やらずにいられるのはなぜか

やりたいことをやるのは「やらずにいられない」というところから始まる。最初はやはり、やらずにいられないのである。その段階では、「やりたいこと」は自分にとって必要なことなのだとも言える。でも、やりたいことを続けていると、飽きたり行き詰まったりして熱が冷める時がやってくる。それは自分の必要が満たされたということだ。それまでは経験の量を追求すれば良かったのだが、必要が満たされてしまったのでの追求に移らなければならない時期が来てしまったのである。その代わり、もう量を追い求めなくてもいいという面もある。

量の追求から質の追求に移るのは根本的な変化である。今まではひたすら量を増やせば良かったのだが、質の追求とは量を減らすことなのだ。増やすのは限界がないが、減らすのは今ある量が無くなったら終わりだ。量を増やすのはとにかく一方向的に頑張ればいいが、減らすのは無闇に頑張ってもしょうがない。質の追求とは彫刻である。何かを削るとモノの量は減るのに情報量が増える。細かい細工をする時には削る量も少ない。削り過ぎたら何も無くなる。

量を追求する時は、とにかく今やっていることをやればやるほどいいのだから話が簡単である。質の追求というのは量を減らすことだが、ただひたすら減らせばいいというものでもないからややこしい。常に自分のやっていることがやり過ぎではないかと注意していなくてはならない。すごく面倒である。それに、そもそも自分が頑張って得たものの量を減らすのは惜しい。そんなことを考えていると、自分が前に進んでいるのか後ろへ進んでいるのかよく分からなくなってくる。

やりたいことを続けていると、どうしてもそういう段階に達してしまう。そこまで来ると、自分のやりたいことであるにもかかわらず面倒でワケが分からない。いっそ、やらない方が楽である。だから、やりたいことだけどやらずにもいられるのである。でも、やるのだ。やらずにいられる以上、それをやるのは自分の選択である。やらない方が楽なのにわざわざやるのは、それが自分のやりたいことだからだ。

やりたいことというのは、楽だからやりたいのではない。面白いからやりたいのである。たいていの場合、面白さというのは、ある程度ひたすら量をこなすと急に深く解るようになるものである。そうなったら質の追求に移ればいいのだ。でも、そこから先は楽じゃない。ラクじゃないけど面白いから続けるわけだが、ラクじゃないからやらないでいることもできる。やってない時はラクである。やりたいことをやっている間は面白いし、やっていない時はラクなのだから、年中お気楽である。