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夢を見た。
タンジェリンと逢瀬を重ねている時の夢だ。
彼女の生まれ故郷の話を聞いていた。
なんでも、彼女は将来を有望視されていた精霊との交信役で、巫女のような存在だったそうだ。
本当は語る事も禁じられているそうだが、自らにかかった呪いのために、お役御免になる日も近いらしい。
カノンの森の奥で世界樹を守りながら細々と受け継がれるエルフの一族の風習について静かに語っていた。
世界樹の苗には万物の命を司る魔力が有り、蘇生などにも使う事が出来るそうだった。
そんな力をダークマジシャンが聞いたら悪用することしか思い浮かばんな、
と軽口を叩いたら、咎める時の顔をしながら軽くつねられた。
その小生意気で可愛い顔をもっと見ていたくて、手を伸ばそうとしたところで、目が覚めた。
夢だったか…。残念な気持ちになる。その夢の余韻を楽しみつつ、しばし寝ながら考える。
突如、体に電気が走り、飛び起きた。
そうだ! なんでこの事を忘れていた! 世界樹だ!
それからしばらく、私は寝食を忘れ研究室に閉じ籠った。
世界樹という生命の根源からマナを奪取し、活性化させる術式。これならきっと行ける。
小世界樹の苗という代替品で試してみたところ、術式に必要なエネルギーは得られず、
小動物の蘇生途中で術は終わってしまったが、原理的にはこれでうまく動くはずだ。
私に残された時間は恐らくもうない。
大規模術式を行う体力がもうほとんど無い。
行うにも必要な生贄を連れてくることもままならない。
私が生きているうちにタンジェリンを取り戻すことはもはや叶わぬだろうが、
マーコットが生きている間なら、可能性は十分にある。
とはいえ、マーコットは恐らくダークマジシャンにはならないであろう。
そのためにも、蘇生の術をデーモンスクリームや生贄に頼らず、ソーサリーで実現する方法論を確立せねばならない。
ふと気付くと、冷めた食事が扉の近くのテーブルに置いてあった。
どうやらマーコットが置いてくれていたらしい。
もう少しの辛抱だ。お前とタンジェリンを必ず会わせてやるからな。
私が生きていようが、死んでいようが、必ずこれだけは果たしてみせる。
そう決意を固めるのだった。
最初は印象の薄い女だな、と思ってた。
優等生と言うのか、真面目と言うのか、面白い所の無さそうな、
会話の弾まなさそうな奴だった。
少なくとも育ちの悪い自分とは縁のない世界で、ぬくぬくと育ちやがった、
回復の出来るただの便利な道具だと思ってた。
その回復も、敵か味方かも分からない奴を平気で回復しやがる。
はた迷惑な奴だな、と思った事すらある。
ヤトやマーコット、ライトネス、アンスリュームと、次第に仲間かなと思えるようになった後でも、
あいつだけは、影が薄すぎて、いまいち仲間な感じがしなくて、言葉もたいして交わさなかった。
最初はお金にがめつい人なのかと思っていました。
何でもかんでもお金、お金…。
もう少し、人として大切にするものがあるでしょう?と、ちょっと見下していたかもしれません。
女の人と見れば容姿の事ばかり聞いたりして、いつもいやらしい目で女の人を見ているのかと、
ちょっと距離を空けていたりしました。
冒険の中で、話を進めてくれて凄いなとは思うのだけど、人の話を聞かないところがあったり、
人にお願いをする事なのに説明も無しに強引に協力させたり、見ていてもやもやする事も多かったのです。
少しだけ見方が変わったのはいつ頃だったかな。
覚えちゃいないけど、あいつも孤児だったり、黒魔術師の奴らにかなり酷い目に遭わされていたり、
という話を聞いてからだったかな。
