1899年商業芸術家ジャン・マルク・コテはシガレットカードのイラストを玩具メーカーから請け負ったが、操業停止となり世間に出る事はなかった。2000年の世界を予想したこの50枚のカードについてアシモフが、科学エッセイストの視点から一枚一枚を検討しているの。このアシモフらしい生真面目さも面白い。
100年前から現代世界の予想で、外れているのは次の3つに分けられる気がする。
1) そもそも需要が無かった
2) 経済的に見合わなかった
3) 100年後にはすでに陳腐化していた
100年後の社会を予想するというのは、知的な遊びとして面白いが、今はあまりに変化が激しくて2100年を予想しようとする人は少ない。20世紀最後の年、是非とも考えてみたい。
科学の限界について様々な角度から述べている。あまりに範囲が広いために散漫な印象を与えるが、面白かった。神学的な神の存在と不可能の概念の検証、宇宙論的な限界、ゲーテルの不確定性理論、複雑系(翻訳は複合性という言葉を使っている)…。限界を知る事により、逆に科学を総合的に語っている。
第19回横溝正史賞正賞受、「化かして荒波」の改題。
明治時代の終わり、主人公は詐欺師の伊沢修。伊沢が仕掛ける、中国革命同盟、陸軍参謀、子爵、清朝皇族までを巻き込んだ詐欺事件の物語。明治という時代設定は面白いが、雰囲気は完全に出てないし、ラストはごちゃごちゃしてすっきりと終わってない。せっかくコンゲームの舞台を作っているんだから、「スティング」までとはいかないまでも、もっとスパっとした結末を作って欲しかった。
「ソラミタコトカ 会社つぶれてしもたがな!」(フォレスト出版)の文庫判化。著者のホームページの内容を書籍化したもので、いかにもWeb的な文章でチャチな感じがするけど、内容は面白い。
ワンマン経営、会社の金がオンナ(それも本部長)を囲う、アパレルの割に趣味が悪い社長…当事者にはシリアスな問題も、第三者から見ると笑ってしまう。関西ノリの文書で一気に読める。以下のサイトにほとんどの内容はある。
大会社と言えども、本質的には同じ問題を抱えていたりするので恐い。
→「会社潰れてしもうたがな」-
著者のサイト「Office Y2」の中
十数年ぶり、二回目。古本屋で懐かしくって買って読んでみたが…。出版されてすぐに読んだ時は、抱腹絶倒で電車の中では恥ずかしくて読めなかったほどだったのに、なんでこんなに面白く感じないのだろう。時代のせいか、単に二回目だからか、年をとったせいか?所詮、パスティーシュなんてこの程度の面白さだったのか?謎だ。
→ 清水家のお茶の間ページ
- 清水幸範のfamily home
→ 永遠の清水義範 - ファンのページ
「アメリカ50州を読む地図」に続いて浅井信雄の本。
世界を国という切り口ではなく、民族という切り口で読む本。民族と紛争は切っても切れない関係になっている。民族について考える事が世界的な平和へと繋がると考えると、民族という視点でもっと物事を考えてもいいかなと思う。しかし、日本にいると、ほとんど民族なんて意識しないから、日本人にこそ読んで欲しい本。
TVの特集で、ドナ・ウィリアムズを取り上げていたのを観て、是非読みたかった本。自閉症の著者自身が子供の頃からの自分を振り返り、自閉症という正体が判りにくい病気を克明に描き出す。
外界に対する感覚の違い、性格も口調も違う多くのキャラクタを使い分けて社会に対応して行く様など、驚かされる。貴重な本だと思う。
→ アスペルガーの館
- アスペルガー症候群について
→ 「理解to理解」-
ペンギンくらぶ、自閉症、注意欠陥障害、学習障害など
「意外体験!イスタンブール」を読んで、ツアコン小説というジャンルの岡崎大五が気にいった。著作は数冊しか出してないので総て読むつもり。これは添乗員時代の体験をベースにした、多分フィクション。実話がどの程度混ざっているか、脚色されているかよく判らない。
ランドクルーザーでサハラを疾走する平均年齢65歳のツアーの「疾走サラハ」を始め、「VIP入国作戦」「ハリケーン来襲」「おかしな二人」「バックパッカーで行こう」「涙のアッシジ巡礼」など。ブラックリストに乗っている常連の悪行の数々、ツアー慣れした老人たち、世界中を旅したトラブル自慢など、数々のエピソードがかなり笑える。
