中欧紀行その4
新日本トラベル
2002年5月4日〜5月12日
ブタペシュト、エステルゴム、センテンドレ

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5月9日(木) 
 ハンガリ−のバス(ハンガリ−の運転手2人)でシェ−ンブルン宮殿の見学(日本語ジョ−クの上手なクロ−ス氏のガイド)ののち、環状道路沿いに車中よりウイ−ン観光。薄いウイ−ナ−・シュニッツエルの昼食のあと、国境を越えてハンガリ−のブタペシュトに向かった。

 国境では例によって時間は45分くらい要したが、通貨の交換、タックス・リファンドの手続きをする。チェコの消費税は22%で1000コルナ以上でretaxされるが、13%くらい返金されたか。夕刻6時過ぎにホテルに着く。ホテルでジプシ−音楽の演奏を聴いてのヴァイキング料理の夕食。

 9時過ぎよりドナウ川クル−ズに。シャンペン、ボトルつきのおよそ1時間のクル−ズ。エルジェ−ベト橋のちかくの桟橋からドナウ上流の中ノ島マルギット島のところで旋回して自由橋まで引き返すコ−スでくさり橋などの橋全体、王宮、ゲッレ−ルトの丘、国会議事堂などがライトアップされており、同行者の一人はセ−ヌ川のそれよりもず-んと綺麗だと。

 5月10日(金)
 ヨ−レッゲルト(おはようございます)と日本語を流暢に話されるハンガリ-人ゾルタン氏の案内で観光。ブタペシュト市内観光とドナウベントのセンテンドレとエステルゴムの観光。

ブタペシュト

 ブタペシュトはハンガリ−の首都で人口約200万(全人口の20%)。ドナウ川の中流にあり、@王宮の丘など丘陵部からなる13世紀以来の古い町ブタとA左岸の平地のペシュトBそして2世紀ロ-マ人がアクインタムに駐屯地をこしらえ、5世紀フン族の襲来、895年ころハンガリ-人の族長ア−ルバ−ドらがこの土地に拠点を構えたオ−ブタの三地区でブタペシュトは構成されている。

 くさり橋は1849年に(戦争で破壊され1949年復元)完成され、ブタとペシュトを結んだ最初の橋で両端には2頭づつのライオン像(三越のライオンではないとガイドの冗談)が設置されている。橋を渡るとトンネルになっており、傍には王宮の丘へのケ−ブルもある。ハンガリ−は第二次世界大戦を枢軸側として戦ったので、苔癬の被害が非常に大きく、王宮の一部の壁などには弾痕の跡が見られ、現在多くの建物が復旧中である。また、ソ連によって開放されたが、婦女子を含む多くの市民がシベリアに連れて行かれ強制労働に使役されたとのことです。

 王宮の丘では観光客が通りかかるとジプシ−の人たちが音楽を奏でる。丘から見るドナウ川とくさり端の眺めは素晴らしく、プラタナスやアカシヤが咲き誇っていた。王宮には入場せずに、マ−チャ−シュ教会のある三位一体広場に歩く。マ−チャ−シュ教会はウイ−ンのシュテファン大聖堂にならって造られたゴシック様式の教会でマ−チャ−シュ王の時代に精巧な石の尖塔が建てられた。トルコ軍により一度モスクに改装されている。7000本のパイプを持つパイプオルガンがあり、大理石とあいまって非常に音響効果が良く、コンサ−トが多く開かれている。ハプスプルグのフランツ・ヨ−ゼフ1世は1867年この教会でハンガリ−王の戴冠式をおこなっている。教会の前の広場には三位一体の像や初代国王イシュトヴァ−ン1世の銅像が建っている。教会ではフラッシュ撮影・ビデオも可能。

 教会の周りに観光写真によく出てくる有名な漁夫の砦がある。回廊で結ばれたネオ・ロマネスク式の7つの白い尖塔は20世紀初に建築されたもので、7つの尖塔は建国マジャ−ル7部族を象徴している。中世にはこの近くに魚市場あったことと、この城砦を漁夫が守っていたのが、その名前のいわれとか。回廊と多くの塔を全体に写真の収めることが難しかった。

