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※このお話は12話直後のお話です。
精霊王の調伏を終えブラスに帰ってきた。
ブラスの北の森にすぐさま精霊王の依り代となる苗木を植えた。
樹は1日で見る見るうちに育ち、あっという間に小世界樹となった。
成長が早かったのはブラスの森の自然の力が豊かなためだ。
あーしがずっと見ていなくても、この森は世界樹の力を得てさらに豊かになるだろう。
精霊使いとしての仕事は一旦山場を過ぎた。色々な問題も一通りは解決した。
よし、ようやく、この時が来た。
今を逃したら、言う機会は一生無くなる。
そのくらいの覚悟が出来た。
あーしは慣れ親しんだポムの家の前までやって来ていた。
マーモから帰ってきて、船は壊れてしまったから、出航しようにも出来ないはずだ。
あれからひと月以上経っている。ちゃんと生活出来ていたろうか?
ドアを開けようとする。緊張してきた。なかなか開けられない。
意を決して開けようとした時、内側からドアが開いた。
ポムだった。
「おう。よう来たの。何かいる気配がすると思ったんじゃ。ま、入れ」
ポムに導かれ中に入る。ポムに椅子に座るように言われたが、落ち着いてる場合じゃない。
和んでしまえば、また、ずるずると引き延ばすことになりそうだったから絶対に座らない。
動こうとしないあーしを心配してポムが近くに来てくれる。
「どうした。熱でも有るんか?」
手が触れそうな位置まで来た。
意を決する。今、言うんだ。焦らず言えるよう、大きく息を吸う。
「ポム。話を、聞いて」
ポムは静かに聞いている。
「あーし。ポムが好き。付き合って欲しい」
……やっと、言えた。………言えたのは良いんだけど。
……ポムからの返事が、無い。
……しばらく沈黙が流れる。この時間がたまらなく長い。
「…断る」
「うぇっ?」
変な声が出た。
断られると、思ってなかった…。
最近、冒険とか結構してて一緒に船とかもよく乗ってたし、
こないだだってマーモ島に行く時だって凄く優しかったし、
やっぱりポムはあーしの事よく見ててくれてるよねとか、
お帰りって言ってくれた時の目だって凄く優しかったし、
船が沈んだ時だってまた買えば良いって言ってくれた時の顔も
凄くかっこよくて惚れ直しちゃったし、
結構良い雰囲気なんじゃないかなとか思っちゃってたんだけど……。
何か、勘違いしちゃったかな…。
あれ、どうしよう。今さら、焦ってきた。消えてなくなりたい…。
あれ、なんで? …あれ? …あれれ?
「アンスよ…」
あ、なんかポムが言おうとしてる。
これ、死刑宣告かな?
ダメ押しは、ちょっと、今はやめてほしいな…。
言い方次第では、あーし、明日にはこの世にいないかもしれないよ?!
足が震えてきた。
ちょっとマジ勘弁してよ…。
何を言われるか分からず、目を閉じて、顔を伏せてしまう。
「お前を愛してる…。俺の、女になれ」
…。
……。
………。
「ば…」
「…」
「ばかばかばかばかーっ!」
「…」
「びっくりしたじゃん!断るって何よ!同じ事言ってんじゃん!
もう死んじゃうかもって思ったでしょ!一体、何考えてんのよ!」
「…」
はっ、っと気付く。ポムは黙ったままだ。
おずおずと見上げる。
ポムの目は真剣だ。ふざけてなどいないようだった。
ずっと、あーしの顔を真摯な表情で、優しく見つめてくれている。
ポムは古いタイプの男だから、女のあーしから好きと言わせない?
…違う。…思い出した。
前にそんな感じのことをあーしが言った気がする。
――がつんと、言って、くれたんだ。
ポムは言葉の少ない男だ。これを言うのだって、あーし以上に勇気がいったはずだ。
ちゃんと、あーしが、求められて乞われて女になるよう、頑張って言い直してくれたんだ。
いま、ここで間違っちゃ、絶対に、いけない。
あーしは、焦ることなく、迷うことなく、疑うことなく、愛する彼にきちんと答えるため、
今まで生きてきた中で、一番真剣に答えた。
「あーしを、ポムのものに、してください…」
出会ってから、30年。
あーしとポムは、この日、初めて、結ばれた。
※このお話は12話終了後から、1年以上経ったお話です。
ブラス村に、仕事ギルドという組織を作る事に決めた。
発起人はライトネスだ。
よその村や町にある冒険者ギルドとは、まるで意味合いの違う組織として運営する事とした。
冒険者ギルドは、いわば危険を伴う仕事を中心に取り扱う組織だ。
基本的にはならず者や、夢を追いかけているような輩によって成り立つ。
日常的な仕事のあっせんというよりは、一攫千金を狙うギャンブル性が高い仕事ばかり、
と言えなくもない。
仕事ギルドが扱う仕事とは、きちんと毎日働けば利益や生活が
ちゃんと保証されるような安定したものだ。
ごく一般的な日常の仕事に、きちんと価値と対価をもたらすという仕組みなのだ。
冒険者ギルドと比べて地味としか言いようがないが、日々、暮らしていく為には
こうした事を整備するのが一番有効である、と皆を説得したのだ。
元々は救貧所で仕事をあっせんする仕組みとして考えていた。
だが、仕組みを上手く作る事さえ出来れば、色々な事に応用出来るのではないか?
と思い至り、様々な仕事を管理して利益を調整するという、
新しい考え方のギルドを始めてみようという話になったのだ。
その頃から、戦士や、各神殿の神官、各ギルドの長や魔術師、マーモの文官、
ドワーフや妖魔たちなどと一緒に、仕事ギルドの仕組みを検討する会合を開いていた。
だが、事あるごとにシャーロットと意見の対立が有り、
かなりライトネスをイラつかせているのだった。
ライトネスは穏便に話そうと思ってるのに、シャーロットがわざと突っかかってくる。
それもいちいち正しい。
さらにその言い方がライトネスを怒らせるような言い方しかしないので、
腹が立ってしょうがなくて、いつかぶん殴ってやると思っている。
だが、ライトネスから殴りかかったら、あの女の性格だから多分殺しあうまでやる事になるので、
何とか我慢する以外無かった。
お互い、いけ好かないのだろうな、とライトネスは思う事にしたので、
なるべく会話をしないように頑張っているところだ。
シャーロットのいちいちごもっともな指摘事項は、マーモの文官や魔術師達や神官が優秀なのか、
何だかんだで大抵解消され、仕事ギルドの仕組みは当初思っていたよりだいぶ良くなってると思う。
ざまみろと、ささやかな反抗心を心にしまいつつ、日々、協議を繰り返すライトネスなのだった。
今日も、何だかんだで、シャーロットとやりあった。
やりあったというよりは、一方的に言い負かされた。
それも逃げ道を完全に塞ぐような陰険なやり方だったので、悔しくて泣きそうになったくらいだ。
早々に仕事ギルドの会合を終了して、イライラしたまま屋敷へ戻ろうとする。
だが、このままでは何か物や人に当たってしまいそうな気がしたので、酒でも飲んで忘れるかと思い直し、
最近ようやく店が増えてきた歓楽街に足を延ばした。
普段入った事のない店に行ってみようと、奥の方まで入ってみる。
雰囲気の落ち着いた良い感じの飲み屋があったので入ってみる。
大きな店では無いが、テーブル席とカウンター席に分かれていた。
今日はあいにくテーブル席は満席で、カウンター席が残り2つしか空いていないようだった。
混んでいるが、店自体は静かな雰囲気だ。
空いているカウンター席に座り注文をする。
客はブラス村の人間が多いようだが、有名人のライトネスを見ても、店の主人も客も話しかけてくる訳で無く、
何事も無かったかのように接してくれる。
ここは静かに飲みたい客がやってくる店なのだな、と思い至る。
これは、良い店を見つけたな、と思った。
しばらくの間、ゆっくり酒を飲む。
そのうち、気分もだいぶ良くなってきた。
そんな時、カラン、という音がして酒場の扉が開き、新たな客が訪れた。
シャーロットだった。
「……」
「……」
空いてるのは隣の席しかない。自ずと隣に座られる。
シャーロットが一番端の席に座っているため、彼女が会話するとしたら、店の主人か、ライトネスしかいない。
正直、今話しかけられたら、イラつくのが目に見えているので、出来れば会話したくない。
かと言って、席を立つのは負けた気がするので、絶対、嫌だ。
シャーロットは特に話し掛けてくるでも無く、注文を淡々として、静かに飲んでいた。
こちらも話しかけるつもりは無いので、黙々と注文し、負けじと飲む。
話をせずにひたすら飲んでいるので、ふと気付いた時には、普段より相当飲んでしまっている状態だった。
あ、これはまずい酔い方をする手前だと自覚した時に、不意に言葉が出てしまう。
「ちょっと…頼み過ぎたな…」
「飲み過ぎは体に毒ですわよ?」
「うるさいな。お前に言ってないだろ」
「…それは、大変、失礼いたしました。大きな独り言ですこと」
「…ムカつく言い方する奴だな」
「あら。それも独り言でしょうか?それとも、大好きな神様とお話してるのかしら?」