ぬくぬくと生きてた訳じゃないのに、そのお人好しぶりは何なんだ?と思ってはいた。
盗みに興味があるような素振りを見せた時に、ムカつくよりも前にたしなめたのは、
多分、その頃くらいからちっとは気にしていたんだと思う。
見方が変わった事というのは、2つ有ります。
1つ目は、私が自分の呪われた能力について、皆さんに打ち明けた後です。
悪い事をする罪悪感は無くならない、それが無くなれば真の悪党になる…。私はこの言葉を一生忘れません。
2つ目は、ヤトリシノさんが大剣を手に入れた時の事です。
その剣は言わば人の命をすすって作られた物でした。
そしてその術を作りあげたのは、どう見ても私の能力だったのです。
私はどうにもならないほどの罪悪感で押し潰されそうになっていました。
その時、結局武器は人を殺す物だから、後に殺すか、先に殺してたかくらいの違いだ、
気にするな、って。
ぶっきらぼうにでも、そう言ってくれたのです。
あの後、1人になった時に思い出して、涙が溢れて止まりませんでした。
それからです。
この人は、本当は優しい人なんだと、思うようになったのです。
ノーラッドが死んだりして、イラつく事が増えてた。
正直なとこ、その頃は人の事を気遣ってる余裕なんて無かったよ。
ただ、例のカタコンベであいつが弱々しく倒れてるのを見た時、
なんだか、守ってやんなきゃなんないって、思うようにはなった。
好きとかなんとかじゃねぇよ。そう思ったんだよ。
その後、変なアイテムぎってきて、それを再生させるのに命が危なくなるけどやる、
とか言ってる時に、叱り飛ばしたけども、ほんとは殴りつけてやろうかと思ったくらいだったわ。
そういうの見てると何かイラつくんだよな。
嫌いとかそういうんじゃなくてさ。
どん臭いなとか、じれったいなとか、なんかこう、うまく言えないけど、
もっとちゃんと幸せに生きなさい!って、言いたくなるんだよ。
その後でしょうかね。
ノーラッドさんの死の知らせがあり、あの人が1人でどこかへ行ってしまいそうな感じしかしなくて、
自然と目で追うようになっていました。
その為か、たまに目があえば、会話もちょっとだけするようになっていったんです。
ちょっとの会話でも話せた事が嬉しくて、そういう日はずっと機嫌よく過ごせていました。
その時くらいから、日記にはあの人の事ばかり書くようになっていて…。
え?見せませんよ?恥ずかし過ぎますから…。
日記の話?
あああ…。500の話か…。
あれは勘弁してくれよ。俺も固まっちまったからな。
あの時、黙々と茶を飲み過ぎて、後で腹が痛くなったわ。
あれで気にするとかは、特に無かったよ。いや、ほんとだって。
いつもいつも言葉を口に出して日記を書いてる訳じゃないんですよ?
あの時は、たまたま、そういう事を500に聞かれてしまっていただけで…。
だから、そんな毎日のように「格好良い」とか書いてません!
たまにしか書いてませんったら!
アルトハルトの城で、マーベラスがあいつの顔を蹴っ飛ばしてるの見てな。
頭の中の何かがブチ切れた。
その後、奴をひたすらダガーで切り刻んでたな。
あんなに見境もなく、怒りが収まらなくなるとは自分でも思わなかった。
アルトハルトの城の地下で、クエリッサさんに対する仕打ちを見たときに、
もうどうにもできないくらい、頭が沸騰したかのようになってしまって…。
ついつい、マーコットさんに怒鳴ってしまったくらい…。
あの人の大事な人だ、と思ったら、何が何でも助けなきゃって、必死だったんです。
後でちゃんとマーコットさんには謝りましたよ?
なんの事ですか?って笑われちゃいましたけど。
ほんと、良い子だなぁ。
好きか嫌いかとか、そういうのは、上手く言えねーわ。人に言うもんでも無いだろ?
