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                    チンチョン plaza mayor    水彩 F6

                                

                             スペイン雑感

先日2度目のスペイン行きを果たしてきた。今回は単独行で、1月間あちこちスケッチに行く予定であったが、デッサンを習っていたプロの絵描きさんが先に行っていて、その人に、絵をうまくなって帰れとデッサンのアトリエに強引に登録させられ、日程の半分はアトリエでスペイン人のヌードを描く事になった。残りの日程は美術館めぐりと日帰りや1,2泊のスケッチ旅行をした。今回は1月と長く滞在しスペインによく触れる事ができた。いろいろ感じたことをメモしておこうと思う。


                         Fスペインの生活

わずか1月ほどの滞在であったが、それでも4,5日の滞在と違って生活したという実感がある。地下鉄にも50回以上乗ったし、スーパーに犬の糞をよけながら買出しにしばしば出かけたからであろう。BARの親父とも顔なじみになってしまったりした。
マドリの夜うるさいのである。宿の部屋は大通りには面していないのであるがそれでも一晩中うるさい。走っている車が日本で言う高級外車でエンジンがうるさい上、簡単にクラクションを鳴らす。毎日深夜に来るごみ集めの車もウインチを鳴らして起こしてくれる。おまけに道路で一晩中わめくのがいるので、宿はしっかり選ばないといけない。部屋の窓は2重ガラスであったが不十分で、他のホテルに泊まったときは2重ガラスの2重窓であったのでまずまずであった。
あと最後までなじめなかったのが、生活時間の日本とのずれであった。朝起きるのが9時か10時で朝食は10時くらい、昼飯は2時ごろで、飲み始めるのが21時前後で寝るのは2時とか3時らしい。ホテルに泊まってレストランの開始を聞いたら21時で、腹が減って困った。
広場は夜の12時、1時でも人で一杯で、若者の失業率50%では飲む金がないのだろうかわいわい話しているだけである。

次に物価であるが、全般に安いといっていいだろう。ただし本や画材は日本並みである。
行きのけちな飛行機で飲んだ缶ビールが400円だったが、宿に置いてあるのが100円で安いと思ったら、スーパーでは45円でびっくりした。発泡酒なんかは売っていない。ワインがちゃんとコルク栓のが300円からで、賞をとった一番高いのが700円程度であった。
肉・魚はキロ数百円で、バゲットとかいう長いパンが1本30円で、食べ物はめちゃくちゃ安い。部屋を借りて自炊すれば、食費は月1万ですむという。
貸し部屋も月4,5万で4LDKがあったりする。おまけに洗濯機・電子レンジやシーツまでがついていたりする。ホテルも2500円から4000円程度で3つ☆だと8000円位するが、日本のホテルの半分程度だろう。
交通費も安く地下鉄は100円ちょっとで乗れるし、新幹線で大阪名古屋間程度で2000円くらいでこれも日本の半分くらいかなと思う。タクシーも10km乗っても2000円ちょっとであろう。
この安さなら多少贅沢をしてもよさそうなものだが、貧乏性からかすぐに現地価格になじんでしまって、さらにけちな生活を続けてしまったのである。


                         Eアルバラン旅行

            
                      

                         城塞と教会        水彩 f6



ねたが枯渇してきたので、紀行ねたを。
スリからなんとか逃げおおせたあと、かなり動揺していたが先にいくことにして、予定通り南バスターミナルに行く。ここは何十社の何十台ものバスターミナルで、どんどん地方に向かって発車していく。スペインは道路も広く、以前トレドに行ったときなど高速道は片側5車線くらいあり、滑走路を走っている様な感じであった。一般道もほとんど荒野や畑の中を走るので、信号は無く道幅も十分である。交差点はロータリーになっていて、そこを使うルールがよく分からないのであるが、皆ぶつからずにうまく曲がっていく。
まずは4時間のバスなのでトイレが心配になった。バスを見てもトイレはついてないようだ。ターミナルのBARで朝のコーヒーとパンを食べて、トイレに2回行って絞りきっておく。高速で1時間半ほど走って田舎のガススタみたいなところで15分ほど休憩となる。
トイレの建物が見えないので運ちゃんに聞くと、BARの中の突き当たりにあるという。やっぱりね。運ちゃんはジュースを飲み、客もコーヒーを飲んだりしている。トイレを貸すことが商売につながっているのだろう。
そこから一般道を南下してテエルに向かうが、見渡す限りの麦畑、ひまわり畑、牧草地と荒地でひたすら赤い大地が続く。岡があると稜線には風力発電のプロペラが延々と並んでいる。ひからびた赤い大地を走り続けると時折、教会の塔が見え2,30軒の集落が通り過ぎていく。そんなところには30cmくらいの小川が流れていたりする。あまり広いので放射能汚染地域から移住したらどうだろうなどと思ってしまうが、水がないか。
バスからの景色

