中欧紀行その3
新日本トラベル
2002年5月4日〜5月12日
チェスケ−・ブジェヨヴィツェ、チェスキ−・クルムロワ、ウイ−ン  

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5月8日(水)
 ボエミアの古城の一つチェスケ−・シュテルンベルク城、世界遺産チェスケ−・クルムロフの見学後、ウイ−ンに入りウイ−ンの森の居酒屋ホイリゲでという日程。5月8日はチェコの開放記念日で祝日である。

 ボエミア地方には多くの古城があり、チェコ観光の一つの目玉にもなっている。われわれは、東ボエミアのチェスキ−・シュテルンベルク城を見学した。

チェスケ−・シュテルンベルク城:

 チェスキ−・シュテルンベルク城は高台に建てられた13世紀中ごろの古城で、シュテルンベルク家からは多くの軍人、宗教家、学者を輩出している。1949年共産党政府は城を国有化したため、現在の当主はスイスに亡命し、その父は居残り、城の案内役などに従事させられたとのことです。騎士の広間・礼拝堂・黄色の間・淑女の間・図書室・食堂・東洋の控えの間・狩猟の間などの多くの様式を異にした部屋がある。城は団体ごとに、時間が決められて見学するようになっており、われわれはプラハから同行したマルケッタさんの上手な日本語で説明を受けた。城の入口近くでは、鷹匠がおり、実演を見せていた。

チェスケ−・ブジェエヨヴィツェ:

 1265年ボエミア王オタカル2世によって建設された街チェスケ−・ブジェエヨヴィツェのブドヴァル・ビ−ル醸造工場のレストランで昼食に鯉料理を食べ、ビ−ルを愛飲した。ビ−ル王国チェコでも、この地のビ−ルは評価が高く、醸造所の職人が酵母をアメリカに持ち込んで開発したのが今日のバドワイザ−ビ−ルである。昼食後、街の中心オタカル2世広場に行く。サムソン噴水のそばの一角に20cm司法の三角の石があり、十字架が刻まれており夜遅くこの石を踏んだものは迷子になるよとの事。

チェスケ−・クルムロワ:

 チェスケ−・クルムロフは13世紀南ボヘミアで勢力を誇ったヴィトコヴェツ家によって建てられた城でその後、南ボヘミアの豪族、ハプスプルグ家など数々の領主の手に渡り、そのつど改装され新たな建物が増設されてきた。華麗な変貌をしたのは14世紀初頭から300年間のロジュムベルク家の時代でいたるところに金銀を使った装飾が施された。街はS字状に曲がりくねったヴルタヴァ川に接しており、下のS字の部分に街の中心がある。上のS字部分に城とラトランと呼ばれる地域がある。オ−ストリア、ドイツにも近く、時代の情勢に応じてドイツ人、チェコ人の人口比が変わってきた。街は中世そのままの佇まいを残しており、1992年世界遺産に指定されている。

 駐車場からプラ−シュチョヴィ−橋をくぐるとヴルタヴァ川の清流。カヌ−を楽しむ青年たち。シロカ−通りから、町役場のあるスヴォルノスト広場に出て、そこを東の方向に少し行くと、素晴らし展望の場所に行きます。そこからは城や城の塔そしてヴルタヴァ川と茶色の屋根の家並みが眺望できます。写真には絶好の場所です。石畳の道の両側には土産物を売る小奇麗な家並みが続いています。1J巻少しの観光でしたが、ゆっくりとさんさくする場所かと思います。

 チェコからオ−ストリアへの国境は比較的簡単に通過できた。高速道路をドナウ川沿いに走り、途中メルク修道院を遠く車中より望み、ウイ−ンのホテルには8時前に到着した。8時からのウイ−ンの森のホイリゲでの夕食であったのでホテルに待っていたバスに乗り換え、グリンツィングのホイリゲへ。狭い道にホイリゲへの団体バスが止まっていた。

5月8日(水)
 ボエミアの古城の一つチェスケ−・シュテルンベルク城、世界遺産チェスケ−・クルムロフの見学後、ウイ−ンに入りウイ−ンの森の居酒屋ホイリゲでという日程。5月8日はチェコの開放記念日で祝日である。

