やりたいことをやると社会も変わる

お金は他人の行動と引き換えるためにある。その行動というのは、行動する人自身の「やりたいこと」ではなくて、お金を払う人が「やってもらいたいこと」である。他人がやってもらいたいことをやってお金をもらったり、自分がやってもらいたいことを他人にやらせてお金を払ったりするのが20世紀の経済活動で、そこには「自分で自分のやりたいことをやる」ということが含まれていなかったのだ。20世紀には全世界的に激しい経済成長が起きたが、経済が成長すればするほど「各個人のやりたいこと」は判りにくい状況になってしまった。

20世紀には、みんなが「自分のやりたいこと」じゃなくて「他人のやってもらいたがっていること」を追求することで経済活動が活発になった。みんなが「他人のやってもらいたがっていること」を追求している社会で、自分のやりたいことを追求すれば孤独になる。自分のやりたいことがハッキリと判っていなければ、その孤独を乗り越えるのは難しい。しかし、自分のやりたいことなんか最初はぼんやりとしか判らないのがフツーである。だから、20世紀に自分のやりたいことを追求したのは、自分のやりたいことがハッキリ判っている一部の人だけだった。

経済成長を目指す社会では、誰かがみんなにやるべきことを指示すれば良かった。そういう時代には「何をやればいいのか」をエライ人に聞くことができた。これから先、僕が目指したいのは「みんなが自分のやりたいことをやっている社会」である。そういう社会は各個人が自分のやりたいことを追求しなければ実現しない。そして、「自分のやりたいこと」は他人に訊いても判らない。

自分のやりたいことは自分ひとりで考えなくてはならないから、やりたいことをやるのは孤独である。でも、みんなが自分のやりたいことをやっている社会では、みんな孤独だから孤独が共有される。そうなったら、みんなが「他人がやってもらいたがっていること」を追求している中で「自分のやりたいこと」をやるよりは気楽だ。

各個人にとって「みんなが自分のやりたいことをやっている社会」のいいところは、まず第一に「自分のやりたいことをやっている」という点だが、それだけではない。みんながやりたいことをやっていれば、「好きこそものの上手なれ」でモノやサービスの質が良くなっていくはずである。どこへ行っても、「お金のために仕方なくやっている」という態度の人に出会わないとしたら、気分良く暮らせるだろう。

自分のやりたいことをやる場合にもお金は使う。贅沢はしないとしても衣食住にはお金がかかるし、やりたいことをやるための道具や材料にもお金はかかる。「自分のやりたいことをやってお金を払う」わけである。お金をもらった方も自分のやりたいことをやってお金をもらうのだ。そういう経済活動が主流になると、20世紀の経済システムとは違った意味の経済成長が起きるかも知れない。そのためには、なるべく「自分のやりたいことを追求している人」にお金を払うようにすればいいのである。

そういう社会は本当に実現可能なのだろうか。「やりたいことをやる」というのは自分勝手なことだから、みんながやりたいことをやっていたのでは社会というものは成り立たないような気もする。やりたいことを自分勝手に追求するだけでは、当然のことながら問題が起きる。何か問題があって自分のやっていることがうまくいかなかい場合、やりたいことをやっていない人は諦めたりキレたりしやすい。しかし、やりたいことをやっている人は、何か問題があった場合に反省する。そうしないと、自分のやりたいことが続けられないからだ。やりたいことを続けていれば、「やりたいことをやり続けるためには自分勝手なだけではダメだ」ということが判る。自分が変わることで社会も変わるのだ。