自分が変わる方法

自分が変わるためには、今の自分を把握する必要がある。今の自分とは何だろう。「前に何々だったことがあるが今は違う」とか「何々ができたことがあるけど忘れてしまった」というのは、「過去の人生」ではあるけれども「今の自分」ではない。今の自分というのは、自分が身につけて保っている記憶技能のことである。何かを身につけて保つというのは、生活に取り入れて習慣にしてしまうことである。つまり、いろんな習慣の寄せ集めみたいなものが今の自分なのである。

生活とは習慣の寄せ集めであり、一つひとつの習慣を身につけるのには時間がかかる。だから、どんなにつまらない生活でも、それが一応成り立つに至るまでにはそれなりの苦労がある。そして、その生活が今の自分だ。今の自分は自分なりの苦労の上に成り立っているのだから、誰だってそれなりのプライドがあって、今の自分を変えようとは思わない。自分を変えるとなったら、また一から同じような苦労をしなければならない。それは面倒くさい

自分を変えたくないという一方で、自分を変えたいという気持もあるものだ。それは、自分の生活を成り立たせるための苦労をこれ以上したくないからである。生活が面白ければ苦労とは感じないはずだが、面白くないことは苦労である。だから、もうちょっと面白い生活が他にあるんじゃないかと思える場合は、自分を変えたい。でも、今より面白い生活というのがあったとしても、それを身につけるためには今のやり方を捨てて一からやり直さなくてはならない。それは面倒だ。だから、やっぱり今の生活を変えたくない。

ところで、面白いことというのは、知らなかったことを体験したり、できなかったことができるようになったりして、要するに自分が変わるから面白いのである。自分が変わると生活に影響するが、生活に影響するくらいのことが面白いのだ。しかし、生活が根底からひっくり返るような影響があったら、面白いなどと言っていられない。生活をちょこっと変えるくらいが一番面白いのだ。生活は習慣の寄せ集めなのだから、習慣をちょっとだけ変えるのが面白い、ということになる。

そう思って見直すと、自分の習慣というのは意外と「そういうことになっているから、そうする」というふうに惰性で身についたものが多い。今の自分というのは「生活習慣の寄せ集め」なのだから、「惰性で身についた習慣の寄せ集めである自分」というのは、何だかよく分からないものである。しかし、ここで無理に習慣を変えようとすると大変なので、とりあえず今まで通りのことをやるのだけど、同じことでもあらためて「自分の意志でやるのだ」ということにすれば、それはもう惰性じゃなくなる。

そうやって、自分がどんな習慣の寄せ集めでできているのかを見直していくと、自分というものが「惰性でできた何だかよく分からないもの」から「わりとハッキリしたもの」に変わる。そうすると自分の意識が変化するから面白い。そのために生活を変える必要はないし、何かを変えようとする必要すらない。でも、気分は全然違うというのが不思議です。