おとぎの国ドイツ紀行その2 
リュ−ベック・シュベリン・ベルリン・ポッダム・ドレスデン
 2013年4月23日〜5月2日  阪急トラピックス
ドイツ紀行第1部

ドイツ紀行第3部

ドイツ紀行第4部

旅行記のトップ

ホ−ムへ
  4月26日(金):晴れ ときどき小雨
 リュウベックの観光:Lubeck
 9時過ぎ専用バスでリュウベックに向かう。10時前到着し、現地ガイドの中年女性Y.Sさんと。リュウベックはハンザ同盟都市として世界遺産に登録されており、旧市街の入口に立つホルステン門(1478年)から観光。
 15世紀に煉瓦作りで造られ、煉瓦の重みで建物の一部が陥没している。門の正面壁にはCONCORDIA DOMI FORIS PAX(内に結束、外に平和を)と。ヴェ−ザ−河沿いに歩く。
 リュ−ベックは北海・バルト海交易で一時期独占的な地位を築きハンザ同盟の盟主でもあった。
 リューベック商人は、ノルウェ−のベルゲンに商館を築き、ノルウェー鱈を売却して大きな利益をあげた。
 聖ペトリ教会を外から見学し、マルクト広場に。マルクト広場の市庁舎は円形の風穴をもつファザードと緑色のとんがり帽子様の細い尖塔が特色で、この様式が他のハンザ都市に流行した。
 ハンザ同盟の重要な決議はこの場所で行われた。光沢のある黒緑色のレンガはレンガに牛の血と塩が混ざっているとのこと。
 マリエン教会の内部を見学。教会の塔の高さは約125メートル,天井高は約83メートル。ドイツで3番目に大きく,レンガ造りではドイツ最大の教会である。
 この教会は商人の教会で大聖堂が市の中心部に存在していないこともリュウベックの特徴。
 NIEFEREGGER店でMARZIPAN(ア−モンドと砂糖を合わせて作られ、種々のフレ−バ−をチョコで包み込んだもの)の買い物。
 この街の有名な人物としては自伝的小説ともいわれる「ブッテンブロ−グ家の人々」の作者ト−マス・マンがあげられる。

ヴェ−ザ−川

ホルステン門

ホルステン門
ホルステン門博物館 マリエン教会 市庁舎

マルクト広場
市庁舎 マリエン教会
シュベリンの観光:Schberin
 リュ−ベックの観光後,71km離れた旧東ドイツのシュベリンに向かう。シュベリンは七つの湖の街ともいわれ、メロンブルク・シュベリン侯爵の領地であった。
 昼過ぎ、シュベリン湖の中島に建つシュベリン城を眺めながら湖畔のしゃれたレストランで昼食。
 昼食後、自由散策としてシュベリン城と公園を見学した。城はメルヘンチックな外観で、
内部にはマイセン陶器の展示と宮殿の調度品そして玉座がある。
 庭園は美しい花が咲き、池には鳥が遊んでおり広々とした風景。城は入場料6ユ−ロ 団体4ユ−ロ カメラ3ユ−ロ。
 専用バスに乗る頃より小雨が降ってきた。ベルリンに入る頃には本格的に強く雨が降り車窓よりテレビ塔や赤の市庁舎を見る。
 夕食は中国大飯店で。品数も少なく同行の人々には不評であった。その夜のベルリンのホテルはグランドシティグロ−ブス


シュベリン城
シュベリン城 シュベリン城

公園
マイセン陶磁器の展示 玉座
4月27日(土)晴れ
ベルリンの観光;Berlin
 専用バスでベルリン市内の車窓観光。下車観光は次の地点:ベルリンはハンブルク、ブレ−メンとともに州府になっている。
  ベルリンの壁(イ−ストサイドギャラリ−)・ブランデンブルク門・ペルガモン博物館の入場見学(約80分)
 現地ガイドはポッダムまで中年女性のドイツ滞在15年のWさん。
 イ−ストサイドギャラリ−はベルリンの南西部シュペリ−川沿いにあり、壁崩壊後世界21カ国ののア−ティストが参集して壁にモダ−ンア−ト作品を制作した。日本人による作品も数点見られた。
 壁ギャラリ−の見学後ブランデンブルク門へ。少し渋滞気味に。バスを降り、道路わきの土産物店に。
 東西ドイツ時代の標識や、東ドイツの車トラバントが展示されていた。観光バスが多く駐車していた。
 門の向う西ベルリン側は子供たちへの行事があるのか通行できなかった。
 10時半より1時間半ペルガモン博物館に。イヤホンガイドをつけ、見学する。たくさんの人で館内は込み合っていた。
 内部は古代(ギリシャ・ローマ)博物館、中近東博物館、イスラム博物館に分かれている。中近東部門を中心に見学したが、80分くらいの見学では大変だった。
 