ただ1つ言える事が有るとすれば。
好きか嫌いか…。好きですよ? あの人がどうとも思ってくれなかったとしても。
私が言える事が有るとするなら…。
俺は、あいつを、守ってやりたい。
私は、あの人を、守り続けていきます。
話をそれぞれに別々に聞いていたアンスリュームは、満足そうに微笑むと、酒場の席を立って、それぞれにこう言ったのだった。
「ごちそうさまでした♪」
幼い頃、薄暗く冷たい石の牢屋のような部屋の中で、私はずっと1人で過ごしていた。
特にやる事も無く、毎日同じ絵本を眺めていたような気がする。
退屈とか、そういう感情がある訳で無く、それ以外を知らないので、
そのままずっとそうして過ごしているだけだった。
5歳くらいの時、心の中に、親し気に話しかけてくる声が聞こえてきた。
「ねぇ?僕と契約をしようよ?」
突然見えない何かから話しかけられたので、びっくりした、
胸の奥あたりから声が聞こえてくる気がした。
「け、いやく?」
「うん。難しかったかな。仲良くなる約束をしようよ、って事だよ?」
「なかよくなる?」
「そう。おともだち、かなぁ? おともだちがいたら、楽しいよね?」
「おともだち…。いないよ…?」
「そうかぁ。僕がおともだちになったら、なんでも君の望むことをしてあげるよ?」
「なんで…?」
「だって、おともだち、だからね」
「してほしいこと、ないよ…?」
「うーん。こまったねぇ。じゃぁ、この部屋から出るっていうのはどう?
外の世界は楽しいことだらけだよ?」
「外に出るの、こわいよ…?」
「おいしいものとかもいっぱいあるよ?」
「食べたいもの、ないよ?」
「…あのさぁ。何かあるでしょ?無い無いばっかり言ってちゃ、なんにも面白くないよね?」
「面白くなくても、困ってないよ…?」
「なんなんだよ、お前。それじゃこっちが困るんだよ。何かやりたいこと考えろよ」
「…何も思いつかないよ?」
「たらふく物を食べたいとかさ!いたずらしまくるとかさ!物を壊しまくりたいとかさ!
こんなとこに閉じ込めやがったやつをみんな殺しちゃうとかさ!
あるでしょ!」
「怖いよ…」
「あ?!」
「怖いから、話しかけてこないで!」
「ちょ、おま…」
その声は何かを言いたそうだったが、その後数年間は聞こえなくなった。
今思えば、多分だけども、マジックリアライザーの能力で、黙らせたのだと思う。
その声が聞こえた後、すぐに私は胸に宝石を埋め込まれる施術を受けることとなってしまった。
痛い!とずっと泣き叫んでいた記憶しかない。
その宝石は今でも胸の谷間の上辺りにある。
幸いな事に年々、胸の谷間の中に挟まれるようになってきてはいる。
もう少し胸が大きかったら完全に隠せたのにな、と思う。
その声を再び聴く事になったのは5年ほど経った10歳くらいの頃。
魔術結社で大きな事故があって、混乱していた時の事だった。
2年くらい前からそこに拉致され、度重なる虐待を受け続けていた私は、
抵抗する意思もくじかれ、ただひたすら殴られながら魔術の儀式を行う道具となり果てていた。
大爆発が起きていたり、周りで阿鼻叫喚の状況になっている中、私はただその光景を眺めていた。
儀式の途中ではあったのだけど、マーベラスやその他の魔術師は何が起こったかを把握するために動き回っていた。
言う事を聞く道具に成り下がっている私が逃げるはずもないと、そのまま放置されている状態だった。
「ねぇ君。逃げなくて良いの?なんか周りは大変な事になってるよ?」
どこから聞こえてきたか分からなかった。
でも、つい返事をしてしまっていた。
「逃げたりしたら、またたくさん殴られちゃうもん…」
「逃げなくても殴られるよ?