→ 前作「添乗員騒動記」感想
「波」に1997年4月号〜1999年12月号に連載されたものを、加筆修正しまとめたもの。1996年8月に没した渥美清との交流、記録。
人間としての渥美清が判って面白い。才能ある努力家、インテリをおそれている、無邪気さ、計算高さ、上昇指向、肉体的弱さに対する不安、秘密主義、現実主義、神経質さなどなど、小林信彦の冷静な目が描き出す。
戦後の芸人についてのさまざまな話題も面白く読める。藤山寛美の話、「幕末太陽伝」が面白すぎて、後年、川島雄三が姉妹編として企画していた(といってもメモだけが残っていた)
「寛政太陽伝」に固執したフランキー堺の不幸、渥美清に対する伴淳三郎のいらがらせ、などなど。
病気の体で撮っていた晩年の「男はつらいよ」の苦労、銀幕の中からも痛々しさが伝わってしまっていたので、読むのも辛い。しかし、没後に突然神聖化されて国民栄誉賞をあげるなんか、馬鹿らしい。あげるなら、生きているうちにして欲しいもんだ。
この本には出てこないが、渥美清の芸名は、大衆小説の主人公、渥美悦郎から取ったらしい。名字が私と同じなので、ずっと気になっていたのだけど。
→ Nobuhicom - 小林信彦ホームページ
読むまで知らなかったが、著書の川辺は大学の隣の学科の人だった。彼女の意匠工学専攻の修士論文、「違和感を求める遊びについて-上下反転メガネ体験を通じて」がこの本の元になっている。
認知科学などでよく使われる逆さメガネについては、簡単な記述はよく例として引き合いにだされるが、ここまで実地に実験して、試したのは読んだ事なかった。逆さメガネをしたまま街を歩き、キャッチボールをし、バイクの後ろに乗り、ロープウェイに乗るなど、様々な体験の記録。
関係ないが、千葉大西門前の北京亭とか出てきて懐かしかった(^^)。
1950年、旧ソ連のモスクワに生まれた結合性一卵性双生児(シャム双生児)、マーシャとダーシャの姉妹。二人が交互に語り、自身の言葉をまとめた自伝。
共産圏では、"障害者など居ないものとして扱われる"とはよく聞くが、真実の体験から出た言葉が重くのしかかってくる。生まれてすぐに両親から離され、劣悪な環境の病院、施設、老人ホームに閉じ込められる。ひどい事に、その中でも二人は差別される。
過酷な生活の中でも、ユーモアを持ち恋愛もする。マーシャとダーシャ、それぞれが一人づつの人間である、当たり前の事実を再認識し、深く考えてしまう。
マーシャが好奇心旺盛で活発で喧嘩っぱやく、ダーシャは勉強好きでおとなしくと性格が異なるのは面白い。ある面、二人の性格が補間しあっていたのがよかったかと、後で思った。
随分と話題になった本ではあるけど、やっと読んだ。インターネットの問題点を指摘した本は多くあるけど、どれも内容に乏しくて、著者が「カッコウはコンピュータに卵を生む」の人じゃなければ読まなかっただろう。著者が初期からのインターネットを詳しく知っているのだから、なんらかの真実はあると思って読む。
論点としてはそれほど新鮮ではない。非建設的な電子会議の会話、役に立たない電子メール、果てしないバージョンアップ、判りにくいソフトにさらに判りにくいソフトのマニュアル…。
手書きで配達人が配る手紙は味があるし、図書館のオンライン検索よりカード目録が好き、コンピュータ上では無い現実の世界には素晴らしいものが広がっている…。まあ、そんなトコだけど。
まあ、言いたい事は判るけど郷愁の様にしか聞こえない。
原題から考えると邦題はちょっと過激かも。
著者の前々作の「上海の西、デリーの東」みたいなアジアの旅の話。全体に話の流れみたいなモノは無く、バラバラな旅行エッセイ風。文章は簡潔に、より洗練されて面白くなっている。
しょっぱなの中国の公衆便所の話、簡潔ではあるがその凄まじさの描写は凄いし、拷問の様なナゾの寝台長距離バスの話は読んでいるだけで息苦しくなってくる。面白かった。
後半に出てくる、ミドリさんの話…どっかでミドリさんの伝説を読んだ事あるなあと、何冊か本を探してみたら、下川祐治「アジアの誘惑」の「ミドリさんの安宿伝説」に出てきた。同一人物かは判らないが。
→ 素樹文生のHP