テルエルの教会



今回の旅の最大の目的地はアルバランで、スペイン-風の光る村百選という手に入りにくい本があって、スペイン在住の日本人の方があちこち旅行して選んだ村のなかで、著者の評価で一番美しいと書いてあったのである。芭蕉の松島状態である。
前日に宿に電話して一応2泊の予約が出来たはずなのである。別の宿は会話がかみ合わなくてあきらめたのであった。ま、行って見ないと分からない。
テルエルに昼過ぎに着くが、次のバスまで2時間あるので世界遺産の町を見物してBARのテラズでパンとコーヒーを頼む。ここはアラブに永く支配され、ムハデル様式というアラブとの折衷様式のような教会がいくつかある。川にはローマの歩道橋が残っていて現役である。道は迷路のように入り組んでいて、どの道を進んでも同じ広場に戻ってしまうのにはまいった。なんとかバス停に戻って一日一便のバスに乗るがマイクロバスである。1時間ほど岩山に囲まれた谷を上っていくと赤い村がいくつか現れ、峠のようなところにアルバランがあった。城壁に囲まれて古い建物が密集して岩山にへばりついている。屋根も壁も赤い。バス停から荷物を担いで狭い坂を上りきると小さいマジョール広場につく。役所とBARがある。googleで調べていたので階段を登っていくと宿が見つかった。これまた古い建物である。そして無事チェックイン成功である。
ホテルの夕食が夜9時からというまたビックリで、村の中をまずカメラを持って偵察する。縦横ともに10分くらいの狭い村で狭い路地と古いレンガの建物が続いていて、ドアや小さな階段を見てもどれも写真や絵の題材になりそうである。
岩山の上で作物はなにも作っていず、周囲は城壁で囲まれ、川に突き出た半島の先の方には城が残っている。防衛拠点か通商拠点なのであろう。
翌日と次の日の午前はうろうろしながらスケッチをする。どこをとっても複雑な形で圧倒され、まともに作品を描くとなれば1枚2,3日かかりそうであきらめモードになる。

宿は左の教会の下に見える

城壁からの眺め

最後の日は祝日でテルエルまでのバスがないという。しょうがないのでタクシーを頼むが、1時間のルートは料金が心配だったが4500円だというのでやれやれ。日本だったらいくらとられることか。
また運ちゃんが親切で叔父さんに電話してテルエルからのバスの時刻を確認し、途中のローマ期の博物館に案内したり、コースからかなり外れたところにあるローマ人が掘った泉の遺跡を見に連れて行ってくれた。この辺はアルバラシンを含め、すぐ裸になる役者チャールストン・ヘースルトンが演じたエル・シッド(正しくはシ)がアラゴンを攻めたりアラブを追い払ったりしたときに活躍した地域でもあるらしい。運ちゃんのチップをしこたまはずんで5000円支払ったのであった。
バスでマドまで戻り、地下鉄は縁起が悪いので、国鉄で宿に戻り、またいそいそと夜のBARに向かったのであった。

                
                      

                赤い村         F6 水彩   アルバラシンにて





                         DA mi me robaron en el metro
知ったかぶりの説明。A mi は私をという意味で、meも私を、ということなのであるが、スペイン語の重複表現である。robaronは盗む robar の3人称複数過去で、en el metro は地下鉄の中で である。無主語文で主語は対話者以外のだれかで、訳すときは受身にすることが多い。よーするに、「わたしねー、地下鉄でやられちゃったのよ」なのである。