逃げて見つかれば殴られるだろうけど。見つからなければ殴られないよね?」
「駄目だよ、どうせ見つかっちゃうもん。殴られるのは怖いもん…」
「いい事、教えてあげようか?」
「…?」
「逃げないと死んじゃうんだけども、死ぬのはもっと痛いんだよ?」
「え…?」
「殴られる方がまだマシなんだけどなぁ…。そっかぁ。痛い方が好きなんだね?」
「痛いのはいやだよ…」
「じゃぁ、今逃げないと…。早くしないと、死んじゃうよ?!」
力なく、呆然と見守っているだけだった体が急に動くようになった。
殴られるより痛いという、死の痛みの恐怖が勝ったのだ。
「あ、どうせならさ。そこにある、パンと、チーズを持ってこう?
それをそこに落ちてるカバンに入れなよ。
水は入れられそうな物が無いね。
まぁ、それは後でどうにかしよう」
言われるままに詰め込む。
「そこの像の所に板があるでしょう?そこに穴があるみたいだから、飛び込んでみよう」
「飛び込むの、怖いよ…」
「ああああ!!!死んじゃうかも!!!」
すぐさま板に飛び乗った。
真っ暗な穴に吸い込まれるように落ちていくのは恐怖だったけども、死んじゃう痛みの恐怖に比べたらマシだった。
今思えば、妖魔や幽霊を怖がる子供を脅すような悪辣なやり方だと思う。
でも、その時の私は、そのくらいの事を言われないと動かなかったと思うので、丁度良かったのかもしれない。
落ちた穴の先は何か滑り落ちるような構造になっていたようで、訳が分からないまま下の方に滑り落ちていった。
真っ暗な中、声に導かれるように必死に進む。
登りの梯子を伝うとすぐに外に出れた。
真ん丸いドーム状のカタコンベからはもくもくと煙が出ていた。
中では大変な騒ぎになっているのだろう。
見つからないように物陰に隠れながら、森の中へ逃げ込んだ。
「ほらほら。もっと遠くに逃げないと。
捕まっちゃったら、ぼっこぼこに殴られちゃうよ?
痛いよ?怖いよ?」
恐怖で息が出来なくなりそうになるけども、心の声はそんな私をひたすら追い込んでくる。
(早く逃げたい、遠くに逃げたい!)
その途端、目から血が噴き出し、何かが起きた。
気が付くと森の中を物凄い速度で走っていた。
移動速度が速くなったのか、瞬間に移動したのか、相当遠くまで逃げていたようだった。
カタコンベの騒ぎの音は全く聞こえなくなっていた。
途端に体が言う事を効かなくなり転んでしまう。
心臓がバクバクと音を立てているようだった。
しばらく大きく息をしながら寝転がっていたと思う。
そのうち、呼吸が落ち着いてきた。
耳をすますと森の中を流れる小川のせせらぎの音がうっすら聞こえてきた。
何とか這いつくばってそこまでたどり着く。
からっからに乾いたのどを潤すため、手ですくう事もせずに水を飲む。
「ちょっと休んだら?パンとチーズでも食べようよ」
言われてから、そういえばカバンに入れていた、と思いだす。
そこそこ大きなパンとチーズだった。
1回で食べきる量ではない。
上手くすれば3日は食べれるんじゃないかと思えた。
固いパンだったけど、必死にむしゃぶりついた。
食べたらうとうととしてきた。
「しょうがないな。ちょっとだけ寝ていいよ。
後でたたき起こすからね?」
その後、すぐに寝てしまっていた。
どのくらい経ってからか、心の声にたたき起こされた。
「追っかけて来ちゃったかも!