いかにも嫌味だった。
一瞬、イラっと来たが、ライトネスとしては珍しく、手が出なかった。
2、3時間ほど前、口喧嘩で大負けしたというのに、何か口で対抗したくなったのだ。
何か言い負かしてやりたいと思いながら考える。酔った頭をフル回転だ。
だが、頭を使ったからだろうか。考えが回るどころか、酔いが回ってきた。
頭の中がぐるぐるーっとして、一瞬で何を言いたかったか分からなくなる。
対抗したい気持ちはあるが、本当に言いたかった事とは違うことを言い始めてしまう。
「そうね。私は神の声が聴けてしまうから」
シャーロットが不思議そうにこちらを見ている。
意外とでも言いたそうな顔をしている。
まさか聖女の話を知らない?知らないはずは無いんだけど。
シャーロットが意外に思ってる事が、何に対してなのかを理解出来ないまま、ライトネスは話を続ける。
「ん?知らなかった?一応聖女よ?神の声が聞こえるの、私」
「…え、ええ。そうでしたわね。…今も聞こえているのかしら?」
「今は聞こえない。何しろ突然来るの。良い迷惑よ」
「それは…、神への不敬にあたるのでは…? そんなこと言って大丈夫なのかしら…?」
「大丈夫よ。いっつも勝手な事ばかり言うだけだし、聞いちゃいないの…。
言われた事を必死にやる方の身になれっていうのよね」
「…そう、ですわね…」
シャーロットは思案顔でそれに同意する。
彼女にも何か思い当たる事が有るようだ。
ライトネスの話は続く。
「それも頭ごなし。こっちが断らないからって言いたい放題…。言いっ放し…」
「…分かりますわ…それ」
「それも大っ抵、無茶振り。思い付いたら何でも言えば良いってもんじゃないよね?」
「分かり過ぎますわね…」
「それも言った側から、まだ終わらないのか?!みたいに次の話を言われるの。
まだ前の用事に手も付けて無いのよ? ちゃんとこっちのこと見ててよって思う」
「有りますわ。…それ、すごく有りますわ」
「さらに、用事だってちょろっと言うだけで、後は考えろ、みたいなのばっかり!」
「お願いね?って言えば、後は全部考えて?…みたいなところ有りますわね!?」
「そうそう!そんなお願いばっかりで、こっちの言う事なんか、聞いてくれた事、一度も無いのよ?」
「…ほんとに。ほんとですわね…。…せめて一言、ねぎらいの言葉くらい、欲しい時は有りますわね…」
「でしょう!? 頑張ったね、ありがとう、とか、いつも一生懸命なところ見てるよ、とか、
何か言って欲しいじゃない?! こっちは気持ちで動いてんのよ!」
「分かる! ありがとうって言われるのかなと思ったら、何事も無かったように、
次の用事を矢継ぎ早に言われたりしたら、正直なところ、やる気無くなりますわね!」
「それ!ほんとそれよ!いっつもそれ!いい加減にしろって言うのよ!」
お互い、別々の相手を思い浮かべてるのだが、話が合ってしまったらしい。
ライトネスは酒場の雰囲気に反して、ひたすらその調子で日頃の溜まった鬱憤を吐き出し続け、
シャーロットはそれに最大限の共感を示しつつ、ライトネスに酒を勧めては自分もあおり、
話を聞き続けた。
どうやらこの2人は、立場的には似た者同士だったようだ。
しばらく経ったあと、元よりだいぶ酔っていたライトネスは、突然ぱたりと寝てしまった。
シャーロットは相当な酒豪のようで、ちょっと酔ったかな、程度だった。
店仕舞いの時間はとっくに過ぎていたが、酒場の主人は、ライトネスに相当な鬱憤が溜まっているのを見かねて、
黙って店を開け続けてくれたのだ。
酒場の主人に遅くまで騒いでしまった事を謝罪し、ちょっと多めに支払いを済ませると、
シャーロットは頑張ってライトネスをリスモア兵の詰め所まで連れて行った。
ライトネスはたまに酔い潰れる事が有るようで、リスモア兵は慣れた感じでライトネスを引き取ってくれた。
担架のようなもので山の上の家まで運んでいくそうだ。
それを見届けてから、シャーロットは歓楽街の中にある宿屋に泊まる。
さすがにこの時間にカミラ邸まで戻るのも面倒だし、酒の匂いを相当漂わせているはずなので、
見咎められれば何事かと怒られてしまう。
仕事でやむなく、帰れなかった事にすれば、バレることもあるまい。
宿の簡素なベッドにごろんと横になって、今日1日のことを考える。
仕事ギルドの会合で、泣く寸前までライトネスを追い込んでしまった。かなりきつく当たっていたと思う。
だが、本当にそれは必要なことだっただろうか。
酒場で鉢合わせたとき、彼女が嫌そうな顔をしてるのを見てカチンときた。
何か言われたら、泣かしてやろうと意地悪く構えていた。
それは余りにも大人げなかったと思う。
しばらく黙々と飲んだあと、ライトネスが隠している一面を、思いがけず知ってしまった。
また、結構似たような苦労を背負っていることに親近感まで覚えた。
ついつい話を聞きたくて、彼女が酔いつぶれるまで酒を勧めてしまった。
こんな風にはしゃいで飲んだのは、生まれて初めてだったかもしれない。
びっくりするほど気分がいい。
自然と顔がにやけているのが自分でも分かる。
そう。凄く、楽しかったのだ。
今まで、領主としての資質を試すために、意図的にライトネスを意地悪くいじめていたのだが、
正直、やりすぎだった。
罪悪感や反省心などが押し寄せてくる。
シャーロットの中で、ライトネスを見る目がすっかり変わってしまう日となった。
ライトネスとシャーロットが飲み明かした数日後。
シャーロットは飲ませ過ぎた謝罪をするため、ライトネス邸を訪れていた。
翌日に訪れたかったのだが、ここ数日、仕事ギルド関連に協力的でない面々に対して、
徹底的に力技で調整をしていたので、訪れる時間を作れなかったのだ。
ライトネスのあの様子だと、何も覚えていないかもしれないな、とは思っている。
以前の自分であれば、酔ってへべれけになった女など、家まで送ってやろうとも思わなかったろうし、
飲ませ過ぎたと謝る気なども、さらさら無かったと思う。
さらに言えば、散々嫌がらせに近い事をしてきた相手だ。
謝罪などしても受け入れてもらえないかもしれない。
が、あの日から、自分の中でライトネスを見る目がだいぶ変わっており、
これはちゃんと誠実に謝らないといけない事だと思ったのだ。
ライトネスの執務が終わってからしばらくすれば時間も取れるかと思って、やや遅めの時間に来訪した。
ライトネスに直接話したい事がある、とチェリーに伝える。
チェリーがライトネスの様子を確認しに行ってくれたが、ちょっと困った顔をして戻ってきた。
ライトネスは、疲れて執務室で座ったまま寝てしまっているらしい。
できれば帰ってほしそうな顔をしているチェリーに少しだけ我が儘を言って、
30分ほど2人にさせてほしいと伝える。
こういう時のために、チェリーのお願いを日ごろから優先して叶えているのだ。
チェリーは仕方なく、30分だけですからね、と言って部屋に案内しその場を去ってくれた。
ライトネスの執務室の机の前に静かに立つ。
ライトネスはだらしない顔で、くかー、と寝てしまっている。
これが、巨悪を葬りさった、あの白刃の戦聖女か?というくらい、緊張感無く眠っている。
机の上を見やる。前にも何度か来ているが、相変わらず、書類が片付いていない。
仕事ギルドだけでなく、様々な請願書やら、ギルドやら神殿やらその他の親展文書が積み上がっている。
が、散らかっているという訳ではない。
一応、積み上がってるなりに整理されているようだ。
高さはそれぞれ違うが、ざっくりいえば4種類に分類されているようだ。
機密に近い内容や親展なので、見るのはいけない事だが、上の方の書類を盗み見る。
ちらっと見た限り、書類は、
①許可・採用するもの、
②条件付きで許可するもの、
③否決や再考を促すもの、
④その他、
という風に分けてあるように見える。
その他に分類してある書類はちょっとしかない。
ライトネスが全く起きないので、ついついその他の書類を手に取って見てしまう。
これはかなりアウトな行為ではある。が、興味が勝ってしまった。
今起きられるとちょっとマズい事になると思うので、速やかに目を通す。
微妙な案件ばかりだった。正直、どうでもいい感じもする。
夢物語であったり、実現の可能性など考えていない、単に面白いだけの話、ともいえる。
が、工夫すれば、なんか面白いことになりそうかな?という気がしないでもない。
だが、まじめな案件なようには到底見えない。
どこの誰が書いてるか見てみたが、不思議と名前が書いてない。
よくよく見れば、その他に分類されている案件は、全部筆跡が同じように見える。
この文字はどこかで見たことがあるな、としばらく考えてみると、これはチェリーの文字だった。
彼女がこんなこと考える?としばし疑問に思う。
が、その観点でもう一度読み直してみると、これはどうやら、
チェリーが村の人に聞いて回った事をメモした物ではないか、と思えるようになった。
