ウダツの研究     

●ウダツとは
ウダツが上がらないのでウダツの研究を始めました。研究というほどでもないのですが。
そもそもウダツとは何でしょうか。
以前私は、古い民家の屋根の上に乗っている煙出しという排煙口かと永く思っていました。
あるきっかけから、ほんとのウダツを知り、気を付けているとよく昔の街道などに見かけることが多くなりました。
本に出ているウダツを訪ねても、そこにはすでにプレハブ住宅が建っていることが多く、何とか写真だけでも残そうと思ったのでした。しばらくほおって置いた写真と、素人ながらの分類とか考察を加えて掲示して見ました。専門家の批評に耐えられるものではないのですが、興味を持つきっかけにでもなれば幸いです。
ウダツの目的・機能などよく分からないところが多く、不思議なところが興味をかきたてます。

とりあえず、典型的なうだつを。まず、屋根の上のたてに走る2本の小屋根、これがウダツです。これはJR西日本の安土駅横のお菓子屋の写真です。走る電車からのスナップで、ぶれていますが、とりあえずウダツとはこんなものです。これはかなり最近に作られたようですね。これは完全に装飾的にポンと置かれたもののようです。


これは洛中洛外図に多くみられるウダツの一例です。長屋の板葺の屋根にウダツがつけられています。16世紀ころからウダツがあったことが分かります。
しかし、この絵のウダツは、柱割と関係なく付けられており、下に壁が無さそうなのが面白くないですね。


●ウダツの語源

ウダチとがウダツとか言う事があるようです。
卯立とか宇建とかいろんな漢字があてられますが、音だけで考えたほうが良いようです。
2本の垂木というか破風板が棟で合わさる部分を「ウ」と呼ぶそうです。ここの梁と棟木をつなぐ束のことを「ウダツ」といい、押さえつけられている格好から「ウダツがあがらない」という言葉が生まれたとする説があります。
私はウが立ち上がるのでウダツというのではないかと単純に思っています。
従って、ウダツ(本うだつ)がつく屋根の形式は切妻造りが基本です。

●ウダツの種類 
あとで写真を見ながら説明しますが、上で説明した本ウダツというべきもののほかにも、いろいろな形式のものがあります。
  1.本ウダツ
  2.袖ウダツ
の2種類が基本です。
あと誤解やまぎらわしいものとして
  3.袖壁をウダツと呼ぶ場合
  4.大和高塀造りの本ウダツ風のもの.
があります。

●ウダツの機能
目的や機能は割とはっきりしているように思います。
ウダツがあがらない--の言葉のとおり、後世では単なる家の格や豪華さをを示す単なる飾りとして扱われる例もあります。袖ウダツでも防火効果のない付け方をしたりします。

・屋根の保護・強化
   ケラバ瓦(妻側の端の瓦)など屋根材が風で飛ばないように壁で風をおさえる。
・防火あるいは遮音
   本ウダツは隣家からの延焼を避ける効果がありそうに思えます。妻側の軒裏を廃して塗り壁を立て
   るのですから。しかし壁が板のままのものもあって悩ましいのです。
   袖ウダツは防火目的でしょう。隣との間の屋根の上などに壁を下から
   立ち上げたもので、軒までつながっていません。瓦などでデコレーションを施すのが普通です。
   これも板のやつがないわけではありません。

●ウダツの分布
本ウダツは京都を中心とした古い街道に良く見られます。北陸・滋賀・美濃が中心で、東北にもあるようです。京都は西陣に集中していましたが、ほとんど取り壊されています。農家などにはまれで、商家や陣屋などに多く見られます。(大和高塀造は農家)
四国には袖ウダツが中心に見られます。袖ウダツは大阪の北浜・堂島界隈の金融関係の建物に豪勢なものが見られます。



