八千代町と将門伝説

平将門たいらのまさかど)とは 

平将門は今から千年以上も昔,坂東とよばれていたこの茨城県に国王神社の将門木像
生まれ,そして死んだ武将です。将門が生まれた所は,当時「鎌輪」と呼ばれた地域ですが,そこは仁江戸にある御所神社あたりであったろうとも言われています。鎮守府将軍であった父良将を早くに亡くし,それが原因で叔父の平国香良兼からいやがらせを受け,やがて一族の争いが始まりました。そしてその戦いは関東全域を巻き込んだ戦乱となり,将門は巫女のおつげで「親皇」を名乗ります。
 しかし,悲劇は突然やってきました。藤原秀郷を総大将とする朝廷追討軍に攻められた将門は,天慶三年(940年)2月14日,現在の岩井市国王神社,北山付近で敵の平貞盛が放った一本の矢をこめかみにうけて討ち死にしました。

                 
 これからご紹介するお話は八千代町に残る平将門伝説です。  

  1 変装の鏡が池(根の谷)

  2 栗山観音の梵鐘(栗山・舟戸)

  3 哀れ君御前(六軒)

  4 水口と馬橋(水口)

  5 どろ不動と桔梗姫(仁江戸)

  6 なべんざ不動(下山川)