今回の旅の最大の目的はアルバランという村に行く事であった。テエルという町までバスで4時間、さらにバス1時間でアルバランに着く。マド発が朝8時半ごろで、サマータイムも終わりかけであり、また結構緯度が高く、8時頃はまだ薄暗い。宿から地下鉄を乗り継いで南バスターミナルまで朝飯抜きで急ぐ。地下鉄はまだ混んではいない。目的の駅に着いたので降りようとすると肩にかついだキャンバスとかリュックが誰かに引っかかったのか前に進めないし、怒声まで聞こえてくる。ペルドン、ペルドンといいながら力を入れて進もうとしながら、ひょっとしてこれは、という思いがよぎって、ズボンの前ポケットに手をいれたら、もう財布がない。頭の中が真っ白になって誰だと振り返って、ふと下を見たら床にわての財布が落ちているではないか。
突進して拾い上げようとすると、別の若い男が財布を踏みつけようとする。とにかくひったくって下車する。すぐに中身を確認するが、1万円ほどの現金とキャッシュカードは健在のようで、札を広げて走り出す電車に向かってひらひらさせてやろうと思ったが、覚えられて復讐されてもと思いとどまる。再三中身を確認するがほぼ大丈夫なようであるが、血圧と心拍数は上がりっぱなしである。
コインが入っていたのかどうか忘れたが、ひょっとして抜かれたのかも知れない。
多分小さい財布であったのでパスする際に落としたのではないか。以外と早く振り返ったので捨てたとか、小銭入れだと思って小銭を抜いて捨てたということはなさそうである。電車を降りて気が付いたらどうしようもなかった。まあ運が良かった。
どうも集団スリのいるところに飛び込んだらしいのである。前ポケットなら取られるときは分かると思っていたが、まったく気がつかなかった。引っかかった荷物に気をとられると他のところには神経が回らなくなるらしい。性感帯で敏感だから大丈夫だと思っていたが、年とともに鈍感になっているのに気がつかなかった。
それと滞在2週間ぐらいで気が緩んでいたせいもあろう。これ以外危険を感じたことはなく、マドは安全な町だと思ってしまっていたのかもしれない。
相手の顔を良く覚えていないが、アラブっぽい若者数人のような気がする。それ以来、電車ドアの中の客の雰囲気を見て入り口を選ぶようにした。もし襲われたらラドロンとかポリシアとか叫べば、他の客が助けにきてくれるという。暴力的な行為でやられたらどうしようもないが、罪が非常に重くなるので、無茶はしないで純技術的方策をとるらしい。
宿のドアに、リュックとポシェットはあぶない、パスポートは持つな、レジ袋に入れて歩けとか書いてあったが、あまり気にしていなかった。それ以降は出来るだけカードも持たないように、現金も少なくして2,3箇所に分けて持ち、万一の場合でも宿まで帰れるようにした。
マドリよりバルセナやセジャのような観光地のほうがスリは多く、ケチャップが飛んできて、大勢がとりかこんで拭いてくれているあいだにすられるとか、おばさん数人に囲まれてもまれているうちにすられるというのもあるという。それでも以前に比べたら格段に安全になっているようで、警察ががんばっているようだ。スリのメッカと書かれているスペイン広場はパトカー常駐で、あやしげなあんちゃん2人が入ろうとしたら、警官に追い出されていた。
パスポートは新たな宿には見せる必要があり、時に宿の女将が清算時まで取り上げることもある。フランコの時はパスポートが宿から警察に届けられたというから、その名残かもしれない。カードを使うときに求められるが、コピーを持っていればいいようだ。なるべく持ち歩かない方がいい。盗られたりして再発行となると、戸籍謄本をもってこいといわれるらしく、事実大使館のホームページにもそう書いてある。そんな馬鹿な。へたすると2週間位かかってしまうかもしれない。そうか、今度は戸籍謄本を持っていくか。

その日の夜、アルバランの宿のレストランのマスターに、この表題の表現で話したら、アラゴンのワインを一杯おごってくれた。

    

           裸婦デッサン CBAにて     作品と言うより練習なのだが。固定ポーズにあきると時々デッサンの部屋に                                 侵入して練習をする。お陰で形を取るのが早くなったような気がする。