 ボエミア地方には多くの古城があり、チェコ観光の一つの目玉にもなっている。われわれは、東ボエミアのチェスキ−・シュテルンベルク城を見学した。

チェスケ−・シュテルンベルク城:

 チェスキ−・シュテルンベルク城は高台に建てられた13世紀中ごろの古城で、シュテルンベルク家からは多くの軍人、宗教家、学者を輩出している。1949年共産党政府は城を国有化したため、現在の当主はスイスに亡命し、その父は居残り、城の案内役などに従事させられたとのことです。騎士の広間・礼拝堂・黄色の間・淑女の間・図書室・食堂・東洋の控えの間・狩猟の間などの多くの様式を異にした部屋がある。城は団体ごとに、時間が決められて見学するようになっており、われわれはプラハから同行したマルケッタさんの上手な日本語で説明を受けた。城の入口近くでは、鷹匠がおり、実演を見せていた。

チェスケ−・ブジェエヨヴィツェ:

 1265年ボエミア王オタカル2世によって建設された街チェスケ−・ブジェエヨヴィツェのブドヴァル・ビ−ル醸造工場のレストランで昼食に鯉料理を食べ、ビ−ルを愛飲した。ビ−ル王国チェコでも、この地のビ−ルは評価が高く、醸造所の職人が酵母をアメリカに持ち込んで開発したのが今日のバドワイザ−ビ−ルである。昼食後、街の中心オタカル2世広場に行く。サムソン噴水のそばの一角に20cm司法の三角の石があり、十字架が刻まれており夜遅くこの石を踏んだものは迷子になるよとの事。

チェスケ−・クルムロワ:

 チェスケ−・クルムロフは13世紀南ボヘミアで勢力を誇ったヴィトコヴェツ家によって建てられた城でその後、南ボヘミアの豪族、ハプスプルグ家など数々の領主の手に渡り、そのつど改装され新たな建物が増設されてきた。華麗な変貌をしたのは14世紀初頭から300年間のロジュムベルク家の時代でいたるところに金銀を使った装飾が施された。街はS字状に曲がりくねったヴルタヴァ川に接しており、下のS字の部分に街の中心がある。上のS字部分に城とラトランと呼ばれる地域がある。オ−ストリア、ドイツにも近く、時代の情勢に応じてドイツ人、チェコ人の人口比が変わってきた。街は中世そのままの佇まいを残しており、1992年世界遺産に指定されている。

 駐車場からプラ−シュチョヴィ−橋をくぐるとヴルタヴァ川の清流。カヌ−を楽しむ青年たち。シロカ−通りから、町役場のあるスヴォルノスト広場に出て、そこを東の方向に少し行くと、素晴らし展望の場所に行きます。そこからは城や城の塔そしてヴルタヴァ川と茶色の屋根の家並みが眺望できます。写真には絶好の場所です。石畳の道の両側には土産物を売る小奇麗な家並みが続いています。1J巻少しの観光でしたが、ゆっくりとさんさくする場所かと思います。

 チェコからオ−ストリアへの国境は比較的簡単に通過できた。高速道路をドナウ川沿いに走り、途中メルク修道院を遠く車中より望み、ウイ−ンのホテルには8時前に到着した。8時からのウイ−ンの森のホイリゲでの夕食であったのでホテルに待っていたバスに乗り換え、グリンツィングのホイリゲへ。狭い道にホイリゲへの団体バスが止まっていた。

 
チェスキ−・
シュテルンベルク城
城より望む ブドヴァルビ−ル醸造所 プジェミスル・
オタカル2世広場
プラ−シュチョヴィ−橋 プラ−シュチョヴィ−橋 城を望む チェスケ−・クルムロフ城
スヴォルノスト広場 ヴルタヴァ川 ヴルタヴァ川 シロカ−通り
1:ベルリンマイセン・ドレスデン 2:プラハ
4:ブタペスト・エステルゴム・センテンドレ
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