不意にシャーロットは、積み上がっている膨大な量の書類を片っ端から手に取り、素早く読み始める。
順番に意味があると困るのと、後で場所が変わったりして気付かれるのも嫌なので、
読み終わったらきちんと元に戻しておく。
ライトネスが起きないのを良い事に、20分程で、全ての山の書類を一通り流し読みしてしまった。
なるほど。
ライトネスという娘はこういう人物なのか。シャーロットは納得した。
書類の分け方は、先ほどシャーロットがちらりと見て思った通りの分類だった。
またその分けられた案件一つ一つの仕分けは、ちゃんとそうすべき、という納得のいくものだった。
分類されたものを見る限り、この子の判断は、時間がかかるというだけで、
政治的・商業的な判断にほとんど間違いがないという事が分かった。
これは頼れる領主になる。シャーロットは考えを改めた。
ただの武勇だけの小娘と侮っていたが、自分が見誤っていたのだ。
ライトネスの頭が良い、という事ではない。
必要性が高いかどうか、慣れないながらも必死に考えて、それもかなり真剣に時間をかけて悩んで、
責任をもって決断をしているのだろう。
採用と分類されたものにも、チェリーの筆跡のものは混ざっていた。
それらは恐らく、文字が書けない村民の意見を代筆させて取り上げたものであり、
実現可能、もしくは実現させるべきものである、と判断したものなのだろう。
きちんと村民の要望を広く吸い上げているところに好感が持てる。
否決されたものは、さすがにそれは要らないだろうとか、代用があるのを知らないものだと思えた。
そして、その他、とされた分類の案件の選び方に、この領主の将来性をシャーロットは見出した。
その他、になっているものは、これは上手くすると、新しい仕事になるかもしれないとか、
外貨を稼ぐ新しいチャンスになるものかもしれないという、捨てるには惜しい案件なのだ。
ただすぐに実現は難しそうだったり、欠片がだいぶ足りないものと思えるものだったのだ。
取るに足らない、と捨ててしまうのは簡単だ。
が、すぐにはそうせずに、ちゃんと悩んでいるからこその、その他、なのだ。
これをちゃんと選別し、残すという判断をするのは、この子には確かに時間がかかるだろう。
判断速度を一旦置いておいたとして、これと同じような事が出来る人材が他にいるか?と考えてみる。
知識の量が重要なのではない。
政策の重要性や優先順位、利益や資源や人材の誘導のバランス、人の上に立つ者としての勘所の話なのだ。
マーモの文官の顔が数人浮かぶが、「その他」の案件を見落とさずに、すくい上げられるかは微妙に思えた。
だが、それをすくいあげ、実行にまでこぎつけられる人材を、自分は1人だけ知っている。
それも、その処理能力は相当早い。
結局、シャーロットはライトネスを起こすのも忘れて、数分、彼女の寝顔を見続けていた。
将来有望な領主となるであろう原石が、ここにいる。
それに加え、巨悪に立ち向かい、うち滅ぼせるほどの、武勇がある。
おまけに国や種族の壁すら超えて、仲間が集まってくる人望も持っている。
その気になれば国すら興せるほどの状況で有りながら野心も持たず、
目の前にいる者たちを守る事に心血を注ぐようなお人好しでもある。
その寝顔にはあどけなさが残る。まだ18らしい。
ふと、その年齢で死んでしまった妹の事を思い出す。
マーモの王党派の騎士として、ベルド率いる新制マーモ軍との争いに身を投じ、若くして死んでしまった妹。
大丈夫だよ、が口癖の子だったが、大丈夫な事など何も無く、あっさり逝ってしまった。
その死さえ見届ける事も出来なかった。無理をして、頑張り続ける子だった。
正直、ライトネスと妹は似ているわけではない。
ただ、目の前に頑張り過ぎる人間がいて、それを助けられる人材にアテがある、
それだけの話だった。
約束の30分がもうじき訪れようとしている。
シャーロットはライトネスを結局起こさず、部屋から静かに立ち去ったのだった。
シャーロットはカミラ邸に向かう山の階段を上っていた。
今日はカミラとセラフィムと3人での茶会だった。
彼女はカミラ付きのメイド長なので、本来ならばカミラ邸でお茶会の用意をする立場のはずだ。
そうなっていないのは、彼女の高い事務能力が村の皆に知れ渡ってしまい、
村の仕事を手伝って欲しいと様々な人に要望されたため、カミラがそれを認めて、
シャーロットに協力するよう言ったからだ。
カミラとしても、能力の高いシャーロットをただのメイドにしておくのは村の損失だろうと思ったので、
なるべく協力するよう命じたのだが、命じたそばから帰って来なくなるほど、
忙しく働き始めるとは思ってもいなかったのだ。
カミラ邸のメイドの仕事自体は他の者がいるので回ってはいる。
が、それでは寂しいと、カミラやセラフィムがライトネスに泣きついたので、
シャーロットの今日の村での仕事は一切免除され、急遽お茶会となったのだ。
お小言なり、泣き言なり、色々あるだろうな、と、シャーロットは覚悟している。
が、どうしても、今日は言わなくてはならない事がある。決意を持ってカミラ邸に戻ってきていた。
カミラ邸はちょっと前に出来たばかりの新しい家だ。
ブラス村中央にある山の上に建っており、見晴らしの良い所だ。
山のふもとは旧暗黒騎士の面々が守っており、誰もが気軽に立ち入り出来ないので静かで穏やかな空間となっている。
そんなカミラ邸の庭にはバラ園があり、そこに小さなあずまやがある。
今日はそちらでのお茶会だ。
お茶会では予想通り、カミラとセラフィムに泣き言を言われたり、お小言をもらったり、だいぶこってり絞られた。
全てに謝罪をし、一旦は落ち着く。
いつ言おうか、タイミングを見計らっていたシャーロットだったが、不意に、セラフィムが口を開いた。
「…やっぱり、行ってしまうのね?」
「…はい。このまま黙って見ていられませんので…」
「どうしても? ここから通うのではダメなの?」
「…申し訳有りません。恩をお返しする事もままならず、このような形で、お暇を頂きたいと申し出るのは、
本当に心苦しいのですけど…」
ふぅ。とため息をつくセラフィムとカミラ。諦め顔で笑いながら、セラフィムが言う。
「あーあ。…あの人にシャーロットを取られちゃった…。
何となく、そうなるんじゃないかなぁって、
だいぶ前から思ってはいたけど…。実際にそうなると寂しいわ」
カミラはちょっと泣きそうだ。
「いつでも、お茶会を開くので、たまには来てね…?」
シャーロットはカミラを優しく抱擁する。セラフィムもそれに混ざる。
しばらく3人でそうして抱き合った。
シャーロットはこうして、カミラ邸をあとにした。
その足で直接ライトネス邸に向かう。
今日の執務は終わっている時間だ。チェリーが執務室に案内してくれる。
シャーロットはチェリーをだいぶかっている。
大事な用件がある時は察してくれるので、人払いなどがきちんとされるのだ。
目配せをしたので、恐らく、理解してくれたことだろう。
ライトネスの執務室に入る。
ライトネスは仕事の手を止めてこちらに会釈している。机の上は相変わらず仕事の書類がいっぱいだ。
実はあの後、2、3度ライトネス邸を訪れていた。
だが、いずれも疲れ切って寝ているライトネスしか見ていない。
今日はようやく起きている姿を見られたのだ。言うなら今しかない。
シャーロットは意を決して、用件を伝えるため、机の前に立った。
ライトネスはシャーロットがいつもと違う雰囲気だな、と感じながらも、
仕事を続けながら話を聞こうとしていた。
失礼とは思うが、こちらの都合を無視して、無理な来訪をしてきたのはシャーロットだ。
それくらいは勘弁して欲しいな、と思っていた。
「今日は話があって、やってきたの」
ライトネスは思わず顔を上げて、まじまじとシャーロットを見る。
口調がいきなり砕けている。苦情を言いに来た感じでは無い。
やけに親し気で、何が起こったのかと、思ってしまう。
普段の嫌味なほどの慇懃無礼さもどうなんだ?と思っていたが、一気に親し気に話されると、
むしろ怖い感じしかしない。
「今後は、2人の時は、この口調でやらせてもらうわね。
用件は単純よ。…あなた、私を雇いなさい」
ライトネスは唖然としている。口も開いたままだ。
それが人に物を頼む言葉使いか?とか、
なんで命令形なんだ?とか、
なんで雇う話になってるんだ?とか、
そういう性格だったのか?とか、疑問が頭の中で噴出する。
「あー、えっと…? 何だ…? カミラやセラフィと何か有ったのか?」
「違うわよ。あなたの、この村でのまつりごとの補佐をしたいので、私を側に置きなさい」
「…」
再度、命令形だ。さすがにライトネスも沈黙してしまう。
「あなた、夜遅くまで慣れない事務作業をしてるでしょう?
そういうのはそれが得意な私に任せなさいな。
他にやりたい事、いっぱい有るでしょう?」
「…それは、そうなのだが…」
「言っておくけど、私は優秀よ?
この机に溜まっている仕事など、すぐに終わらせてあげるし、交渉は得意中の得意よ?
