
市庁舎ホ−ル

中庭の環境衛生の女神

倉庫街
旧エルベトンネル 旧エルベトンネル

旧聖ニコライ教会跡

エルベ川の船舶

レストランOldCommercialRoom