中欧紀行その2 |
新日本トラベル |
2002年5月4日〜5月12日 |
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プラハ: 5月7日(火) 大聖堂や宮殿、庭園などを擁するプラハ城は9世紀後半プシェミスル王家(900?〜1306年)によって建設され、14世紀ボエミア王カレル1世(1347年神聖ロ−マ定国皇帝となる。皇帝としてはカ−ル4世)の時代に、ほぼ現在見られる威容を整えた。 ゴシック様式の2本の82mの尖塔と99mの鐘楼を持つ聖ヴィ−ト教会。929年に建てられた円形教会堂を1344年プラハが大司教区に格上げされたのを機会に、現在のゴシック様式の大聖堂に建て替えられ1929年9月に聖ヴァ−ツラフ殉教1000年に完成された。 東門を出て土産物店の立ち並ぶ細い階段からのプラハ市内の眺めは素晴らしく、なるほど百塔の街と一層思う。 カレル橋はカ−ル4世によって1357年に建設が始まった。全長516m、幅9.5m。30の聖像が立ち並んでおり、フランシスコ・ザビエルやヴァ−ツラフなどの像がある。聖ヤン・ネポムツキ−像(王妃の不義の告白を守り通し、ヴルタヴァ川に投げ捨てられた。1683年彫像の第一号)は幸運を祈る人々の手によってピカピカに光っていた。橋上は歩行者天国になっており、素人画家やジャズマンの演奏などがあちこちに見られる。橋の両端には橋門が立っており、橋の上からのプラハ城そして旧市街への眺めは素晴らしく写真に絶好の場所である。 ボヘミアン・グラス店のレジ−ナに行く。日本人店員の説明を受ける。ハンドカットのグラスを購入。購入品をホテルに届けますとの約束が守られなかった。そのあと旧市街広場にでる。後期バロック様式のゴルツ・キンスキ−宮殿、遠くからでも目立つ高さ80mの2本の尖塔をもつゴシック様式のティ−ン教会、ゴシック様式の旧市庁舎。広場の中央には15世紀に宗教改革を断行し、1415年コンスタンツで火刑に処せられたプラハ大学総長のフスの銅像が建っている。フスはプラハ大学のチェコ化、チェコ語の統一等に努力した。彼の生涯はドイツ人やカトリック教会の重圧下にあったチェコ人の民族意識と結びつき、チェコの国民的英雄とされている。 旧市街の地下レストラン(黒い太陽?)で昼食をとる。これあと半日フリ−観光となる。ホテルで朝方、予約したスメタナホ−ルのチケットの確認に、姫路から来られた一行7名とホ−ルに行く。そのあと、旧市庁舎の仕掛け時計の演技を見る。定時になると時計の前には多くの人だかりになる。またプラハのホ−ルや催場での、催しものを色々のっ服装をした案内人が、パフォ−マンスをして集まった人々に呼びかけている。時刻がくると死神が、ひもを引き鐘を鳴らすと十二使徒が小窓に現れ一巡する。鶏がひと鳴きして終わる。時間は1分もかからない。 そのあと、ミュ−シャ美術館で世紀末ウイ−ンで活躍したア−ルヌ−ボ画家ミュ−シャ(ムハ)の絵を見てからヴァ−ツラフ広場に行く。プラハ一の大きな通りで中央が広いグリ−ン地帯になっている。ボエミア初代のキリスト教君主ヴァ−ツラ(在位921〜967年)の騎馬像が建っており、その像の10mくらい手前に1968年11月ソ連からの独立運動「プラハの春」でソ連の軍事介入に焼身自殺を図って抗議したヤン・パラフの墓があり、献花で飾られていた。 ナ・プシ−コビエ通りや青空市場を散策したのち、火薬塔のそばにあるア−ルヌ−ボ-様式の市民会館のスメタナホ−ルで午後8時よりモ−ツァルトのレクイエムを聴く(バルコニ−1列目4000コルナ。約4000円)。タクシ−でホテルへ(840コルナ)。 映画アマデウスの撮影はプラハで行われており、今日ヨ−ロッパの原風景を残す数少ない街の一つとプラハはいわれており、ヒトラ−の侵略に対しても、殆ど無抵抗であったために美しい建物がそのまま残っており、種々の建築様式の見られる百塔の街でもある。車中からではあったが、イラ−セク橋の近くで支えがダンスをするかのように捩れた超モダンなビルも見られた。 次のような本を参考にしました。 |
プラハ城 | 聖ヴィ−ト大聖堂 | 聖イジ−教会 | 黄金小路 |
カレル橋塔(城側) | カレル橋 | カレル橋(旧市街側) | カレル4世銅像 |
旧市庁舎と天文時計 | ヤン・フス像 | ヴァ−ツラフ広場 | 焼身自殺したヤン・パラフ |
青空市場 | ティ−ン教会 | 市民会館(スメタナ・ホ−ル) | プラハ交響楽団と放送合唱団 (岩崎様写真) |
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