●本ウダツを中心に
ではいくつか見ていきましょう。

まず京都から。
これは西陣の有名な高級スッポン屋さんの屋根です。なかなか美しいカーブの屋根で、ウダツも引き立っています。
これも西陣の北のほうにいくつかあるものの1つです。だいぶ痛んで来て壁にはトタンが貼ってあったりします。消えていくのは時間の問題でしょう。よく見ると袖壁がついていますね。
以前は2,30箇所はあったようですがもう4,5箇所しかありません。もはや美しくないし西陣の写真はこのくらいにしておきます。
これは鞍馬の街道沿いに5,6箇所残っているものの中で、しっかり保存されているものです。油などを扱う商家だったようで、指定文化財です。
これも鞍馬です。
これは近江八幡のウダツです。板張りになっていますね。後で窓をつけたときに板にした事も考えられますね。
出石のウダツ
兵庫県出石には4つほど見つけました。全部正統派の本ウダツで両方の妻についています。
これも出石です。
越前大野のウダツ  壁はトタンの波板で無残です。
滋賀県草津市の本陣のウダツ  
妻入りの家の平側に無理やりウダツをつけたようなおかしな格好です。
修復の時にへたなデザインをしたのではないでしょうね。
 石川県山代温泉のウダツ
くすりのかかった瓦で、壁が赤く立派な旅館でした。
真中の破風はかざりのようですね。
これは大阪備後町あたりの佃煮屋さんの本ウダツですが、木造モルタル造りで昭和20年代あたりでしょうか。ちょっと色気が足りない。
最近のやつでは鉄骨造のやつも見たことがあります。本来の目的を忘れて、形式のみ伝わっていくのですね。

 

その他、兵庫県八鹿、滋賀県近江高島、福井県今庄などで本ウダツを見たことがありますが、写真は省略します。
愛知県美濃市には集中的に保存されています。



●袖ウダツ
これは、1階の屋根の上の隣家との間に建てた瓦を葺いた小壁ようなものです。原則2階建てにつきます。
瓦を載せ漆喰で固め、ごてごてと飾り立ててあるのが普通です。はなはだしいのは玄関横にドンと置いてあったりして、どうもこけおどかしに作ったような気がして、あまり好きではないのです。

これは徳島県貞光町のもので、家紋がはいったり、2階建てになっています。絵まで描いてあります。
たしかにこんなウダツあげるのは大変ですね。うだつがあがるという言葉との関係を感じてしまいます。
有名なのがこの四国の脇町です。
袖ウダツの壁厚が非常に厚いのがずらりと並んでいて壮観です。高さも軒裏まで届いていて防火の効果もありそうです。ここのは江戸末か明治のころのものです。藩主が防火壁として推奨したそうです。
大阪の北浜あたりの袖ウダツです。木造モルタルで戦後のものと思われます。これでは防火の役にはたたないでしょう。
やはり大阪の北浜の南の備後町・周防町あたりの戦後と思われる商家の袖ウダツです。壁は漆喰ですが、うだつはモルタルの洗い出しとかいうやつです。
単なる飾りですが、こんな流行というか様式がどこからきたのでしょうか。
四国域の影響かなと思ったりします。
こんな建物はどんどんなくなっていきますね。
奈良の明日香村の岡寺の門前に立派な袖ウダツがありました。お向かいは新しい犬飼記念館で、それも町の景観維持のためでしょうか、同じようなウダツを付けていました。
奈良市の東大寺東にある袖ウダツ2題です。左のほうは2段になっており、四国の貞光のものを思い起こさせます。モルタル洗い出しで昭和のものでしょう。
おっと、こんなところで発見!漆喰塗りですが、ガラス窓といいそんなに古くない模様。
倉敷市東町にただ1つありました。
大阪府茨木市の茨木神社の南にあった袖ウダツです。えらく低い位置に2段のものがつけられており、袖壁と併用になっているのが珍しい。

一応防火壁といっておきましようか。でも、上のほうが空いているのもあって、やはり、かっこ付けの飾りになってしまったのでしょう。それだけ、ウダツがあがらない-という言葉との関係を考えてしまいます。金がかかりそうですもんね。
袖ウダツの発生は本ウダツより新しいような気がします。大阪や奈良の街中にも昭和のころらしいものがひょっこり残っています。これが見られる地域は、東北から九州まで見られる本ウダツと違って、かなり限定されているように思います。
四国、大阪、奈良あたりでしかみたことはありません。ウダツという名前がついているからウダツでもしょうがないのでしょうが、本ウダツとは出自は無関係でしょう。



●袖壁造り
本ウダツの下にも良くついていますが、2階の隣家との間に壁をぶら下げるという感じのやつです。
ほとんどが漆喰塗りで、これは完全に防火目的です。なぜかほとんど下のほうがすいていて、いいのかなと思いますが。炎は上に行くのでいいのでしょう。
これは近くのちょっと古い町並みや街道筋にいけば大体お目にかかれます。でもどんどん壊されています。

