相馬御風 そうま・ぎょふう(1883—1950)


 

本名=相馬昌治(そうま・しょうじ)
明治16年7月10日—昭和25年5月8日 
享年66歳(大空院文誉白雲御風居士)
新潟県糸魚川市清崎3―34 大町地区共同墓地




詩人・歌人・評論家。新潟県生。早稲田大学卒。「早稲田文学」の編集に参加。また三木露風、野口雨情らと早稲田詩社を興し、自然主義の立場から評論・口語自由詩を発表。晩年は良寛の研究に努めた。評論『黎明期の文学』『大愚良寛』詩集『御風詩集』などがある。








 かくして外へ外へと進むことによっていつしか自己の眞に求むるものの何であるかを忘れんとし勝ちであつた私にとりて今こそ初めてまさに失はうとして居た心の故郷の懐かしさが眞に感じられ出した。永い間の思想的放浪生活は今や私に故鄕そのものゝ存在を知らせてくれた。そしてこれまでの私の放浪生活は、新らしい別個な世界に到るための旅ではなくして、舊きおのが住家の如何に價値あるものであったかの新らしき自覺に導くための試練の旅であったことが自覺された。可愛い兒に旅をさせろの旅であった事が自覺された。
 私は今その心の故鄕へと歸って行くのである。そして全く柔順なる心を以て、そとの生活の味はひを味はひ、それによって失はれつゝあった私の心の統一を取り返さうと思ふのである。
            あしの子があしのふるさと立ち出でて
                  また立ちかへるあしのふるさと
 幼い頃誰から敎はったと云ふ事なしに敎はつたおほえのある此のやうな古歌を、再びロずさみつつ、私はその私みづからの心の故鄕へと歸って行くのである。これまでのかなりに永い思想的放浪生活の間のさまざまの經驗を幻の如く思ひ浮べながら…。

(還元録)



 

 早稲田大学の校歌「都の西北」や童謡「春よ来い」などの作詞者としても著名な相馬御風は、自然主義文学の詩人、評論家として活躍したが、昭和5年『還元録』を刊行して批評の第一線から引退し、故郷糸魚川に隠棲、トルストイや良寛の研究に没頭していた。昭和20年8月、外傷性敗血症で病臥中、敗戦の報に衝撃を受けて危篤状態に陥ったが、奇跡的に一命をとりとめた。翌年ころからは左半身の具合も悪く、ほとんど左目は失明状態であった。外出も一切しなくなり、静養に努めた。24年4月に『待春記』を出版、これが最後の著書となった。昭和25年5月7日夕方に突然脳溢血で倒れ危篤状態になり、8日午前10時40分、脳溢血のため糸魚川市の自宅で死去した。



 

 糸魚川の駅舎から眺める山々、烏帽子岳から駒ケ岳、雨飾山、乗鞍岳、明星山などの高峰が残雪を冠ったまま、水無月の空に浮かんでいる。駅から緩やかな勾配の坂道を上っていくと相馬御風記念館や市役所があり、その少し先の右手に大町地区共同墓地が見える。相馬家先祖代々の墓所は元菩提寺の善導寺にあったが、昭和7年に全焼して移転してしまい昭和14年10月に清崎城跡の小高い丘の上の共同墓地に移転した。石の玉垣で囲まれた墓所中央の大きな台座の上に碑文字が風化して解読不明な二基の墓石と観音像が並ぶ。中央の墓碑が御風の墓である。墓域には昭和61年に御風の長女文子が建てた御風の歌碑「これの世に逢ふこともなくつぎつぎに逝きにしうからここにつどへる 御風詠」がある。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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