あなたのしたいと思っている事を、かなり忠実に実現する自信がある。
これを出来るのは、残念ながら私以外多分居ないわよ?これは自信を持って言える。
今よりももっと大胆で、生産的な仕事もこなせるようになるわ。
今なら無給でやってあげる。お買い得だと思うわよ?
その代わりお金が無くて生活が出来ないのは困るので、衣食住くらいは面倒見て欲しいわね。
なんならここに住まわせてくれれば好都合ね。
あの長い階段を通わなくて良いなら楽だと思ってるくらいよ。
それに…」
「待て…待て待て…」
矢継ぎ早に言葉が出てくるので一旦遮る。
ちょっと冷静になりたいのもあったが、まずは断りたいな、と思っていたライトネスは、
彼女が飲めないだろう条件を突き付ける事にする。
「まぁ、優秀な補佐が常にいてくれるというのは、良い話のような気もするけどもだ。
それを検討する為には、こちらにも条件が有る」
「何かしら?」
「デーモンスクリームは今後一切使わないと約束してくれ。
使われると空の上からの声がうるさくて、耳障りで敵わないんだよ」
「あなたに危害を加える者があるなら、私は即座に、容赦無く、息の根を止めるまで使うわよ?」
「そうか、それならこのはな」
「分かったわ、降参よ」
「しは無かった事に・・・へ?」
ライトネスが言い終わる前にスパっと言い切られた。
「生涯を懸けて、あなたの嫌がる魔法は使わないと誓うわ。
今後あなたの言う条件を、全て、何でも、受け入れる。
一生の忠誠をあなたに捧げるわ。
だからそんなに早く切り捨てないで頂戴…。
私、もうカミラ様にもセラフィム様にもいとまを貰って、ここに骨を埋めるつもりで来てるのよ?
少しくらい、話を聞いてくれたって、良いでしょ?!」
実際に、シャーロットは自ら退路を断ってここに来ているので、切実さはリアルだった。
普段のポーカーフェイスなどどこに行ったのかというくらい、目に涙を溜め、口をへの字にして拗ねている。
ライトネスはこう見えても元貴族女性なので、女のウソの演技くらいは見抜ける場数がある。
どうやら、これは本気で拗ねているようだった。
本気度がうかがえたので、さすがにこちらも本音で言わないといけないか、と思う。
「正直、お前は私の事、嫌いだろう? 私だってそ」
「ちょっと待って頂戴…。いきなり嫌いとか言わないで欲しいわ。さすがに、私でも傷付くのよ?」
「……。…すまない。失言だった…」
「最初の頃は、何を甘っちょろい事を言ってるの、このガキは、くらいには思っていたわよ?」
「…お前、人に言わせないでおいて、それはどうなんだ?」
「ごめんなさい。あなたに嘘を言わないようにしようと思っただけよ。
最初のうちは、私たちの命を預ける領主が如何なる人物か、色々しっかりと見定めておかないとと思って、
あなたの事をかなり意地悪な目で見ていたわ。
わざと怒らせようと散々対立もした。それを態度にも出していた。
そういう意味では、あなたが私を嫌うのは当然よ。そこは私の責任。
この後、私の忠誠のほどを、あなたにすぐに分かってもらえるよう、必死の覚悟で尽くすわ」
「…」
「ここしばらくの間、意地悪くあなたを散々試していたのだけども、だんだんもやもやしてくるようになったのよ。
私は対立する意見を言いはしたけど、あなたの仕事は捗るように裏ではちゃんと手を回していたわ。
決して妨害や敵対行為の類はしていないしさせもしなかった。
むしろそういうのを積極的に排除したわよ?」
ライトネスは、シャーロットが指摘した問題が解決しているのを見て、ざま見ろと思っていた訳だが、何の事は無い。
シャーロットは自ら指摘した問題点をきちんと全部、彼女自身が手配して解決し、仕事ギルドの発足を助けてくれていたのだ。
「カミラ様にお仕えする仕事を殆どしなくなるくらい、あれこれ手配に奔走して一通り道筋は整えたけども、
それなのに何でこんなに仕事が滞るのだろうって。何が悪いのかしらって思っていたのよ」
「…私は出来が悪いからな。慣れない事ばかりだし、実際どうして良いか分からなくて困ってはいるよ…。
もたもたしていて、すまないとは思っている…」
「そうじゃないわ。あなたは言葉が足りてない事は多いけど、決して愚かではない。
判断自体はとても正しいのよ。
ちょっと仕事が遅い気はするけど、それは当たり前の事よ。
だってこういった作業は、本来あなたの仕事じゃないんですもの」
「…褒められてるのか…?」
「そうよ。優秀じゃない者の下に無給で仕えたいと思うほど私は馬鹿じゃない。
そこは信頼に値する主だと思って仕える気になっているのよ」
「…」
「私がもやもやしていたのは、誰もあなたの助けになりそうな人が他にいなかった事よ。
あなたの仲間はみな優秀な冒険者だけど、まつりごとのプロではないわ。
手伝ったとして、状況が良くなる訳でも無い。
それであなたが疲れて、その机で座ったまま寝ているところを見るのが、もう耐えられないの。
私なら、それを解決出来る。だから、雇って欲しいのよ」
ライトネスは押し黙る。仲間を馬鹿にされている訳では無いようだ。
こういう政治的な仕事はそもそもライトネスがやるべき仕事なのだから、皆に振ろうとも思って無かったし、
振ったところで相談事に時間が増えるばかりで効率が良くなる訳でも無い。
精神的な負担がやや減るくらいであって、決断すべき事が日々怒涛のように舞い込んでくる状況では、
何でもかんでも皆で集まって相談するのは害でしかない。
だが、それで、シャーロットがここまで思ってくれるようになるのは、腑に落ちなかった。
そんなライトネスの顔を見ながら、シャーロットは続ける。
「ちゃんとあなたの疑問には答えるわ。
…私には妹がいたの。王党派の騎士として戦いに出て、ベルド達率いる新しいマーモ軍に殺されたわ。
死に方がどうであったかすら分からない…。
真っ直ぐな子で、ちょっと不器用で、頑張り過ぎて倒れちゃうような、そんな子だった。
何でもかんでも1人で背負って。頼りに思ってもらえないのが、姉として辛かったわ」
つまり、死んだ妹を、私に重ねてる訳か、とライトネスは心で思う。
「そうね。正直、妹の方が可愛かったわよ?
…あぁ。もうすぐ怒る…。ちゃんと最後まで聞いて?」
確かに、可愛くなくて悪かったなとイラっとしたところだった。
心の声でも聞こえているのかとシャーロットをじろっと見つめる。
「心の声なんて聞こえてないし、そんな魔法も使っていないと誓うわ。
ただ、ここのところ、あなたの顔を見ながらあれこれずっと考えていたから、
きっとそう思ってるんだろうなって、分かるようになっただけよ。
あと妹よりあなたの方がよほど魅力的よ?
妹は子供っぽさが残るそういう可愛さだと言いたかっただけよ」
ここまでくると呆れる他ない。
魔法を使わなくても、ほぼ考えてる事がお見通しという事じゃないか。
なら、ちょっと他の事でも考えてみようかな…?
魅力的というのは、どういう意味なのだろう…。
「魅力的と言ったのは、ちゃんと公平に同性の女の目から見ての話よ?
女性が好きとかいう意味では無いから、そこは安心してちょうだい。
ちゃんと付き合ってる男の人がいたわよ?その人も、先ほどの戦いで結局は死んでしまったけども…」
確信した。
この相手には考えてる事が全部把握されていて、言葉無しで話しが出来る相手なのだと思うしかない。
そりゃぁ、口喧嘩で勝てる訳が無い。口に出さなくて良いな、と、前向きに考える事にした。
男の話については、それは辛かったろうなと思う。
「生涯を誓い合う前に、死に別れになってしまった。口付けくらいは交わしたけど、
この身を捧げる事は出来なかったわ。
結局それ以降、他の男の人に興味が湧く訳でも無くこの歳まで純潔を守ってしまってるわね。
だからと言って女性を好きになるって事は、無いわよね?
