お金の機能

お金は大きい社会における抽象的他人どうしの利他的行為をやりとりするためにあると考えられます。つまり、お金は知らない人どうしを関係させるためにあるわけです。我々はお金をやりとりすることで、匿名的な関係になります。匿名とは名前が無くて身体があることです。名前はその人の機能つまり人格の独自性を表します。抽象的他人、即ち匿名の人物は構造だけがあって機能が不明なので、機能の部分はお金によって補うわけです。つまり、お金は名前の代わりです。

しかし、お金の機能と構造は対応していません。お金の機能はお金をやりとりする人の頭の中にあるのであって、その実体である紙片や金属片は機能していません。機能に対応する構造がないものは幻想です。お金は匿名の身体どうしの関係を成立させる幻想であると言えます。お金に関する幻想とお金そのものを結びつけているのは、お金に書いてある「10円」とか「1万円」という文字であるわけです。

関係とはお互いの運動と感覚をつなぐことです。お金を介する関係は社会的行動のやりとりです。社会的行動とは確定的行動であり、それは我々にとって身体の束縛であり苦痛でもあるので、より確定的な行動をとる側が代償としてお金を受け取ります。個人にとってのお金の価値は、それを使って身体を解放することにあります。お金を受け取る側はより身体を制御するのであり、より意識的でなければなりません。お金を払う方は比較的身体を解放することができ、より無意識的な状態でいられます。より意識的に行動する側がお金を受け取り、より無意識的に行動する側がお金を払うとも言えます。

お金を受け取る側は身体の制御をするので、それなりの技術が必要となります。身体を制御する技術が金儲けの手段となるわけです。また、芸術、スポーツ、学問などの表現者は無意識的情報の意識的表現により身体の制御の技術を発見することでお金を得ていると考えられます。

社会的行動としての金儲けは基本的に意識的な技術なので、金儲けを目的として追求すると意識偏重になります。意識的行動は社会の安定のためにありますが、意識偏重は精神的不調の原因にもなるので、社会にとっても良いことではありません。お金は手段であって目的ではないと認識する必要があります。ただし、お金を儲けようとしなければ意識的になる必要もなく自由に生きられるかというと、社会との関係を断ち切らない限り難しいと言えます。

金儲けを目的とせずに生きるためには、大きい社会で必ず出会う「知らない人」と関係するための新たな方法が必要になります。それは、知らない人と出会うたびにその場その場で関係を作って知り合いになるために手間をかけなくてはならない、ということです。それは試行錯誤するということであり、時間もかかりますが、意識偏重によるストレスを減らすにはそうする他ないのではないかと思われます。