ふわふわと、ゆっくりとどこからか降りて来た気がする。
やっぱり私が還る場所はここだったのだと思いながら、戻って来た気がする。
私を一番愛してくれる人のところへ。
私が一番愛している人のところへ。
「望美……」
自分を呼ぶ声が聞こえ、 ゆっくりとまぶたを開ける。
望美の瞳に最初に映ったのは、疲れ切った顔をしたヒノエの顔だった。
目の下にクマを作り、こんなにも生気のない顔を見たのは初めてだった。
「……ヒノエ、君……?」
望美はヒノエの顔に触れようと右手を動かした。すぐにその手をヒノエは取る。
「良かった、気がついて」
痛いくらいにしっかりと両手でヒノエは望美の手を握りしめる。
「ヒノエ君……」
「気分はどうだ?」
「ええ、大丈夫。ずっと長い夢の中にいて、やっと目覚めた感じですっきりしているわ」
「そうか」
ヒノエは安堵の息をもらした。少しの沈黙の後、ヒノエは口を開いた。
「……つらい思いをさせて悪かった」
ヒノエの肩がかすかに震えていたのが望美の瞳に映った。
「私の方こそごめんなさい。私、自分のことばかり考えていてヒノエ君の事何も考えてなかった。ヒノエ君がどんな思いでいたか、全然気づいていなかった」
「望美が謝る必要はない。お前を守り切れていなかった俺が全て悪かったんだ」
「ヒノエ君は私を守ってくれていたわ。私がそれにちゃんと気づいていなかっただけ。私が悪かったの」
「望美は何も悪くない。俺が……」
ふいに視線を合わせた二人が小さく笑う。
繰り返しお互いに悪いと言い続ける自分達。
望美を大切に想うが故に、余計なことを知らせる事なく全てを隠そうとしたヒノエ。
ヒノエを愛するが故に、気持ちを疑い、そして他者に嫉妬する自分を嫌った望美。
相手への想いは何も変わっていないのにすれ違った二人の気持ち。
それはどちらが悪いわけではない。
「言い訳するようでみっともないけど、これだけは信じてくれ。桔梗と一晩過ごしたのは事実だが、何もなかった。ただ一緒に酒を飲んで、そして本当に別れた」
「ヒノエ君の言葉を信じるよ。私にとってはヒノエ君の言葉がなによりの真実だから」
「ありがとう、望美」
少しホッとしたような、けれど、どこか後悔しているような苦しい表情が残る。
「もうそんな顔しないで。ヒノエ君にはそんな顔似合わないよ?」
「……そう、か。そうだな。いつまでも悔いてばかりではいられないな」
自嘲するような含みもあったが、少しだけヒノエの顔に笑みが戻った。
しかし、すぐにその笑みは消える。さきほどとはどこか違う真剣な表情になる。
「望美、お前、どうして言わなかったんだ?」
「えっ?」
「子供の事」
「……子供?」
「俺達の子」
ヒノエは衾ごしに望美の腹部に触れる。
一瞬何を言われたのかわからないといった顔をした望美だったが、急にハッとして身を起こした。
「ヒノエ君! 赤ちゃんは?! 私の……、私達の……」
あまりに急に身を起こしたためか、望美は目眩を起こし、身体の力が抜けて倒れそうになる。
寝床に伏す前にヒノエは望美の身体を受け止た。そして静かにそっと抱きしめる。
「なんで……、いや、言い出せなかったのは俺のせいだな。ごめん、ごめんな、望美」
ヒノエは苦しげに告げる。
その瞬間、望美の身体に震えが起こる。
この身に宿った新しい命。
何よりも大切な命。
失うわけにはいかない命はどうなったのだろう。
「ヒノエ君、どうして謝るの?」
「……」
ヒノエはすぐには応えなかった。
ただ抱き締める腕に力を込める。
あの時、望美は確かに聞き、そして感じた。
『願いを叶えよう』
そう言った言葉と、身体の内から感じる鼓動。
それは夢などではないはずだ。
確信を得る事が出来たから安心して気を失う事ができたのだ。
