文学と宗教

小脳の抑制作用は言葉で直接的に表現できませんが、言葉で表現できないものを比喩として表現しようとするのが文学だと考えられます。抑制を比喩ではなく直接的に表現しようとすると「してはいけない」という否定的な価値が現れます。そして、否定的な価値が我々の感情に結び付いたものが「不安」や「恐怖」です。否定的な価値が感情そのものに結び付いたのが不安であり、否定的な価値を外部の対象に投影してその対象から受ける感情が恐怖であろうと思われます。

人間の不安や恐怖を取り除こうとするものとして宗教があります。宗教はこの世に存在しそうもないものについて語りますが、それは影の世界について語っているのだと考えることができます。宗教が語っている内容を、存在しそうもないものが「存在するのだ」という意味に解釈すると、表現できないものを直接的に表現していることになります。すると、そこには「してはいけない」という戒めが現れ、我々の感情と結び付いて不安や恐怖が生じることになります。

宗教の語っていることを直接的表現として解釈すると、不安や恐怖を取り除くべき宗教が不安や恐怖を生むという矛盾が起きるわけです。つまり、宗教が語ることは、全て比喩として解釈しなければなりません。つまり、宗教というのは文学の一種であるわけです。宗教も文学も比喩なのであり、それらは小脳の抑制作用について語っているのだと考えられます。小脳の抑制作用について、その時代の言葉を用いた比喩で語ろうとするのが文学であり、過去の時代の言葉を保ち続けようとするのが宗教であるとも言えます。比喩は世界観の共有が前提となりますが、小脳は世界観を蓄える器官だとも言えます。

不安や恐怖の元は「してはいけない」という否定的な価値を設定することだと考えられますが、それは比喩であることを理解し、単に「この場合は、しない方がうまくいくのだ」と解釈することができれば、不安や恐怖は軽減するのではないでしょうか。文学や宗教に救済というような効果があるとすれば、それらを比喩として受け入れたときだということになります。