袖壁ををウダツという人が結構居ますが、
断じてウダツではありません。

これは郡上八幡の袖壁の町並みです。地元の人はちゃんと袖壁といいます。正しい!
江戸のころ大火がありその後、藩主の命令で袖壁が義務付けられたそうです。
長野県奈良井宿の袖壁です。まずこれは、防火壁というより深い庇の雪の加重を柱に伝える構造体と見えます。だって板張りでしょう。ちょっと下のほうの切り欠きのようなのが気になりますが。

地元の人はウダツと呼んでいました。
違うってば!
これは同じ奈良井の袖壁です。これは防火用ですね。構造体を合理的に兼ねているような気がします。


●大和高塀造りとその考察
これは悩ましい屋根ですね。見れば見るほど本ウダツとおんなじ格好です。地元の人は大和造りとか大和高塀造りとかいう名前がちゃんとあるので、ウダツとはほとんど呼ばないようです。

以下、奈良県新庄辺りの高塀造りです。もっと格好のいいのを良く見るのですが、割に良く見るので、写真になっていないのです。羽曳野とか大宇陀に保存されている民家も美しいものです。  
良くあるこの形のものではウダツ風の小屋根がないと、かわらと萱の継ぎ目の雨時舞ができないですね。
これは棟の周辺のみ瓦になっている屋根です。
このまま瓦を前面に敷くと、ほぼウダツ部と屋根が同じ高さになり、立ち上がりが見えないウダツになります。大和風ウダツとも呼ばれます。そんな屋根は橿原の今井町に多く見られます。それらも本ウダツとは別の系列と考えられます。
奈良県大宇陀町の指定建物の大和造りです。棟まで萱葺で千木のようなもので押さえてあります。やはり萱と瓦のコンタクトに壁が立ち上がっています。これだけしっかり漆喰を塗ってあると防火機能を認めたくなりますが、家の中はツーカーかも。(未確認)
奈良県都祁村にあった典型的な大和造りの屋根です。
残念ながら、萱の部分がアスファルトシングルになっていました。この萱で葺くところを瓦にすれば、今井町などの大和風ウダツになりそうです。

私見ですが、高価な瓦を全体に採用するわけにいかず(あるいは農家には瓦を使う上で規制があったのでしょうか)、部分的にかつ効果的に配置した、農家の屋根のつくりなのでしょう。そのためか大きな農家がこのつくりになっています。茅葺と瓦のコンポジションがえもいえぬ美しさを作っています。名前のとおり奈良県の南葛城、大宇陀、奈良市や近郊の山の中の集落に美しいのが残っています。淀川を北に渡って北攝でも見かけることがあります。最近は萱が手に入らないのか、その部分がどんどん鉄板になっています。
本ウダツが防火の機能を持っているのに、そんな気配はありませんし、大体独立家屋で必要はないのです。
どうも瓦と萱の間の雨仕舞の見切り縁として、あるいは萱を守る風除けに小屋根を乗せたのではないかと思います。
本ウダツとは別に発展を遂げた、ジャワ原人のようなウダツなのでしょう。でもウダツと呼ぶべきか難しいところです。





うそかまことか、本ウダツのルーツ発見

加賀白山登山の入り口にあたる白峰村を散歩していたらこんな屋根を見つけました。
まあ、見てやってください。

建物も面白い雰囲気をもっていました。屋根は柿(コケラ)葺きです。おや、ケラバの上になにか。
屋根を裏から近づいて見たところです。
木で作ってありますが、まるで本ウダツではあーりませんか。そうかケラバのコケラを風から守っているのだ。
近くのスレート屋根にも木のウダツ様のものが。
この辺の棟梁のくせかな。

ということで、すっきり腑に落ちました。というか落としました。

                ”うだつの進化 やまおじん仮説”

           1.本ウダツはケラバの保護部材から始まった。
                      
    2.瓦になるとそれ程ケラバの保護は意識されなくなり(ケラバ瓦なども発達した)、
     防火の役をもたされるように壁を伴うなど姿を変えた。
        
                      
            3.単なる飾りとしても発展を始めた。

従って、1.の段階で進化の袋小路に入った大和高塀さんも本ウダツに入れることにしました。
おめでたう。


以上、科学的な実証や、文献研究を飛ばした直感的なレポートでした。面白がって頂けたらうれしい。
                      蛇足 ウダツ妄想