けれど、その全ては本当に現実のことだったのだろうか。
望美の心に不安が広がる。
もしかしたら、何もかも全て夢の中での出来事だったのではないだろうか。
そんな思いが強くなる。
聞きたくない、でも聞かなければならない。
悪い答えではないかと想像せざるを得ない状況に心が苦しくなるけれど、それでも聞くのが自分の責任だと思う。
「ヒノエ君、教えて」
その声は弱々しいものだったが、しっかりと答えを求める口調であった。
ヒノエはもう一度だけ強く抱き締めると、望美から身体を離し、そして望美の顔を見据えた。
「ヒノエ、君?」
堅くなっていたヒノエの表情がふっと柔らぐ。
「大丈夫だよ」
「えっ?」
「大丈夫。ここにちゃんといるよ」
ヒノエの手が望美の腹部に触れ、優しく撫でられる。
「本当に……? 本当に、失っていないのね?」
「ああ、大丈夫だ。なんてったって俺達の子だ。そう簡単にいなくなるもんか」
「良かった……」
望美はやっと安心したのか、その瞳から涙をぽろぽろと流した。
「一時は危なかったが、持ち直したよ」
「そう、良かった。本当に良かった」
腹部に触れているヒノエの手の上に、望美は自分の手を重ねる。
「産んで、良いのよね?」
「何当たり前の事言っているんだ」
「ひとつだけ、質問していい?」
「何だ?」
「喜んでくれているのはヒノエ君として? それとも熊野別当として?」
「この子の父親として喜んでいる」
ヒノエはそう即答した。
立場上、いろいろな思惑がないとは言えない。
心に必ず残る思惑がある。しかし、危うく消えかけそうになった命が助かった時、何も考えられなかった。
本当に良かったと、それだけしか思わなかった。
望美との間に生まれた命の灯が消えなかったことが、ヒノエはただ嬉しかった。
「私、あなたの子供が産みたかったの。結果としてその子が別当の跡継ぎであっても、まずあなたの子供でいて欲しかったから」
望美の言葉にヒノエは頷く。
「オレ達の間に生まれてくる子が熊野別当の跡継ぎだという事実は変えることはできない。でもそれ以上に、この子がオレと望美二人の子で、何よりも大事な宝だということ、それがなによりも一番大切な事なんだ」
二人の間にできた子のことを、ヒノエ自身が何よりも大事に思いい、そして喜んでいてくれているのがわかり、望美はしあわせな気持ちに満たされる。
他の誰でもないあなたが私のそばにいる。
他の誰でもない私があなたのそばにいる。
二人の心をつなぐ大切な宝がここにある。
この場所がしあわせな未来につながる。
「どんな子が生まれるかな」
「きっとヒノエ君に良く似た強い子が」
「望美に良く似た優しい子が」
「元気な子で、ありますように……」
望美はヒノエの胸にもたれ掛かる。
二人の手の下にある新たな鼓動。
それは確かに未来へとつながるものだった。
日はめぐり、月は満ち欠けを繰り返す。
そして、やがて時が来る。
新たな光が輝き始める暁の頃、ヒノエと望美の子供はこの世に生を受ける。
二人の想いを受け継ぐ、男女の双子であった。
第十七話 終章
<こぼれ話>
ここまで来ました!
やっと二人がしあわせの未来に向かうことができました。
二人の間に生まれる子は男女の双子。
私としては、ヒノエ君とそっくりな男のコと望美ちゃんそっくり(髪の色はヒノエ君似)な
女のコが良いかなぁと思っています。
機会があれば子供も交えたお話を……。
えっと、この段階でのおまけを作りました。
終章は後日談的なものなので、この18話の時点での出演者ご挨拶みたいなものです。
よろしければ、ご覧くださいませ。
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