ペルガモンの「ゼウスの大祭壇」(紀元前180年−160年頃) 古代都市ミレトゥスの「ミレトゥスの市場門」 バビロニアの「イシュタール門」(紀元前    560年頃
) トラヤヌス寺院の床
 S-BAHNのチアガルテン駅近くのレストランでチキン料理の昼食。
 7月17日通り、ビスマルク通り、115号を左右に広大なGRUNEWALD(緑の杜)を見ながら、ポッダムに向かう。
 ベルリンは緑地が非常に広く5分の1に相当するとのこと。

   車窓よりの風景:アレクサンダ−広場、テレビ塔(アスパラガス)、赤の市庁舎、フンボルト大學、ベルリン大聖堂、
    ドイツ連邦議事堂、歴史博物館、首 相府、コングレスホ−ル、ティア・ガルテン、戦争記念塔、ベルリン工科大学、シャルロッテン門、
    ドイツオペラベルリン、国際会議場、メッセ、ロ−ドレ−ス観覧席、グル−ネワルト、WANNSEE(ハ−ヴェユ湖川、水泳場になっている)

ブランデンブルク門
ベルリンの壁 ベルリンの壁
旧東独の車トラバント ゼウス祭壇 ゼウス祭壇

 ミレトゥスの市場門

トラヤヌス寺院の床
イシュタル門
ポッダムの観光:Potsdam
 ポッダムは旧東ドイツに属しており、橋の中央には境界線が今も見ることができる。ポッダムはスラブ語で樫の木の下を意味する。
 我々のバスはひとまず西の端まで直行する。その途中では車窓より2軒のアレクサンドロフスカ、オランジュリ−、ボタニック庭園、中国風茶室、ベルビュ−。
 また、車中ではガイドさんからシュレ−ジェンをめぐるハプスブルクのマリア・テレジアとプロイセン王国第3代のフリ−ドリッヒ大王(アルタ− フルッツ 老いたつわもの)との確執。シュレ−ジェン戦争、7年戦争の話を聞く。
 帰国後、インタ−ネット等で続きを読む。
 サンス−シ公園は290ha、2400m、7つの離宮が存在しており、その観光には丸一日あっても足りない。 
 新宮殿ノイエス パレ−は戦争による国庫の衰因にもかかわらずプロイセン王国の経済安泰を示すために18世紀最大の城として1769年に完成したもので、間口200mもある。
 新宮殿で挙式でもされたのか寒い中、花嫁さんの列。次いでバスを走らせ、北の駐車場に、そしてサンス−シ宮殿の外からの見学をする。シュレ−ジェン戦争など戦争に明け暮れたフリ−ドリッヒ大王が夏の離宮としてベルサイユ宮殿を模して建築したロココ様式の宮殿。
 サン・ス−シはフランス語で《憂いなし
といい、国政の仕事から解放され愛好する趣味、読書、フル−ト、哲学に没頭する時間を過ごした。
 城はワイン用の葡萄山の頂上に建っており、中央に階段のあるテラス。宮殿の前には大王の墓。
 サン・ス−シの見学後、午後3時半の予約のツェツィ−リエンホ−フ宮殿に。
 ツェツィ−リエン・ホ−フ宮殿はプロイセン国の最後の城郭として1917年建築されドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の太子ヴィルヘルム夫妻の居城であった。
 1945年7月17日から8月2日までこの城でトル−マン、チャ−チル、スタ−リンノスリ−ビックが談合を行い、ポッダム宣言が表明された。場内にはその会議の様子や太子夫妻などの写真が展示されている。ビデオ不許可、写真3ユ−ロ。
 4時30分 ポッダムの観光を終え、約211kmのドレスデンへ。7時過ぎ、レジデンス・アルト・ドレスデン ホテルに

ノイエ・バレ
ノイエ・バレ サンス−シ宮殿
サン・ス−シ宮殿 ス−サンシ庭園 ス−サンシ庭園

ス−サンシ宮殿

ス−サンシ庭園
フリ−ドリッヒ大王の墓地