Koshimizu tougen
    − 月、語る −
アオサギ
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 隅無しく心随万境転を知る真情者の月が、皮肉な運命の時を得て、其の一端を披瀝し始めた。

 その語り口は嘆きの霧で己を覆い隠すほどではなく、愛別離苦を哀訴している訳でもなく、どちらかと云えば淡淡とし
 ている。されど満月の包容力から離れていることは確かである。それが却って決心の固さを表し、本音を吐くには持っ
て来いの廻りを得たのは間違いない。

 そう、古来、密かに君を愛でて来たのは私の方であって、断じて君の側ではない。
 と、月が語り始めた。

 極わずかの者が私を見上げ、時には称美し、時には愁嘆する。
 しかし、今はどうだ。私を宇宙に散らばる単なる一つの星屑として扱うか、或いは儲けの材料と看做している始末だ。

 さらに、君の愛育しもの達が君を鳥瞰するが、生命の源泉への畏敬の念などさらさらないのだ。まるで無機質な物体を
睨め回し、値踏みし、商機を逸すまいとするようである。

 其れも此れも君の優しさが招いた災いなのであるが。よく考えるが良い。私は君の成劫以来ともに在って、日々君に声
を掛け続けて来た。そして、君の成長を見守ってきた。

 そう、劫初より劫末迄君と在ることを定め付けられている私なのだ。情愛が強くなるのも当然というものだ。たとえ近
親者の憎しみを募らせたとしても、堪える切れないことは明白で、所詮、愛の深淵を覗くことにしかならない。

 私と言えば、殷賑を極める君に比して、頑なの沈黙を、老木の如くに色褪せて色付くことも無く、沈殿鉱物の有様で、
守っている。が、其のお陰で沈思黙考する時を十二分に得たことは幸いであった。

 丸で書斎に閉じ籠もり続ける思索家か哲学者のようであったのは、私の性分に合致していたのかも知れない。

 自分で言うのも照れ臭いが、君の一随に勝るとも劣らないパスィオーンとヴンシュを、冷めた表面からは想像が
付かないくらいに、内部に秘めている。其れが何かは孰れ君にも理会して貰えよう。

 私は之までの境遇に極めて満足している。

 が、少しばかりの皮肉屋になっているのは、永遠にも等しい時を間に挟み、君を冷静に見詰め続けて来た者として、君
も頷いてくれるであろう。

 君は私を髪飾りの如くにあしらった。私は華やかさは無いものの後挿の銀の簪として、君に十二分に仕えて来た。

 君は生命の星として美麗な装飾で被われ、幾多の命を育んで来た。私も其れを善しとし、君の闇の時を照らし、清夜に
趣を添えて来た。

 が、それが誤りであり、大いなる悔悟である事を今は知った。そして、あたかも君の未来はナルキッソスのようであり、
取り返しの付かないことに陥っていることが見えた。

 告げる時が到った。

 其れは私自身の運命にも影響を与えずにはおかないであろう。

 単に連れ合い星の心配事とはいえない。獅子身中の虫は蠢動し続けている。彼等には恐れというものは皆無だ。

 君が生んだ其の独特の生命は、初心の心掛けを忘れ、十万里の遠距離を物ともせずに、四十五億年余の静謐さを破りに、
私迄を侵略しに来たのだ。

 表向きは見上げられる星としての立場を堅持していたのだが、君が特に慈愛を注いだ種が、しばしば土足で踏み込み或
いは密かにこそ泥の如きに盗み見を為し、私と君の、つまり、見る見られる立場の真実を暴いてしまったのだ。

 それにあの種はどうだ、物怖じしない燦々たる陽光の星さえも、今では暗黒の宙に幾らでもあると嘯く始末である。
 が、君のように粲粲とし、更に慈愛に満ちた星が他に在ることなど、闇の旅路の末に私に辿り着く多くの流れ星さえ、
語りはしなかった。

 そう、今、私は誇りをもって君を讃える。全宇宙を隈なく探し回っても、君ほど価値高きものは存在しない。
 私と云えば、同じ場にいながら、私は君の闇を減ずる役割と君の美しさを引き立てる役目のほか、多少の
さざ波を立てること以外、際立つことなど何一つ無かった。その私が証言しよう。