                                 CBAR文化
今回の旅ではレストランにはほとんど行かず、BARですべてすませた感がある。朝と昼飯はBARでカフェ・コン・レチェとボカディージョで大体済ました。ミルクコーヒーと生ハムサンドで、たまに目の前で機械でしぼるオレンジジュースを足す事もある。大体3〜4百円で済む。スペインは甘い国で、コーヒーに砂糖の袋が大体2つ付いてくる。これは半袋で十分である。しばしばオレンジジュースに砂糖の袋が付いてくるのには驚く。値段も場所によって差があり、国会辺りのBARに間違って入ったら、議員らしいかっぷくのいいおっさんばかりいて、7〜800円取られる。
BARはどこにでもあり、盛り場では目白押しに並んでいる.
ほかにcafeteria、cerveceria(ビアホール)とかtapasteriaなんて造語の看板をあげている店もあるが、ほとんど同じもので、テーブルの数が違うくらいであろう。pizzeriaというピザ屋に入ったことがあるが、BARにピザのメニューが足されているようなものであった。
夜デッサンを抜け出して手ごろなBARに入る。カーニャという生ビールが一杯100円でそれにおつまみの皿-タパス-が付いてくるのが普通である。生ビールの注ぎ方も豪快で、どこもざぶざぶと溢れさせて泡を流すのである。ビール2杯とワイン3杯で大体出来上がり、おつまみ5皿でお腹も満腹となる。つまり500円で飲んで食べてということになり、ご帰還となる。
つまみはオリーブの実の塩茹で、生ハム、鰯の酢漬け、ジャガイモのアリオリソース和え、パンにソーセージを載せたものなどで、運がいいとパエジャが出てくる。どうもスペインでは米は野菜扱いらしい。ケースにいろいろなつまみが用意されているが、よほどなじみにならないとつまみを指定することは出来ない。つまみはBARの競争の原点で、親父が朝から腕によりをかけて作り、つまみの上にフランス料理のように特別なソースが糸のようにかかっていたりする。
不景気で金がないのだろうか若者は滅多に店には入ってこない。夜中12時過ぎまで広場一杯にひしめきたむろしているだけである。たまに数人で若者が来るが、ビール1杯とポテトチップスで粘っていく。
BARにも専門店があり、おつまみというか料理は別料金で、ムール貝のオリーブオイル炒めとか,いかやマテ貝、マッシュルームの炒めたもの,オレハという豚の耳を千切りにして炒めたものなどが4〜9百円で注文できる。これがみんなうまい。
帰る前日、うまかったまて貝を記念に食べに一人で行ったが、15cm位のが13,4匹出てきてそれでお腹一杯であった。
BARでこんなものだから、restauranteで1人前のものを頼むととても食べきれない。鳥が半身出てきたりする。
ビジネス街のほか住宅街にも数十mおきくらいにBARがあり、住民の生活にしっかり根付いている。宿の近くのBARにもよく通ったが、いつも近所の同じメンバーが一角を占拠して呑んでいる。そこにいつもの赤ん坊をだいたおばあさんが現れる。ご近所の社交場である。80代のおばあさんがなにも飲まないで店の中を話をしながらいつも歩いているが、親父はなにも言わないどころか、そのおばあさんのために隅の小さいテーブルを用意していて、reservadoという札を置いてある。
サッカーのいい試合があるとBARは超満員と成る。Real Madridが点でも入れたら大騒ぎである。いい試合は有料放送でしかやらないようになっていて、有料放送が月数千円するので、BARで試合をみる方が安いということらしい。
それからBARの重要な役割がトイレである。地下鉄や国鉄の駅にはトイレはまずない。よほど大きなターミナルにいけばなんとかなるが、町中や公園にもトイレは期待できない。やむ得ずBARのトイレを借りるのであるが、タダでもいいそうであるが気が小さいのでまたコーヒーを飲む事となる。長距離バスの途中休憩にもトイレはなく、みな当然のごとくBARの奥に入っていく。
ものの本にはきたない、溢れるトイレの事が書いてあるが、そんなことは無かったのは幸いである。