見つかったら殺されちゃうかもね!」
飛び起きた。
周りに全く人の気配は無い。
それなのに人が追って来ている!と喚かれる。
見えない何かに追い立てられる恐怖で、また必死に走り始める。
数日間、そんな感じで、必死に走りながら逃げていた。
その後、パンもチーズも無くなり、何も食べる物も無いまま、時折流れる川の水を飲むだけだった。
走る元気は無くなり、よろよろと歩きながら逃げた。
何日経ったか分からなくなった頃、街道に出た。
真夜中だったけど、月明かりのおかげで街道が見えていた。
その頃は意識が朦朧としていて、ただ足を動かしているだけだった。
「ねぇねぇ。あそこに焚火の明かりがあるね。人が居るんじゃないかな」
「追いかけて来た人だったら、怖いよ…」
「ちょっと近くに行ってみようよ、
何か食べ物を分けてくれるかもしれないよ?」
食べ物と聞いて体が動くようになる。
50m程先に焚火の明かりがある。
寝ている人影が1人居るようだった。
寝ている人を起こしたら、怒られ、そして殴られる。
そう思うと、近寄るのが怖くてこれ以上は動けなかった。
「寝てるみたいだね。ちょっと食べ物だけ、こっそりもらっちゃえば?」
「これ以上、怖くて近寄れないよ…」
「じゃぁ、殺しちゃえば、良いんじゃない? そしたら近くに行っても、怖くないよ?」
「そんなの、出来ないよ…」
「出来るよ。君が死んじゃえ、って望めば、出来るんだよ?」
「でも…」
「お腹減ってて、自分が死んじゃいそうなんだよ?
死んじゃったら、物凄く痛いよ?良いの?」
「それは…いやだよ」
「死んじゃいそうな時は、何しても、良いんだよ?」
「何しても…良いの?」
「そうだよ?
だって、死んじゃったら痛いもの。
痛いの、いやでしょ?」
「痛いのは…いや」
「それなら、しょうがないよね?」
「死んじゃいそうだから…何しても・・・良い」
「そうそう」
「死んじゃいそうだから…あの人が死んじゃっても…良い」
「良いよ、良いよ」
「…死んじゃえ…死んじゃえ…」
そう呟きながら、ゆっくりと寝ている人影の方に近づいて行った。
焚火の明かりに照らされた姿が見えてくる。
女性のようだった。
何かの魔法でも掛かっていたのか、突然、その人物が起き上がる。
「そこに居るのは誰!?」
私はびっくりして体を強ばらせたまま固まってしまった。
どこか逃げ場所をと思って、なんとか眼だけで後ろを見てみたけど、焚火を見過ぎて目が明かりに慣れていて、
周りが真っ暗で何も見えず、どこに走ったら良いか分からなかった。
「ち!気付かれたか!早く殺しちゃえ!」
「無理だよ!相手は大人だよ!」
「うるせぇ!やれったらやれよ!」
「出来ないよ!?」
「だー!使えねぇ奴だな!だったら逃げろよ!」
「ごちゃごちゃ言わないで!もう黙ってて!」
「あ!またこいつ…」
心の声を黙らせるため、目をつぶって強く願っていた。
声はすぐに聞こえなくなった。ほっとした。
不意に近くで物音がした。
目を開けて見上げると、先ほどの女性がすぐ目の前に立っていた。
焚火の薄っすらとした明かりを背に受けていて、その人の表情は真っ暗で見えなかったが、
絶対に怒られて殴られるんだと、私は思ってしまった。
頭が真っ白になった。
恐怖でひきつって何も考えられない。
何かを叫んだと思うのだけど、何を言ったか覚えていない。
私はそのまま意識を失って倒れてしまった。
「…あなた、大丈夫?」
そう言われて、目覚めた。焚火の近くで寝かされていた。
女性はウルドと名乗ってくれた。
この人がリスモアのラーダ神殿の神官長、私の育ての親となる人だ。
起きた後、恐怖は何故か無く、物凄く落ち着いた気分になっていた。
体中にあったはずの傷は全て治されていた。
虐待されて出来た傷もきれいさっぱり無くなっていた。
「あなた、お名前は?」
「…私は、卑しい悪魔の子、ルシフェルが魂の宿り木、ルーシィです。…ご主人様」
「…なんてことなの…」
結社では、このように名乗らないと殴る蹴るの暴行をされたので、そのまま答えた。
悲しそうな顔をされた。
私がそれだけ卑しい存在なのだと、その時はそう思った。
「子供に、そんな風に名乗らせるなんて、あってはならないの。
いい?もう、その名乗り方をしてはダメよ?」
「はい、ご主人様」
「それもダメ。私はウルドよ?
