今後の経済

経済活動はお金のやりとりであり、お金とは意識的行動の代価です。お金はモノと交換する場合もあるように思えますが、その場合はモノを作ったり運んだりしてくれたことに対する代価なわけです。近代化は意識的行動が増えていく過程なので、近代化の途上では経済も拡大していきました。しかし、意識化への偏りが我々の精神の病として現れ、様々な社会問題も生んでいると考えられます。つまり、これ以上の意識化は無理なのであり、近代化は終ろうとしているということです。

近代化が終るとすると、経済はどうなるでしょうか。経済の拡大は意識化の進行と一体なので、意識化が限界に達したら経済の拡大も終わると考えられます。現在の経済システムは拡大を前提として成り立っていますが、今後は横ばいから縮小に向かわざるをえないでしょう。資源や環境問題から見ればそうなることが望ましいし、意識化の問題から見てそうなると予測されます。

そもそも、お金は有益な意識的行動に対する感謝や尊敬の代わりです。意識的行動とは大脳の機能を発揮することです。感謝や尊敬というのは相手に対して自己抑制的な態度をとることなので、小脳の機能の現れだと考えられます。お金のない世界では大脳的行動と小脳的態度が交換されるわけです。お金は大脳的行動と交換されるので小脳的態度の代わりということになります。したがって、お金が重要視される社会においては小脳的態度は軽視されてしまいます。すると、その社会は抑制の機能が衰えることになり、社会問題が起きます。

経済の拡大とはお金のやりとりの増加です。つまり、経済が拡大し続ける間は社会全体として意識的行動が増え続けていることになります。それは抑制が減り続けているということでもあります。抑制というのは、我々の行動がうまくいくために必要なものであり、社会問題を解決するためには、社会全体に抑制が必要です。我々が社会問題の解決を始めると経済は縮小します。経済が縮小するとこれまでの前提が崩れるので今までとは考え方を変えなくてはなりません。

経済が縮小する時は自己抑制、即ち感謝や尊敬が増える時でもあるはずです。言い換えれば、お金を目的としない行動が増えるということです。お金を稼ぐためにはやるべきことをやらなければなりませんが、お金を主目的としないのならやりたいことをやれば良いわけです。その場合、お金は目的ではなく手段になります。ただし、やりたいことをやる手段としてのお金もあまりないので、地味にコツコツやるしかないでしょう。