理想の社会

電子書籍 「理想論」

僕が考える理想の社会は「みんなが自分のやりたいことをやっている」社会である。具体的にどんな社会なのかというと、それは分からない。そもそも、やりたいことには試行錯誤とか発見という不確定な要素が含まれるので、理想の社会というのも不確定で、みんなで試行錯誤しているのが理想の社会だということになる。したがって、理想の社会がどういう形で存在するのかを、予め知ることはできない。予め姿の分かっているものは、理想の社会ではないということになる。理想の社会が実現するためには、各自が自分のやりたいことを探してそれをやるしかない。

しかし、自分のやりたいことというのは、なかなかハッキリと分かるものではない。ハッキリと分からない部分があることは、我々のやりたいことの条件である。また、自分のやりたいことが大体分かったとしても、それを続けるのは大変である。物事がうまくいかないと段々やる気が出なくなってくるし、物事がうまくいくと段々飽きてくる。それを乗り越えてやり続けるのは自分との闘いである。どうしてもうまくいかない場合も、うまくいくようになって飽きてきた場合も、やり方を変えてみるしかないだろう。何かを続けるのは、そうやって自分が変わるように試行錯誤を続けるということである。

つまり、「みんなが自分のやりたいことをやっている」社会というのは、みんなが試行錯誤し続けている社会である。そういうのが嫌いな人にとっては、全然理想の社会じゃないかもしれない。自分のやりたいことに伴う試行錯誤が嫌いな人は、そういう面倒なことは他人に任せようとする。でも、それを引き受けてくれる人は段々といなくなる。「これからは自分のやりたいことをやるしかない」という認識が広まりつつあるからだ。自分のことで精一杯の人は他人のことまで面倒を見ていられないし、他人を思いやる余裕のある人は「引き受けない方が相手のためになる」と分かっている。

現在の社会がそういう理想の状態にないとしたら、それは「社会がまだ理想の状態に至っていないから」ではなく、「みんなが自分のやりたいことをやっていないから」である。つまり、社会が理想の状態にないのは、社会(=自分以外の全員)のせいではなく、我々一人ひとりのせいである。理想とは違う社会でも、やりたいことをやっている人にとっては理想の社会みたいなものだ。逆に、自分以外の全ての人間がやりたいことをやっているとしたらどうだろうか。それは客観的に見るとほとんど理想の社会だが、自分にとっては相変わらず理想の社会ではないのと同じである。自分以外の人間がやりたいことをやっていてもいなくても、自分のやりたいことを見つけてそれをやり続けるのは難しい。でも、それをやる以外に理想の社会が実現する方法はないのだと思う。

 → やりたいことをやると社会も変わる