 しかし、今、私を踏み台にして君を眺めることに成功した彼等は、君のガラス細工のような繊細さや其の比類ない優
美さを何の変哲もない星屑として観察しているのである。

 其の種は、新たに自身を超える高尚な哲学を獲得することもなく、相変わらず、君の表面にへばり付いて、血みどろ
の争いを繰り広げる知能レベルなのである。

 拘らず、可憐にも君は不断の微笑と比類なき生命を与え続けているが、私から見れば、可なりの傷心に耐えているよ
うに映る。慈母に敗子ありである、大丈夫なのか。

 勿論、君と運命を共にすることについては何等意義を唱えるものではないのだが・・・。

 堪えに堪えて一挙に消滅する訳にもいかず、次第に様相を変えている君を見るのも、久しい。

 さて、くだくだと牛の涎のごとくに君との係わり合いも含め、愚痴めいたことを言い続けているだが、実は君に隠し
事をしていたことを、白状しなければならない。

 それこそが、真に話したかったことであり、君に了解を求めたいことなのである。驚かないでほしい。

 勿体振らずに、では語ろう。

 君がこの極大から極小に亘って命の筋道の通った宇宙に誕生し、君自身が如何なるものに成り得るか未だ定かでなく、
カオスの只中に在った頃、私は既に使命を帯びた者のように君の傍に位置づけられた。

 そう、私は君の生み出す万象を保存をしていたのである。私の内部には数十億年の間に君によって創造された全てが
その生成過程までも含めて、私の深奥に納められている。但し唯一の種を除いてではあるが。私は注意深く其の種をス
クリーニングしていた。

 そう、其の種とは君が短時間の内に造り上げた知性人といわれる人類である。

 君は上得意であった。なぜならホモ・サピエンスこそは君に心酔し、君を敬愛し、他の創造されたものの善き管理者に
なるはずだった。

 しかし、すべては当てが外れたのである。そして君は今、衰弱し、落剥の身をさらしているのである。君はこの無限の
虚空で後ろ指差されることのない星であった。が、ホモ・サピエンスが君自身を指弾させる原因となった。
 住劫の時は過ぎ、最早壊劫に至ったのだ。身勝手な者の時は速やかに過ぎるものだ。

 消滅が君を待ち受けることになった。其の時には当然ホモ・サピエンスも無に帰すことになる。

 君が最後の光を放つ頃には、私は遥かの億光年を旅している。私の体内に秘めた善きもの達の完全な復活を願い、新た
な星を求めて、空劫の旅を続ける。
 そして私はまた連星となり、善きものを見詰める。其処では創造するのでなく、慈しみ育むところである。

 創造とは破壊に連なり、決して善きことではない。君も知るように創造の喜びの先に在るのは愚かさの充満であり、挙
げ句の果ての戦渦であり、悔悟なき欲垢煩悩の発露であり、そしてなによりも慈愛の欠如である。
 君の度外れた創造の結果、君を真似て先鋭なる創造を付与された種が正真正銘諸刃の剣となり、君自身に災厄が降り掛
かったのだ。

 そうだ、忘れないうちにもう一つ加える。ホモ・サピエンスの想像した天国と地獄は存在した。なぜなら天国と地獄は
私自身であり、私こそが辺土を司る者である。

 天国とは善きものの来る所である。善きものとは存在そのものである。

 地獄とは私の体内に受け入れられずに門前払いに遭うことであり、再び君の周りをうろつき、君の最後の劫火に苦しみ
 悶える事である。存在そのものを知る知恵を与えられながら、愚かにも背理するものの末路である。

 君が生んだ多くの慈しむべきもの達を、無辜のもの達を、ホモ・サピエンスの都合に任せて犠牲にされしもの達を、人
の種と共に無間地獄に落とすわけにはいかないのだ。またその謂れ因縁も絶無である。

 君よ、どうか裏切りとは思わないで欲しい。

 さぁ、もう堅く口を閉ざそう、それが私の性と見做されているのだから。それに新月も近い。
 叢雲に乗じて、私は静かに旅支度を始めよう。


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太陽系内の囁き 永劫を刻む波動  大慈大悲  狸、語る  暗黒へ羽ばたけ