…まぁ、あなたがもし男だったら、酔い潰して、寝屋を共にして、既成事実を作ってでも、
側に置いて貰おうと画策したかもしれないけども。
…身構えないでよ。女のあなたにする気は無いわよ…。
あ…w
それで、雇ってくれるなら、私からも条件というか、お願いが有るのよね」
雇ってあげても良いかななんて、少し思った瞬間だった。それすらも読まれているのは恐れ入る。
「まず、その男口調は止めて頂戴。
あなた、ちゃんと女らしく喋れるくせに、わざとそれをしてるわよね?」
確かにライトネスの口調は、幼い時に読んだ英雄譚などに影響されて、芝居がかった男口調が基本だ。
それが格好良いと思ってずっと続けているうちに、何となくそれが普通に思えるようになっていた。
だが、貴族令嬢として舞踏会に出る時などはきちんと令嬢としての口調で喋るなど、使い分けはしていた。
とは言え、そういった口調は肩が凝るので普段はしないしする必要も無いだけだ。
もう貴族でも無くなったので、令嬢口調と永遠にさよなら出来るかと思うと清々する。
ライトネスは全く覚えていないが、この間の飲み屋でライトネスの本来の口調をシャーロットは知ったのだ。
元々の口調は確かに女口調ではある。どちらかというと、親しみのある子供っぽい口調とも言える。
女性目線でないと付き合ってくれない者など居なかったので、女の口調を使う事が殆ど無いだけだ。
誰に使うかと言えば、弟であるアスカルと喋る時しかお目見えしない。
一番仲の良いルーシアと喋る時ですら男口調なのだから、他に使う相手など皆無だった。
「それって、意味有るのか?」
「口調」
「…それって、意味有る?」
「有るに決まってるでしょう。…あなたとは本音で向き合いたいのよ。
その代わりあなたも、私には一切遠慮無しで、ばっさり言ってくれて構わない。
あなたには苦楽を共にした仲間がいる。
その人たちと向き合うのに男口調が自然なら、それはそれで良いの。
でも、それと同じくらい、あなたを女扱いする仲間も必要なのよ?」
「…」
「こうして2人きりの時で構わないから」
「…」
「ちゃんとまつりごと、すぱすぱーっと解決していきたいでしょう?」
「…分かったわ」
まぁ、それだけで良いならいっかくらいの軽い気持ちで了承する。
何だか分からないけど、優秀な補佐官が付いてくれるならそれは嬉しい。
ただ、何か、いきなりの話でまだ戸惑う事が多いけれども。
話はこれで終わりかなと思っていたら、シャーロットがつかつかと歩み寄ってきて、椅子の背後に回られた。
何をされるかと思いながら、椅子に座った状態で後ろを向いて、シャーロットを凝視する。
後ろを見ている首を、優しく前に向き直されると、やんわりと後ろからハグされた。
細い体の割に豊かなふくらみを押し当てるように、シャーロットに抱きしめられる。
かすかにすみれの花のような香りが漂う。
あ、シャーロットはこういう香りを付けるのね、と思いながら、しばらくされるがままになる。
「…これは、どういう、こと?」
「たまにで良いから、ぎゅっとさせて欲しいのよ。
…だーかーら、女が好きって意味じゃないから。強張らなくても良いでしょ?」
「う、うん」
「本当は、妹とこうしてみたかったの。それは結局叶わなかったけども…。
で、そんなことを考えてあなたを見ていたら、我慢出来なくて」
断る理由は特に無い。
だけども、これはこれで耽美な世界に本当に行かないの?と不安な気持ちにはなる。
「闇の魔法を使わないと誓ったけれども…。
私にとって闇の魔法は血の滲むような修練で手に入れた、努力の証なのよ?
それを使わない代わりにちょっとくらいご褒美が欲しいなぁ…」
「う…」
ライトネスとて、血の滲むような鍛錬で剣の腕を上達させた。魔法だって同じなのだろう。
それを使うなと制限をかけたのだから、確かに何かしら、ご褒美をあげないといけないかもしれない。
「ふふ。ありがとうw」
ふわりとしばらく抱きしめられながら、ライトネスはふと思う。
そう言えば、騎士見習いになるため家を離れる際に、母親から抱きしめられたのが、最後だったなと。
8年くらい前の話だ。懐かしく思うとともに、何だかハグも悪くないなどと思ってしまう。
何となく胸の感触を後頭部でぽいんぽいんと楽しんでいると、シャーロットに釘を刺された。
「お母様みたいと思ってる感じしかしないので、敢えて言うけど…。
…せめてお姉さまくらいに思って欲しいわ?
そこまで年は離れてないでしょう…?」
「……分かりました。…お姉さま…」
その後、静かに笑い合う。その姿は、まるで姉妹のようだった。
こうしてシャーロットは押しかけ女房のようにやってきて、ライトネス邸に住み込みで働く補佐官となった。
その日を境に、ブラス村の政策の解決速度は、桁が数個変わるほど飛躍的に上昇し、
一気に開拓などが進むようになるのだった。
シャーロットがライトネスに仕えたという話は瞬く間にブラス村を駆け巡った。
いつもいがみ合っていただけに、にわかには信じられない話だった。
表向き、シャーロットはポーカーフェイスで、正確無比、常に冷静で忠実な補佐官と思われている。
ブラス村と交渉をする為にやってくる近隣の領主や商人などは、この難攻不落な交渉役を相手にしなければならず、
皆一様に口を揃えて「ブラスの鉄の女」と呼ぶようになっていた。
だが、そんな彼女も、2人きりになるとシスコンぶりを発揮して、ライトネスに甘々になってしまうようだ。
姉妹のように仲良くしているのを、チェリーは扉の向こうで微笑みながら見守るのだった。
生まれが異なるこの元貴族女性の仮の姉妹は、ブラス村の繁栄のため、時には喧嘩をしながら、今も仲良く暮らしている。
※このお話は12話から1年後くらいのお話です。
ブラス村を巨悪が襲ってからしばらく経った後。
ルーシアはリスモアのラーダ神殿の神官長であるウルドに事情を話し、信仰の在り方を再度徹底的に見つめ直した。
自分が奇跡と思っていた魔法は、悪魔の能力を掠め取って使っている場合がある、というのが分かってしまった。
もしかすると自分の信仰は、何もかもが間違えているのではないかと、不安になってしまったのだ。
ウルドに言われたのは、ルーシアは自分の力で何とかしようと思う気持ちが強く、神に委ねる気持ちはその分弱く、
最後の最後で神を信じる心に結びつかないのではないか、という事だった。
物事を深く考え、何故そうなのか?を自分で考えて突き詰める心は、知識の神に通じる道ではある。
が、自分の知識や魔力だけで、全てが解決する事はない。
あまり根を詰めて考え過ぎずに、神様に軽い気持ちで聞いてみる事から始めるのはどうか?という話になった。
ルーシアは窮地に陥ると、ついつい自らの命を使いながら、マジックリアライズを発動させ、
激痛を伴いながらも何とか物事を解決してしまっていた。
窮地には必ず使えてしまうと経験上分かってしまっているので、とっさにそれを使ってしまう。
本来ならそのような無茶を続ければ心臓が止まって死んでしまうところだが、悪魔が心臓となってしまっているので、
一瞬死んだとしても自動的に蘇生してしまい、それがどれだけ危険な事だったのか、中々気付けなかったのだ。
埋め込まれた宝石は古代語魔法やデーモンスクリームなどを阻害する物なはずだが、
ルーシアの能力を完全には抑えきれていないようだった。
中の悪魔の力が強過ぎるからなのだろう。
宝石の効果は、近くで発動する他者の古代語魔法などを阻害するだけで、
マジックリアライズ能力を防げないのでは意味が無かった。
ウルドとルーシアはよくよく相談し、マジックリアライズ能力の利用は禁忌とする事となった。
マジックリアライズをするのでなく、ちゃんと神に願う。それこそが信仰である、と。
もしその能力を使うような事が有れば、それは相当なお小言なり制裁なりをウルドから課される事となる。
本来ならギアスやクエストなどで縛るところだろうが、それらの苦痛よりもはるかに強烈な激痛でも
能力を使ってしまうルーシアにはあまり有効とは思えず、それはしなかった。
というよりも、ウルドがルーシアにそれを使うのが嫌だったのだ。
できれば危険な冒険は程々に控え、ブラスで安全な仕事をしておけば、窮地に陥らずに済むだろう、という事になった。
また、ルーシアが生きていく為には、心臓として動いている悪魔を生かしておかなくてはならない。
聖職者としては悪魔の存在を認める訳にはいかないのだが、生きる為に共存しなくてはならない事情もあるので、
ウルドは大目に見る事にしたようだ。
悪魔だからと何でもかんでも討伐するので無く、その身に悪魔を宿していても、
正しい信仰をすれば悪魔を抑えられる事を示していこうと、寛大な心で見守ってくれる事になったのだ。
まぁ、それは表向きの方便で、ウルドはルーシアを育てた親代わりなので、
悪魔がいようが何しようが、最初からルーシアを守る気でいたのだ。
悪魔を生かすため、悪魔に栄養を与える方法が有るかを、ウルドとルーシアは徹底的に考えた。
悪魔に与える栄養がちゃんと必要なだけ供給されれば、道理として悪魔は滅びず、心臓も安泰だ。
悪魔からお願いされていたいくつかの情報が役に立ちそうだった。
いかがわしい事をするとか、欲望にまみれてみるとか、怒りまくるとか、さぼりまくるとか、
嫉妬に狂って呪い殺す、というのがどうやら悪魔の栄養のようだ。
ウルドからは、
「好きな人といやらしい事をいっぱいして、たまには喧嘩とかしてきなさい。w」
と、笑いながら言われてしまい、ルーシアとしては、ほとほと困り果てているところだった。
自分の性格を元に考え直してみる。
欲望にまみれる…。
これは結局やりたいと思った事を歯止めなくやるという事だろう。
あれこれ欲望を想像してみたけど、まみれてみたい欲望がぴんとこなかった。
元々そんなに強い欲望が無い性格なのかもしれない…。
もしかすると、ウルド神官長に言われた、いやらしい事をいっぱいするのが気に入ったなら、
これは達成するのかもしれないけども…。
怒りまくる…。
喧嘩とかすれば、確かにちょっとは怒るのかな?とも思う。
ただ怒る事は有ってもずっと続く事が無い。
というか途中で悲しくなったり、自分が悪いんだとくよくよ悩む事の方が圧倒的に多く、
そもそも怒り続けること自体が難しい。
怒ると疲れてしまう性格なのだ。
これは多分無理だろう。
さぼりまくる…。
これは、出来るかもしれない。
でも、幼い頃に牢のような空間に閉じ込められて、何年もそこで生活していても、
喜びも苦痛も感じていなかった事を思い出す。
ずっと何もしないままでいられるし、その時は何も考えていなくて、ひたすら停止しているようなものだ。
そう…。「無」なのだ。
何もしないのは、ただ「無」になる感じなので、さぼって何かが得られる感じがしないのだ。
時間が無駄になるだけなのではないかという気がしないでもない。
嫉妬に狂う…。
これは、何か出来そうな気がする。
あの人ともし付き合ったりして、浮気とかされたら、これは、だいぶ、かなり、すごく、怒るし、
泣いちゃうし、場合によっては引っ叩いたりするかもしれない。
喧嘩できちゃうね…。
うん。これは、いけそう…。
…あれ? そしたら、これって、浮気してもらわないといけないの?