名前で呼んで良いの。ね?」
「……」
大人をそんな風に呼ぶなど、考えられなくて、口籠る。
殴られそうで怖かったのだ。
「分かった。怖いのね?
…じゃぁ、神官長様ならどう?」
「分かりました、神官長様」
「良いわね。賢い子。
あなたのその名前。遠い国の神様だったらしいわよ。
その名前を本で読んだ事がある。
その名前はね。本当は素敵な名前だったの。
決して、卑しい名前なんかじゃない。
その名前が指し示すものは、光。
天に輝くまばゆい星の光。
とても美しい名前なの」
「光…?」
「そう。
私たちの言葉では、ルーシア。
今日からあなたはルーシアと名乗りなさい。
ね? 素敵な名前でしょ?
希望に満ちた光輝く名前よ?」
「はい。神官長様。
私の新しい名前は、卑しい悪魔の…」
「ストップ!
…ただ、ルーシアです、だけで良いの。
いい?」
「はい。私は、ルーシアです」
「良い子ね」
いきなり撫でられ、褒められた。
何もしていないのに褒められたのは、初めてだった。
「お腹が空いているでしょう?これを食べなさいな」
そう言って神官長様は私に食事を与えてくれようとした。
暖かそうなポトフだった。
でもその時の私は、ただで食事をもらえるとは思っていなかった。
何か奉仕をしないと食事は与えられないものだと思っていたのだ。
「神官長様」
「なぁに?」
「何かおのぞみの事を私に言ってください。それを私が叶えます。そうしたらご飯を食べさせてください…」
「え???神様みたいな事を言うのね?w
肩を揉んでくれるとか、そういう事?w」
「いえ。誰かを呪ってほしいとか、消え去ってほしいとか、こんな魔法があったらいいなとか…」
「…なんて、ことなの…」
神官長様に抱きしめられる。神官長様は泣いていた。
「あなたの胸の宝石を見た時に、まさかとは思っていたのだけど…」
神官長様は、私の治療をする時に胸の宝石に気付いてはいたものの、
それがマジックリアライザーにかけられている制約の宝石だ、とまでは思いたく無かったらしい。
「いい?
その能力を使う事は、あなたに痛い思いをさせたり、嫌な思いをさせるものなはずでしょう?
私の前ではもうそれを使わなくて良いの。
そんな事をしなくたって、ご飯をお腹いっぱい食べて、ちゃんと学んで、ちゃんと寝る事が出来るの。
私があなたの面倒を見るから。ね?
母親と思ってくれても良いのよ?」
「はは、おや?」
「…お父さん、お母さんの事は、覚えていない?」
「…私は、ほこりたかき暗黒魔術師と、けがれおおき暗黒神官の男女のぎしきによって、
悪魔の子として生を受けた、と教えられました…」
この時の私は、この言葉の意味をあまり分かっていなかった。
言われた言葉を、そのまま覚えていて、神官長様にそのまま伝えていた。
「わかった。
じゃぁ、私がゆっくり、あなたにお父さんやお母さんがどういうものか、ちゃんと教えてあげる。
いつか、あなたにそれがわかる日が来て、あなたが胸を張って、
私のことをお母さんだって言ってくれるその日まで、
ちゃんとあなたの面倒を見るわ」
「…何も、してなくても、ご飯を食べて、良いんですか…?」
「そうよ。いっぱい食べて良いの。早くおあがりなさい」
「はい。ありがとうございます。いただきます。神官長様」
夢中になってご飯を食べている横で、神官長様はこんなことを言っていた。
「言葉遣いは、もっと気軽になれるよう、追々、教えていくね…」
これが、ウルド神官長と、私の出会いだった。
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