経済について

大きな社会において、知らない人どうしが利他的行為をやりとりするためにお金というものがあり、我々が自分を意識的に制御することで他人からお金をもらうのだとすると、経済というのは大きな社会を維持するためのシステムだと言えます。大きな社会のシステムは個人の意識的行動によって維持されるので、意識的行動を伴う経済活動が活発であれば社会は繁栄していることになります。

その意識的行動は個人の身体にとっては束縛であり緊張を伴うので、その代償としてお金を受け取るわけですが、そのお金で得られるものは「便利」や「心地良い」といった言葉で表される身体の解放です。それらは「面倒」や「退屈」といった社会的要請を暗示する言葉と反対に社会的要請からの解放を意味しているとも言えます。ところが、お金によってそのような解放を得ることも経済活動であることに変わりはありません。

経済活動は知らない人との間で意識的行動とお金を交換することですが、お金を介する関係においてはお互いに法律や礼儀などの社会的制度に従って行動します。つまり、お金をもらう側が意識的なのはもちろんですが、お金を払う側も社会的制度に従ってある程度意識的であることが必要です。お金を払う側は比較的自由に振る舞うことができますが、その自由は必然的に社会的制度の範囲内に納まります。したがって、お金を使用することで得られる自由には束縛が伴っています。

お金を受け取る側だけでなく、お金を払って解放を得ようとする方も社会的制度の束縛を受けて意識的に行動しなくてはならないので、経済活動というのは意識に偏った活動だと言えます。したがって、経済が活発な状態が続けば我々は意識に偏った状態になると考えられます。意識に偏った精神は不健康になり、意識的行動が続けられなくなることもあります。それは経済活動が沈滞するということに相当します。

過度の意識化による精神の沈滞を避けるには社会的制度外の行動というものが必要だと思われます。社会的制度とは「やるべきこと」であり、その外の行動とは「やりたいこと」です。それが社会の脅威となれば社会的に否定されてしまいますが、個人の解放というものは自分の責任において追求するしかありません。上述のように、個人の解放はお金によって解決できないので経済活動には計上されませんが、経済の安定にもつながると考えられます。

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