                                 Bスペインの美術環境
マドには美術館が多い。デッサンのアトリエがが4時からなので、あちこち見物して疲れ果ててからデッサンをするという苦行が続いた。プラド美術館は今回2度行き、ソフィア妃美術館は1度だけゲルニカに再会しにいった。あとティッセンとかいくつかあるが、プラドは見ごたえがあり、スペインがヨーロッパを席捲していたころのイタリアからオランダなどを含め重要な作品が並んでおり、1日では見切れないし、疲れ果てて途中で失礼することになる。goyaの着衣と裸のmayaが並んでいるなんて信じられないほどである。同じ頃同じ教室でスペイン語を習っていた女性がピカソが好きでゲルニカを見に行ったのだが、ミロやダリをゆっくり見ているうちに閉館時間となり見ずに帰ってきたという。プラドが900円、ソフィアが600円くらいで日本の1/3くらいの感じで非常に安いし、うまく曜日を合わせると無料の日があったりする。
しばらく通ったアトリエはCirculo de Bellas Artesという芸術協会とでもいうべき組織でスペイン銀行や国会に近いところにあり、展覧会場、cafeteria、本屋、劇場、映画館とビリヤードを併設し、賛助金等で運営しているらしい。最短3ヶ月の会員登録に7000円ほどかかるが、出入りが自由になったり、割引になる。6階にアトリエが4つあり、1つは花や壷がいくつかしつらえてあり、静物画を自由に描くようになっており、あとは5分とか10分のヌードクロッキー、45分のヌードデッサン、2週間ほどの固定ポーズの部屋となっていて、どこに行くのも自由である。

アトリエの風景であるが、モデルは休憩中である。イーゼルと一体になった椅子が並んでいるが、なんとgoyaのデザインだという。
びっくりしたのは日本人が7,8人もいたことで、画学生風若者2人、在住婦人3人程度、私含め中高年3人であった。
町を歩くと結構中国人がいるのであるが、アトリエには1人もいなかった。宿のマスターにそのことをいうと、中国人は金儲けしか考えていないよといわれ、あっさり了解。
日本では7000円では2,3日しか描けないが、3ヶ月通っていいいのである。ここには先生がいないのであるが、先生がみっちり指導してくれる学校でも月2,3万程度だという。絵の勉強をするのにパリよりスペインの方がいいかもしれない。ソフィアの美術館の新館に行くとあまり好きではないが現代美術に力を入れていることが良く分かり、新たな潮流を作り出すのではないかと思っている。
ただし、町の画材はそんなに安くないのが苦しい点であった。
このアトリエの困った点が、夕方4時から夜の10時までで、どうも生活リズムが合わないのである。大体固定ポーズの部屋にいて、3時間は男のヌード、3時間は女のヌードだったのであるが、9時くらいになると横で油の作品を描いている先生に声を掛けて、モデルがいやな顔をするのを御免なさいといってバタバタと退出し、近所のBARを飲み歩いて、宿の風呂の門限12時前に帰るのが常であった。
 
                   

                     風車の町  Campo de Criptanaにて、  F6



                                 A自立・自己責任
これは地下鉄の写真である。何種類か車両があり、それぞれボタンを押すとかレバーを押し上げないとドアが開かないのであるが、寒い冬対策のようである。運転手1人で車掌はいない。先頭の壁についた大きなミラーを見ながら運転手がドアの開閉をしている。