浮気を容認する???
そう思った途端、どんよりし始めてきた。
え、だめだよ…。そんなの、絶対我慢出来ないよ。辛すぎて泣いちゃうもん…。
多分、嫉妬に狂うはるか手前で、苦しみすぎて撃沈してしまう気がする。
いかがわしい事をする…。
ちょっと想像してみる。すでに顔が赤くなってきた。
でも、これは…うん。
…恥ずかしいけど、これは…うん。
ちょっと頑張れば…うん。
多分きっと、でき…そう…、と思う。
あれこれ考えてみたけど、結局ウルド神官長が言った事にしかなってない気がする。
さすがは親代わりだ…。
私の性格なんて、とっくに分かってて言ってくれたんだろうな…。
ぼーっと考えていたものの、ふと我に返る。
今、勝手に、相手をあの人限定で妄想してしまっているけど、付き合ってる訳でも無いし、
ましてや好きと思ってくれてるかも分からないし、そもそも、相手にしてもらえるかすら怪しい…。
どうやったら、相手にしてもらえるようになるのだろう…。
考えても分からないので、経験者に聞いてみようかな…。
こうしてルーシアのリサーチ大作戦が始まるのだった。
○アンスリュームさん:ダークエルフ、190歳
まずは話しやすそうなアンスリュームさんに聞いてみる事にした。
「今日はどうしたし?突然相談したい事が有るってw」
「あ、はい。あのですね。早速なんですけども…。
男の人とお付き合い前提で出かけるとか、そういう経験もまるでなくて、
どうしたらその…良い雰囲気になるとかが実は全く分かっていなくて…」
「え?良い雰囲気になる為の話?w
なになに?w いよいよトゥ・ナに告白するの?w
んもう。何でも協力するよ?w( *´艸`)」
「あ、はい…。w という事で、色々聞きたいなぁ…って思いまして」
「あーしで役に立てる事ならw」
「まずは経験豊富なんじゃないかなと思う人に、色々聞いてみたいなぁ…って」
「あぁ、まぁ、一応…? 経験者って言えば経験者なんだろうけど…。
あれ…? …もしかしてさ…?
あーしのこと、とっかえひっかえ男遊びしてるような軽い感じに見てた?」
「え!? あの、その…。
遊んでるように見えたとか軽いとかそういう意味じゃなくて…。
ダークエルフの方は寿命が長いので、長い時間の中で、いっぱい経験が有るのかななんて、
勝手な思い込みをしてしまいました…。すみません…」
「年上だからとか、そういう意味って事ね?
年齢だけで言うと、そう思われちゃうのかな。
あーし、この間、初めて女にしてもらったばっかりで、言うほど経験無いけど良いの…?」
「え!? そうなんですか?! あの、その、差し支えなければ、お相手って…」
「ポムだよ。w 他に居ないしw」
「あぁ…!」
「すごく納得いったっぽいね?w」
「そうですね。素敵で頼りになる方ですし。お付き合いも長いんでしたよね?」
「そうだねぇ。30年越しだったよ。ポムをだいぶ待たせちゃったなぁ」
「30年前だと、アンスリュームさんが160歳くらいの頃からという事ですか」
「そうそう。多分他の娘とかと比べたら、あーしはだいぶ遅い方なんじゃないかなぁ。
この人だって心に決めた相手としかそういう事はしないってずっと思ってたからね。
みんなそういうもんじゃないかなぁって思ってたけど、そうでもない娘もそりゃいるよね」
「早い、遅いの年齢の感覚がちょっと分かっていないのですけども…」
「そうだなぁ。
まず100歳位で大人だって思われるようになるのね。
体つきは70、80歳で結構大きくなっていて、えっちな事をしようと思うなら、やれなくはないけど。
とはいえ成人未満の者に手を出すのはタブーと言うか、子供に手を出すみたいなもんだから普通は無いよ」
「そういう感覚は人間と変わらない訳ですよね?」
「そうだと思う。
そもそも子供も多くないから、歳の近い相手がいっぱいいる訳じゃないし、身近に相手が居ないんだよね。
100歳を超えた位から、なんとなーく身近な年上の男の事が気になったりして。
でもそういう人には既に相手がいるし。
130歳位で色々外を見るようになってからぼちぼち…ってところじゃないかなぁ。
あーしは、外に出るのは早かったけど、結局190になるまで相手はいなかったね。
あーしの年齢は人間で言ったら、23、4歳と同じ位らしいよね」
「シャーロットさんとか、セラフィさん位でしょうかね」
「あぁ、まぁ、近いかも。セラフィムさんはサキュバスだけど…」
「ポムさんと出会うまでは、特にどなたも興味とか無かったんですか?」
「そうだね。あーしは仲良くしようとすると相手を怒らせる事が多かったからさ。
最初でつまづいちゃうんだよね。
だから良いなとか思うほど、仲良くなった事が無くてさ^^;」
「ポムさんは別だった訳ですよね?」
「うん。ポムってさ、凄く我慢強いんだよ。
何ていうか、怒ってても、ずっと見守ってくれる感じで。
それにだいぶ甘えちゃってたところは有るんだよね…。
前に、ポムが若い時に、ちょっと良い感じの雰囲気になりそうだった時は有るんだよ?」
「それを、知りたいです!」
「15年位前だったかなぁ。
その当時乗ってた大型船とはちょっと違う小振りの船に一緒に乗っててさ。
良い感じの夕焼けが見えてて…。海も凪いでて…。
風があんまり吹かなかったから、しばらく2人で海を見てたんだよ。
実際はあーしが風の精霊に頼めば風なんてどうにでもなるんだけど。
お互い分かってて、なんとなく2人きりでいたいなみたいな空気が有った訳」
「良い感じの風景…。お互いが2人きりでいたい空気…」
「その時、多分、ポムはあーしの事、抱きたかったんじゃないかなぁ、って今でも思う。
何となく近寄って来ようとしてるのが分かってさ。
あーしは、それも有りかなとか、どうしようかなって迷ってた。
あの時、ポムが隣に来るのを許してたら…。手を握られるような距離に来ていたら…。
多分もっと早くに、ポムのものになってたんだと思う」
「手を握られるような距離…ですか」
「その時のあーしは早く死んじゃうのが分かってる人間と付き合うのが急に怖くなっちゃって。
何か、ポムが死んじゃったら、その後寂しくて追っかけて死んじゃう事になるかもしれないなとか、
そういう事考え始めたら、焦ってきちゃってさ…。
結局近付いてくるのを気付かないフリして、別の所を眺める為に数歩動いたりして
距離を少し開けちゃったんだ…。ポムはそれで察してくれたみたいで…。
ポムは元々紳士過ぎるからさ。嫌がるなら絶対しないって、あーし、分かってたんだよ…。
今、どうせ付き合う事になるんだったら、あの時拒まないでいればってどうしても思ってしまう。
ポムをこんなに我慢させなくて済んだなって…。勇気を出せなくて、後悔してる…。
あーし…焦ると、大抵、間違うんだよね…」
アンスリュームさんがどんどん話してくれるので会話はとてもスムーズで、その後もだいぶ話し込んだ。
ちょっと恥ずかしくなるような、生々しい話もあって、結局、最後まで、しっかり聞いてしまった…。
ちゃんと聞きたかった事は聞けたと思う。…風景、空気、距離感。あと、後悔も…。
○セラフィ(セラフィム)さん:サキュバス、23歳
次はセラフィさんに聞いてみた。
カルス君とのいきさつを少しは知っているのだけども、もうちょっと踏み込んで聞いてみたかった。
かなり個人的な内容なので、ラーダ神殿の応接で人払いをしてもらった上で話を聞く。
「改まって聞かれるとは思っていませんでした…w」
「あの、宜しくお願いします…」
「ルーシアさんはカルスさんと姉弟のように育ったと聞いていますよ。
私も彼の昔の話を聞いてみたかったので丁度良かったです」
いきなり核心に入るのが難しかったので昔話から始める。
セラフィさんは興味深く聞いてくれたし、好きな相手の事だから色々と知りたい事が多かったみたいで話が弾んだ。
はたと気が付くと、全然本題に入れてないまま、時間が経ってしまった。
「ごめんなさい…ついつい話し込んじゃって。あなたの聞きたい話を全くしていないですよね?」
「お願いします…」
「雰囲気という点で言うと、私は順番が逆になってしまったかもしれません」
「順番…ですか?」
「はい。私たちは男性に夢を見させて、淫らな気持ちにさせてその精気を吸い取ります。
私はカルスさんの精気を吸い取る目的で近づきましたので、その点では最初から躊躇いも無く、
夢を見させてしまいました。
なので、その。
…あなたから見ると、好きでもない男性にいきなり抱かれるところから始まっている、
というのと同じなのです」
「なるほど…」
「とは言えこれは夢です。
彼からするとそういう夢を見ているだけに過ぎません。
日頃から淫らな夢を見ている彼が、単に私を意識しているだけ、という形になる訳です。
彼が私の事をたまに淫らな目で追っているのは分かっていましたし、
私以外の女には見向きも出来なくなるだろう事は、十分承知していました。
私たちサキュバスは、そうやって男性を虜にする事が誇りでもあるので、むしろ満足していました。
サキュバスは男性を虜にして言うなりにする存在です。
主従がはっきりしていますので、1人の男性に執着したり、盲目に好きになる事は普通ありません。
何と言うのでしょう。猫を可愛がる人のように、猫を可愛いとは思う事は有りますけども、
その猫に抱かれたい、とは思わないのと同じです」
「カルス君の事も、そういう風に思っているんですか?」
セラフィさんはちょっとお茶を口に含む。
「今は私が彼に惚れ込んでしまいましたので…。
カルスさんには夢だけで無く、私のこの身を捧げたくらい、きちんと愛してますわよ?