  ペシュト地区に降り、聖イシュトヴァ−ン大聖堂に行く。大きな建物で1896年の建国1000年を記念して、1851年から1905年にかけて建設。主祭壇は聖イシュトヴァ−ン。直径22m、高さ96mのド−ム屋根。この頃から小雨が降り出してきた。英雄広場では小雨のなか、急いで写真をとる。1896年に作られた広場で建国記念碑は大天使ガブリエルが頂に、下にマジャ−ル7部族の長がア−ルバ−トを中心に。記念碑を囲むように14体の偉人像が並んでいる。アンドラ−シ通りを戻り、昼食の後、日本語の通じる指定の土産店ド−ム・フォルクロ−ルでパブリカや民族人形を買う。

ドナウベント:

 ドイツ南西部の黒い森を発したヨ−ロッパ第二の長流ドナウ川は、ほぼ西から東に流れているが、スロヴァキアとの国境を流れてブタペシュトの北方で急にその流れの向きを南に変えている。その曲がり角に当たる地域をドナウベント(ドナウの曲がり角)という。ブタペシュトにも近く、バラトン湖と同様に夏の避暑地として、また別荘地として栄えている。ブタペシュトを出て暫くして、車中よりロ−マ時代の遺跡アクインクムを見えた。

エステルゴム:

 エステルゴムの大聖堂はハンガリ−・カトリックの総本山で高さ72mのハンガリ−最大の教会で直径33.5mのド−ムを持っている。祭壇にはイタリアの画家グレゴレッティの作といわれる聖母の昇天が掲げられている。広大な教会の裏側にはドナウ川が流れており一本の橋が見える。そのマ−リア・ヴァレ−リア橋は1945年空爆で破壊され長い間放置されていたが、昨年修復された。橋の向うは1993年分離したスロヴァキア共和国である。

センテンドレ:

 センテンドレはセルビア人が作った街で多くの教会があり、石畳の路地があり中世の趣を残されており、多くの観光客が訪れる観光地でもあり、また多くの芸術家に愛された街でもある。女性彫刻家コバ−チ・マルギット(1902〜1977年)の美術館を見学。彼女コバ−チさん(ハンガリ−は日本と同じように姓を前に記載)の作品には可憐さと可笑しさのある作品が多く、日本の道祖神のような印象を持った。写真・ビデオは禁止。館を出た頃より雨が強くなってきたので、立ち並ぶ土産物店に雨宿りする。土産物店には手作りのハンガリ−刺繍、民族衣装人形、ヘレンド磁器などが売られている。学校の卒業式に当たる日のようで、花束を両手一杯に持った両親と子供が多く見られた。

 その夜はゲッレ−ルトの丘にあるツイタデラ・レストランでジプシ−楽団の演奏によるフォ-クロア・ディナ−ショ−を楽しむ。ギタ−と民族楽器ツインバロムのアンサンブル演奏で男女二人の民族舞踏と中年女性の歌唱があった。

5月11日(土)
 マリブ航空MA610でブタペシュト・フエリヘシ空港からロンドン。ヒ−スロ−空港へ。5時間ばかり、余裕があったので添乗員さんの計らいで15名がウインザ−城の観光を田中氏(ロンドン観光協会)の案内で行った。成田組と関空組に別れ帰国。JAL422で5月12日(日)午後3時前に関空に到着。MKハイヤ−を利用し帰宅する。

 
王宮近くの戦跡 くさり橋 マ−チャ−シュ教会 マ−チャ−シュ教会
マ−チャ−シュ教会と漁夫の砦 漁夫の砦 聖イシュトヴァ−ン大聖堂 くさり橋と王宮
聖イシュトヴァ−ン大聖堂 英雄広場のマジャ−ル7部族の長 エステルゴム大聖堂 マ−リア・ヴァレ−リア橋
センテンドレ教会広場 センテンドレ土産店 コヴァ−チ・マルギット美術館 ツィタデラ・レストラン
1:ベルリン・マイセン・ドレスデン 2:プラハ
3:チェスキ−・ブジェよヴィツェ、チェスキ−・クルムロフ、ウイ−ン
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