おまけにホームには駅員は1人もいないし、よほど大きな駅には切符売り場に1人位座っている程度である。したがってうるさい放送は全く無く行き先とあと何分で来るかといった電光掲示だけである。大人の乗り物である。
時々警備員が棍棒を下げて巡回しているだけであり、日本であれば危険だとか議論が沸き起こりそうである。
ある人が交通事故を見たそうであるが、警官が来て目撃者が跳ねられた人が赤信号で渡っていたと証言したら、跳ねた車はすぐ行ってよいということになったという。
マドリ市内のバスはどうも苦手で、次の停留所の案内は一切無く客が景色を見てボタンを押すしかない。旅行者には使いにくいものである。
日本と違って自己責任という風がかなり強いようである。
政府が福祉の切捨てと税率アップを図っているようで、毎週金曜の午後大きな通りを車を止めてデモが行われていて。家族や個人が子供まで連れて参加しているが、ばらばらに歩いていて組織だった参加ではないようだ。ある本によると自分の意見を表現しない日本人がスペイン人には理解できないとあった。日本は何事も情緒的で自己発現をさけるところが多く、少しスペイン風を取り入れたらどうかといろいろ考えさせてくれる。
(土日にcentroで行われるおそろいの色のシャツを着たデモ隊は組織的で過激で、よく警官隊と殴り合いをする。)
BARで朝食にコーヒーとトーストを頼むと、コーヒーにミルクの器を2つ持ってきてミルクの温度はどうするかと聞いてくる。パンはどんなパンがいいかとか、マーマレードかつぶしたトマトか、さらにトマトを選ぶとオリーブオイルを乗せるかどうか聞いてくる。うるさいし会話が苦手なので苦痛なのであるが、ここでもしっかり自己主張をしなければならない。向こうにすればそれがサービスなのだろう。
といって冷たい個人主義ではないようで、みんな地下鉄の駅の開きドアをかなり遅れてくる次の人を待って長いこと開けてくれるのである。いちいち礼をいわなければならないのもうるさいと思う事もある。エレベータで10mくらい向こうから乗りに来る人がいたのに、開のボタンを押さずに日本式に閉めてしまったら、睨まれたことがある。
また、わざとリュックの中の三脚や椅子が見えるようにしていたら、地下鉄でわざわざ遠くからふたが開いているよといいに来てくれた人がいた。意外と親切でお節介なのである。
                       
                      

                      独立   水彩12号   madrid CBAにて


                                 @人種のるつぼ
前回もそう思った事だが、髪の毛や肌の色が多様な人の集まった国であることで、それが歴史的に長く当然のことになっており、アベックでもアラブ系と黒人が腕を組んでいてスペイン語を話していると不思議な気持ちになる。ギリシャ、ローマ、西ゴート、アラブ等の人々が入っているようで、それに今では船で2,30分でアフリカから渡ってくることができる。大都会ほど多様な人種がいるようで、地方にいくと黒人などはあまり目立たない。永くアラブに支配されていた町にいくとスカーフをまとったアラブ系女性を良く見かける。広場の隅にはジプシーも健在である。さらに最近は中国人もかなり入ってきていて、小さなスーパーとか中華料理屋を営んでいる。
人種差別めいたものを見聞きした事はないが、広場でまがい物のハンドバッグや、海賊版DVDを売っているのはアラブ系がアフリカ系のように見える。かれらは大きな風呂敷の対角線に紐を張ったのに商品を並べていて、とっさの際には紐を持って逃げる用意をしている。しかしあちこちにいる物乞いは白人も多く、堂々と乞食の理由を書いた札を出して、態度も立派なものだ。ある乞食が皿の金を集めてビッコを引きながら宝くじを買いに行くのを見たが、スペイン人は宝くじが好きなようで、町の至る所にロテリアという宝くじ売り場がある。
泊まった宿のマスターに言わせると、日本人を本当に受け入れてくれる国はスペインぐらいだろうという。イギリスなんかで本当に受け入れてもらうなんてことは至難のことだろうという。普段から多様な人と暮らしていると日本人に対する偏見もなくなるのだろうか。
東洋人の中でも日本人に対してはいい意味で理解があるようで、BARのマスターが握手を求めてきたり、旅先で話をした人に何度か肩をたたかれたりした。風貌で日本人と見分けているようで、いつか長距離バスが軽い急ブレーキを踏んだとき、椅子の上に置いていたジュースのボトルが転がって運転席まで飛んでいったとき、運ちゃんがそれを片手でつかんで「ハポネス!」と叫んだときはビックリした。途中でジュースを買ったのを見ていたのだろう。最初は日本人め、位の意味かと思ってむっときたが、よく考えると、日本の方!と言う意味だろうと思う。どうして日本人と見分けたのか聞きたかったのであるが、そんな語学力はない。
カトリックが経済破綻の元凶であるという人がいたが、多民族性が経済の足を引っ張っているなどといわれないことを祈りたい。
                
                  若い裸婦 透明水彩12号 Madrid CBAにて