他の男性に夢を見させる気にもならないくらいです」
「何かが違ったという事ですか?」
「そう、ですね…。
私が彼に夢を初めて見せた時、彼はまだ少年のような無垢な状態でした。
ちょっと生々しい事を言いますけど、初めての夢で彼の無垢の心を汚すのは、至福でした…。
もうこの子は他の女に興味すら持てずに、私だけがこの子を淫らに汚す事が出来るのだと思ったら、
力が入ってしまって…。
だいぶ刺激を与え過ぎてしまったと思います」
何か、凄そう…と聞いてる自分が赤くなる。
アンスリュームさんも結構生々しく教えてくれたので、耳だけが肥えていく感じがする。
「私が夢を見せるようになってから、彼は一気に男性としての成長が進んだと思うのです。
彼の聖職者としての力も急に増していったように思います。
たった1年で、少年から大人の男性にすっかり見た目も変わったくらいです」
「あ、私もそう思ってました…。2年位会ってなかった間に、なんかすっかり大人になったなって…」
「ずっと可愛がっていると思っていた可愛い少年が男性になっていく。
抵抗も出来ないまま、されるがままだった子が、私を求めて頑張ろうと耐えられるようになっていく。
聖職者としての力が増すようになってから、むしろ私の方が押し返されるほど、魔力や精気が高まってきて…。
そんな力を付けてきた子が、私以外の女には見向きもせずに、私だけに欲望を募らせて必死に頑張っている姿が、
ちょっと可愛いな、と思えるようになってしまったんです…」
「必死に頑張ってる姿…ですか」
「主従の関係で言えば私達サキュバスは男の主です。下僕である男が頑張る姿を見る喜びがあるのです。
でも、ある時、不意に下僕であるこの子が私よりも強くなってしまって、主である私が抗えないようになったら、
どうなっちゃうんだろう?って、ちょっと妄想してしまったのです。
そしたら、止まらなくなっちゃって…。ついつい、出来心でそういう夢を見せてみたんです」
「立場が逆転するような、ですか?」
「そうです…。それが…物凄く、甘美で、良くて…。
今思うだけでも、ゾクゾクします。
あまりに良すぎて毎日のように夢でねだってしまって、彼がげっそりするまで、やめられませんでした…」
あの人と、立場が逆転…。
ちょっと想像出来ない。
これは、私には難易度が高そうだった…。
「それから、彼の事を主としてしか意識出来なくなってしまって…。
あとはもう坂を転がり落ちるようにあっという間に好きになって…。
サキュバスが下僕になってしまうなど恥ずかしい事なのでしょうけども、
もうそんなのどうでも良くなってしまったんです。
皆さんに初めて会った頃が丁度その位の頃だったんです」
「あの時期はまだ夢だったんですよね?」
「ええ。サキュバスである事を知られたくないと思っていたので…。
そのあと、結局、本当の事をちゃんと告白して、邪な思いで近づいた事も、夢を見せ続けていた事も、
精気をすすってしまっていた事も謝罪して…それでも受け入れてもらえて。
もう、この人しかいないと思って、そのままこの身を捧げたんです。
カルスさんは、夢でなく私と直接触れ合っています。
私たちサキュバスが直に触れ合って虜にしたら、いくら私が下僕のように慕っていても、
彼が主のように私を抱いても、私から逃れる事は絶対に出来ない。
もう彼は永久に他の女を好きになる事など出来ません。
あの人は私のものよ。
他の誰にも渡さないわ」
強烈な愛情を感じる。
独占欲というのだろうか。
本来なら幅広く男から精気を吸って生きるのだろうけど、1人と決めているから愛情が集中してるのかなと思う。
何だかそんな風に思ってもらえたら凄く幸せだな、って、頭の中が麻痺しちゃうくらい羨ましく思えた。
順番が大切だったり、そういう事を必死に頑張ってる姿が…可愛いと。
逆転は…。うん。諦めよう。
○シャーロットさん:人間、25歳
シャーロットさんはライトネスさんの補佐官として一緒にいるようになっていた。
いつの間にそんなに仲良くなったんだろうと思う。
一時期は結構お互い苦手な様子に見えたんだけどな。
年上で何となく経験が有りそうという事で思い浮かんだのは良いものの、ほとんど話をした事がない。
ライトネスさんにシャーロットさんと話がしたい事を伝えたら喜んで受け入れてくれて、
「協力させるから!任せとけ!」
なんて言われたんだけど、どう話を続けようか悩んでいる。
シャーロットさんと2人きりの部屋で、しばらく沈黙が続く。
どうしよう。会話が弾むどころか、最初の要件を言ったきり、まるで進展が無い。
シャーロットさんは温度を感じさせないような感じで、要点を整理してくれた。
「ご用件をまとめますと。要するに殿方と良い感じになって、ねんごろになりたい。で宜しいでしょうか?」
「はい…。何かヒントになるような事が有れば…と」
「緊張しなくても大丈夫ですわよ。ライトネス様から最大限の協力をするよう厳命されていますので。
どんな小さなご用件でも、お力になりますわよ。ちなみにお相手は、どなたですの?」
「…。あの…その…。ト、トゥ・ナさんです…」
「女性のスリーサイズに興味津々の、あのお方ですか」
なんとなく、会話の節々から、嫌そうなオーラを感じる…。
そう言えば、シャーロットさんと初めて会った時もあの人がスリーサイズを聞いていて、
凄い顔で私たちの方を睨んでいたよね…。
シャーロットさんはその後、5秒ほど思案してこう言った。
「察するに…。あなたが片思いをしていて、状況は全く進展していない。
普通の会話は日に数回出来るけども、それで満足してしまっていて話し込むなどほとんどない。
男女としての会話など皆無。そもそも男女の会話とは何かから始める空気を感じますわね。
それと相手から女性と思われているか怪しい。直接確認するなど有る訳も無く、
それとなく探った事なども全く無い。
あなたはあなたで、男性経験は皆無。デートをした事も無い。
引っ込み思案で誘う勇気が今のところ無い。
相手は相手でそれなりに女性経験は有りそうで、容姿もそれなりに端麗で女性大好き。
それも割と女性ならば誰でも好きな可能性が高い。
さらに言えば、女性らしい体型をしている方がお好み。
奥ゆかしさなどは無縁のタイプでしょうから、このまま放置しておくと、
誰かほかの女性を口説いていく可能性が、それなりに高い」
たった、あれだけの会話から、どうしてここまで分かるのだろう…。
まるで日頃から見られてるかのように当たっている…。
「現時点で思うのは…。あなたが相手の事を知らなさすぎる、という感じがひしひしとしますわね。
また、相手も、あなたの事を知らない、もしくは、興味を持って見ている感じが少ない」
確かにそれはあるかもしれない。
「ただ、拝見している限り、あなたは、相手の容姿だけを見て惚れ込んでいる訳では無い。
人間的に魅力的と思っている。そういう側面をあなたは知っている。
行動を共にし、それを知る機会には恵まれていた。
本来なら引っ込み思案で、人にこんな事を相談するなど、普段は絶対にしない」
「はい。その通りです…」
「という事で…。現時点で足りてない課題、問題点は、まずはこんなところかしら…」
シャーロットさんはそう言うとまとめてくれた。
「1つ。相手の好き嫌いや、周りの人間関係、細かい事でも何でも、貪欲に知る事。
好きなら、勝手に知りたくなるし、覚えるはずですわよね?
