
ヴェ−ザ−川
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ホルステン門 |

ホルステン門 |
ホルステン門博物館 |
マリエン教会 |
市庁舎 |

マルクト広場 |
市庁舎 |
マリエン教会 |
シュベリンの観光:Schberin
リュ−ベックの観光後,71km離れた旧東ドイツのシュベリンに向かう。シュベリンは七つの湖の街ともいわれ、メロンブルク・シュベリン侯爵の領地であった。
昼過ぎ、シュベリン湖の中島に建つシュベリン城を眺めながら湖畔のしゃれたレストランで昼食。
昼食後、自由散策としてシュベリン城と公園を見学した。城はメルヘンチックな外観で、内部にはマイセン陶器の展示と宮殿の調度品そして玉座がある。
庭園は美しい花が咲き、池には鳥が遊んでおり広々とした風景。城は入場料6ユ−ロ 団体4ユ−ロ カメラ3ユ−ロ。
専用バスに乗る頃より小雨が降ってきた。ベルリンに入る頃には本格的に強く雨が降り車窓よりテレビ塔や赤の市庁舎を見る。
夕食は中国大飯店で。品数も少なく同行の人々には不評であった。その夜のベルリンのホテルはグランドシティグロ−ブス
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シュベリン城 |
シュベリン城 |
シュベリン城 |

公園 |
マイセン陶磁器の展示 |
玉座 |
4月27日(土):晴れ
ベルリンの観光;Berlin
専用バスでベルリン市内の車窓観光。下車観光は次の地点:ベルリンはハンブルク、ブレ−メンとともに州府になっている。
ベルリンの壁(イ−ストサイドギャラリ−)・ブランデンブルク門・ペルガモン博物館の入場見学(約80分)
現地ガイドはポッダムまで中年女性のドイツ滞在15年のWさん。
イ−ストサイドギャラリ−はベルリンの南西部シュペリ−川沿いにあり、壁崩壊後世界21カ国ののア−ティストが参集して壁にモダ−ンア−ト作品を制作した。日本人による作品も数点見られた。
壁ギャラリ−の見学後ブランデンブルク門へ。少し渋滞気味に。バスを降り、道路わきの土産物店に。
東西ドイツ時代の標識や、東ドイツの車トラバントが展示されていた。観光バスが多く駐車していた。
門の向う西ベルリン側は子供たちへの行事があるのか通行できなかった。
10時半より1時間半ペルガモン博物館に。イヤホンガイドをつけ、見学する。たくさんの人で館内は込み合っていた。
内部は古代(ギリシャ・ローマ)博物館、中近東博物館、イスラム博物館に分かれている。中近東部門を中心に見学したが、80分くらいの見学では大変だった。
ペルガモンの「ゼウスの大祭壇」(紀元前180年−160年頃) 古代都市ミレトゥスの「ミレトゥスの市場門」 バビロニアの「イシュタール門」(紀元前 560年頃) トラヤヌス寺院の床
S-BAHNのチアガルテン駅近くのレストランでチキン料理の昼食。
7月17日通り、ビスマルク通り、115号を左右に広大なGRUNEWALD(緑の杜)を見ながら、ポッダムに向かう。
ベルリンは緑地が非常に広く5分の1に相当するとのこと。
車窓よりの風景:アレクサンダ−広場、テレビ塔(アスパラガス)、赤の市庁舎、フンボルト大學、ベルリン大聖堂、
ドイツ連邦議事堂、歴史博物館、首 相府、コングレスホ−ル、ティア・ガルテン、戦争記念塔、ベルリン工科大学、シャルロッテン門、
ドイツオペラベルリン、国際会議場、メッセ、ロ−ドレ−ス観覧席、グル−ネワルト、WANNSEE(ハ−ヴェユ湖川、水泳場になっている) |
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ブランデンブルク門 |
ベルリンの壁 |
ベルリンの壁 |
旧東独の車トラバント |
ゼウス祭壇 |
ゼウス祭壇 |

ミレトゥスの市場門 |

トラヤヌス寺院の床 |
イシュタル門 |
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ポッダムの観光:Potsdam
ポッダムは旧東ドイツに属しており、橋の中央には境界線が今も見ることができる。ポッダムはスラブ語で樫の木の下を意味する。
我々のバスはひとまず西の端まで直行する。その途中では車窓より2軒のアレクサンドロフスカ、オランジュリ−、ボタニック庭園、中国風茶室、ベルビュ−。
また、車中ではガイドさんからシュレ−ジェンをめぐるハプスブルクのマリア・テレジアとプロイセン王国第3代のフリ−ドリッヒ大王(アルタ− フルッツ 老いたつわもの)との確執。シュレ−ジェン戦争、7年戦争の話を聞く。
帰国後、インタ−ネット等で続きを読む。
サンス−シ公園は290ha、2400m、7つの離宮が存在しており、その観光には丸一日あっても足りない。
新宮殿ノイエス パレ−は戦争による国庫の衰因にもかかわらずプロイセン王国の経済安泰を示すために18世紀最大の城として1769年に完成したもので、間口200mもある。
新宮殿で挙式でもされたのか寒い中、花嫁さんの列。次いでバスを走らせ、北の駐車場に、そしてサンス−シ宮殿の外からの見学をする。シュレ−ジェン戦争など戦争に明け暮れたフリ−ドリッヒ大王が夏の離宮としてベルサイユ宮殿を模して建築したロココ様式の宮殿。
サン・ス−シはフランス語で《憂いなし》といい、国政の仕事から解放され愛好する趣味、読書、フル−ト、哲学に没頭する時間を過ごした。
城はワイン用の葡萄山の頂上に建っており、中央に階段のあるテラス。宮殿の前には大王の墓。
サン・ス−シの見学後、午後3時半の予約のツェツィ−リエンホ−フ宮殿に。
ツェツィ−リエン・ホ−フ宮殿はプロイセン国の最後の城郭として1917年建築されドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の太子ヴィルヘルム夫妻の居城であった。
1945年7月17日から8月2日までこの城でトル−マン、チャ−チル、スタ−リンノスリ−ビックが談合を行い、ポッダム宣言が表明された。場内にはその会議の様子や太子夫妻などの写真が展示されている。ビデオ不許可、写真3ユ−ロ。
4時30分 ポッダムの観光を終え、約211kmのドレスデンへ。7時過ぎ、レジデンス・アルト・ドレスデン ホテルに |
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