変装の鏡が池(菅ノ谷)

 

むかし,新井の北西,九下田の川村と境を接するあたりには10アールほどの「鏡が池」と呼ばれる池がありました。周囲を老杉がおおい,昼なお暗い池を訪れる村人はほとんどおりませんでした。緑色の水をたたえた池は底なしのように深く,大蛇が住んでいるとさえうわさされていました。
 さて,承平天慶の乱で叔父の国香,源護の息子らに襲われた将門は,ようやくのことでこの鏡が池のほとりまで逃れてきました。しかし,森のまわりは敵がいまだ取り囲んでおり,たやすいことでは脱出できそうにありません。
 そこで将門は一計を案じました。将門にはいつも七人の影武者が付き従っていましたが,それぞれに命じて馬から池のほとりに降りさせました。そして鏡のように凪いだ池にめいめい自分の姿を映しださせ,それぞれを将門そっくりに変装させたのです。

 まもなく味方でも全く見分けがつかないくらいに似た,七人の影武者ができあがりました。それを確かめると将門は再び馬にまたがり,敵が待ち受ける森の外へ飛び出しました。国香や護の子どもたちには誰が本物の将門か分かりません。そうこうしているうちに
将門は無事自分の領地へ戻ることができました。

 鏡が池にはこの他にも不思議な伝説が言い伝えられています。
 ある時ひとりの男が夕暮れ近い七つ(午後5時)すぎ,この池のほとりを通り過ぎようとしました。すると突然一陣の疾風が森を吹き抜けました。何事だと思い池の端で足を止めた男は,何気なく池をのぞきました。すると湖面には青白い月明かりに照らし出された大きな剣が一振り,白々と映っているではありませんか。それを目にした男は「ぎゃー」という叫び声をあげると,一目散に逃げ帰ったと言うことです。

 またある時,やはりひとりの女がこの池のそばを通りがかりました。すでに鏡が池の不気味なうわさは耳にしていましたので,足早に通り過ぎようとしたところ,つい何気なく池の水面をのぞいてしまったのです。すると湖面にはなんと大きな鏡が映し出されていました。びっくり仰天した女はその場で腰を抜かし,へなへなと座り込んでしまいました。

 こんな不思議な言い伝えが残っている鏡が池には,大正時代まで東岸に土塚がありました。その塚の頂には見ざる・聞かざる・言わざるの三猿の碑が建っていたそうですが,いつのまにかその塚もなくなり,砂利取り場や水田へと姿を変えました。そして今では辺り一帯は広々としたゴルフ場になっています。