それが出来ないのは、好きではないという事。
2つ。冒険仲間としてでなく、恋人として一緒にいたいと思っているとちゃんと伝える事。
自分がどれだけ相手の事を好きであるかを伝えるのは基本中の基本。
それも具体的にここが好きだと10や20は言えるくらいの熱量が必要ですわね。
3つ。女としての自分の魅力を知ってもらう事。
事あるごとにちゃんとアピールをしなくては、相手は理解してくれないですわよ?
あと、アピールをしたなら効果が有ったかはちゃんと確かめる事。やりっ放しはダメですわね。
見たところ、スタイルは悪くないのだから、もっと見せていかなくてはダメですわ。
相手はスリーサイズが気になるくらいなのだから、胸は押し当てていくくらいが丁度良いはず。
4つ。とりあえず距離が遠い感じがしますわ。
もっと積極的に一緒に出掛けるなり、軽いスキンシップをするなり、
何か心の距離が近づくような動きがないと関係は進展しませんわよ?
5つ。目の前で他の女を口説かれるようなら、ちゃんと嫌だとアピールすべきですわね。
スリーサイズを聞いているなら、その場ではたき倒すくらいで丁度良いですわ。
他に寄って来る邪魔な女がいるなら、すぐに蹴落とすくらいでないどダメですわね。
それが出来ないなら、一生、その立ち位置に甘んじる事になりますわよ。
最後に。
キツイ事を言えば…。総じて気迫が足りないように感じますわね。
抱いて欲しいとか、そういう女の欲望が見えてきませんわ。
あなた、本当に好きなの?
嘘なんじゃないの?
とても疑わしいのだけど?」
口調が変わった。凄く意地悪な目で見られている。
小馬鹿にしているっていう顔だった。
さすがに私もムッときた。
「好きですよ!」
「へぇー。本気度が分からないわねぇ? 今言った私の課題もどれだけきちんと分かってるかしらねぇ?」
何だろう…。
わたしはあなたをとても馬鹿にしている、という態度をはっきり全開に示されて、物凄くイライラする。
頭に来たので、言われた事を一言一句、全て間違いなく復唱してみせる。
こんなのは得意中の得意だもん!
「あら。ちゃんと覚えてるわね? 偉いわねぇ?w でも覚えてても使えないんじゃ意味無いわよねぇ?」
「…使いますよ!?」
「どうやって使う気なのかしら? まずは女の魅力をどう出す気なのかしらね?
何か、私の方が、胸は有りそうだし?
私がちょっと挑発的な服を着て彼の前に立ったら、私の胸に釘付けになるんじゃないかしらね?w」
「そんな事無いですよ!?」
あの人を馬鹿にされた気がして、頭が炸裂しそうになる。
一言一言が、頭にくる呪文でも込められているんじゃないかと思うくらいムカムカする。
怒るのが疲れるとかそういう風に思っていたけど、そんな事ない!これは怒る!
「あの人の好みはどんな服かしらねぇ?w
肩が丸出しに見えるような服で、胸の谷間もちゃーんと見せびらかして、
細い体の割に意外と有るのよ?って、男を誘うような服とかかしら?w
足も開放的に出してみたら、熱い視線で見られるかもしれないわねぇ?w
足元にも気を配って、可愛らしい靴でも履いてみようかしら。w
あ、でも胸のそこそこある私はそういうのも似合うけど、あなたには似合わないんじゃないかしらね?w」
「!! そんな服なんて誰にでも似合いますよ?!
ていうか可愛い服は私の方が似合うと思いますよ?!
あと!胸だってあなたよりは有りますから!」
「言うわねぇ?w
魅力的な服を着たところでデートの場所すらろくに知りもしない子が、どこへ行く気なのかしらねぇ?w」
行くアテなど何も無かったので、一瞬言葉に詰まる。
「今の季節だと、川沿いの道をちょっと東に行った所が、お昼過ぎ頃に行くと人も少なくて見晴らしが良いとか、
メインストリートの茶店のティータイムで、栗を使ったスイーツと一緒にお茶を飲むのが中々の人気だとか、
こんなお薦めのデートコース、あなた知らないでしょう?w」
全然知らなかった…けど、悔しいから、そうは言いたくない。
「し…ってますよ?!」
「あら、意外ね?w じゃぁ、これはどうかしら。w」
その後も、いちいち小馬鹿にするように、面白そうな情報を矢継ぎ早に畳みかけられる。
楽しそうな物を色々売ってる場所とか、小洒落た雑貨が所狭しと置いてあるお店とか、
美味しい料理のお店とか、ちょっと散策するのに良い小道とか、
可愛い洋服の売っているお店とか、ひと気の少なくて良い感じの帰り道とか…。
全部知らない事ばかりだった…。
それも、聞いてたら誰でも行きたくなりそうな、そんな感じの話ばかりで、
「そんな事も知らないくせに?」
みたいなダメ押しまでされて、余りの敗北感に悔しくてちょっと涙目になる。
ライトネスさんが苦手って言ってた気持ちが良く分かる。
ぐうの音も出ないほど追い込まれて、文句が言えなくなりそうだった。
「あら。元気無くなっちゃったわね?w
これは、デートする気も無くなっちゃったかしら?w
何なら私が代わりにしてきてあげましょうか?w
ちょっと勝負服でも着て行こうかしらね。
彼も"ベッドで"喜ぶんじゃないかしら?w」
「…何なんですか?! さっきから!」
「だって、デートしないんでしょ? 可哀そうじゃない。彼」
「しますよ!?」
「いつするのよ?w」
「そ、そのうち…」
「じゃぁ今日の夜は仕事がいっぱいで誘えないから、明日の夜、私がデートに誘っちゃおうかなぁ。w
あぁ、久しぶりの若い男w 手玉に取れそうでワクワクするわねw
ライバルがお子ちゃまだから、楽々勝てるっていうのが、また良いわねぇ。w」
「勝ち負けじゃないですよね?!」
「勝ち負けよ? 欲しい男がいるなら、さっさと口説いて、私しか見れなくなるように虜にする。
他に誰がいようが知った事では無いわね。w
先に私が夢中にさせたら、後からお子ちゃまが来たところで見向きもされないのよ?w
想像してみて?
男が、自分に夢中になって、真剣な顔で、自分にだけ、愛を囁いてくれるのって、控えめに言って、
"最高"に気分が良いのよ? あ、そのうちとか言ってるお子ちゃまには、早過ぎたかしらね?w」
「…い…から、…ますよ?」
「はい?」
「今から、誘ってきますよ!」
「あら?それは卑怯じゃない? 今日は仕事が有るのよ? 誘えないじゃない。ズルいわ? 後にして?」
「卑怯も何も!? 私が好きって言ってる人、横取りしようとする人に、言われたくないですよ!
仕事があろうが、し、知った事じゃないですね!」
「ほー。w ま、どうせ服のアテも無いでしょうし? 誘う誘うって言うだけで詐欺みたいなものよね?w」
「服を売ってる場所くらい知ってますから!」
「あら、そうw
でもぉ、良いお洋服着たところで、最後の最後で"抱いて?"の一言が言えないんじゃないの?
お子ちゃまだし…w」
「いっつもそんな事ばっかり考えてるんですか?! ふしだらですよ!」
「ふしだらな女に負けてからじゃ、何を言っても負け犬の遠吠えよねぇ?w」
「……!!!!! 抱いてとか、言うのなんて、一瞬ですよ?!」
「お子ちゃまらしく、ねんねしたいですぅ、の方が良いんじゃない?w」
「くーーー…! その、お子ちゃまっていう言い方、すっごく不愉快です! もう帰ります!」
「あ、ちゃんと後でデートに誘えたか、ライトネス様に報告お願いね?w」
「しませんよ!」
「あら? 誘うのは口先だけ? 結局、自信なしかしら?w」
「うるっさい!」
私は頭が沸騰して歯を食いしばるくらい怒ったまま、ライトネスさんの家を後にし、
勢いのままその足で服を買いに行った。
肩が丸出しになっていて胸を強調するような服が、たまたま服屋の店先に飾られていたので、
それをそのままのセットで買い、一緒に似合うような靴も鷲づかみにして買った。
帰りがけに見つけたトゥ・ナさんに、明日一緒に出掛けたいから付いてきてと、
かなり強い口調で約束を取り付けて、新しく建てられた自宅の部屋に籠り、
胸の見せびらかしかたとか、可愛く見える感じを、あーでもない、こーでもないと、ひたすら試し続けた。
これはいけそうだと納得した後、だいぶ時間が遅くなってしまったけど、日記を殴り書きした。
この日の日記は、読み返したくないくらい、呪詛がいっぱい書いてあった…。
後日の話だけど、私は、シャーロットさんにものすごい感謝することになる…。
後になって、お礼というか、お詫びに行ったくらい…。
シャーロットさんはこの後、ライトネスさんに物凄く怒られたらしく、
このままじゃ屋敷を叩き出されるから、早く助けてほしいと目に涙を溜めながら言われたので、
慌ててライトネスさんに事情を全部話して、2人に何度も謝って、誤解を解いたのだった。
経験豊富そうな人に話を聞きたいという欲求からしていたけど、
その結果、周りの女性がみんな応援してくれるようになったので、やって良かったと本当に思った…。
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