デフレが続いたらどうするか

最近の日本経済はデフレらしい。デフレというのは経済活動の規模が縮小することだ。僕は何年も前から経済は縮小するしかないだろうと言っている。これから先も、きっと世界全体の経済が縮小していくだろう。今、経済が縮小しているのは「経済を拡大させるための何かが足りないから」ではない。経済を拡大する必要がないから経済が拡大しないのだ。それに気付かずに拡大を前提とする経済活動を続けた結果がバブル経済である。したがって、バブルの清算というのは経済を縮小することなのである。

デフレ状態では、物価が下がるのはいいが収入も減る。物価と収入の下がり方が同じくらいなら何も変わらないのと同じようなものだが、物価と収入が下がっても貯金や借金は減らないので、それが問題になる。収入が減るのに借金は減らないとしたら困る。逆に貯金の価値は上がる。利子はつかなくても、物価が下がれば同じ金額で買える物が増えるからである。デフレになると貯金がある人が得をし、借金があると損をするのである。ところで、会社というものは借金で成り立っている。銀行からの借り入れはあるし、株というのも株主に対する借金である。だから、デフレになると会社の経営が苦しくなる。それで、サラリ−マンは給料が減るだけでは済まず、雇用も減る。

経済活動とはお金をやりとりすることである。我々は「他人がやってもらいたがっていることをやって」お金を受け取り、「自分がやってもらいたいことをやってもらって」お金を払う。そこには「自分のやりたいことを自分でやる」という活動は含まれていない。つまり、経済活動は分業である。

経済活動の本質は分業で、経済成長とは「やりたいことはとりあえず置いといて、とにかく分業を進める」ということだったのだ。分業する時に各自のやるべきことをハッキリさせるために様々な文書がある。みんなが文書を扱えるようになるのが近代化だ。そして、「文書化に基づく分業」という目標はとりあえず達成したので、「分業はもう充分だ、やりたいことは何だったっけ?」という時代が来たわけである。次の目標は「みんなが自分のやりたいことをやる」という分業だ。我々は近代化の始めにその目標をどこかにしまいこんで忘れかけていたのだ。

今まで我々凡人は「なるべくお金になることの中からやりたいことを選ぶ」つもりでやってきた。しかし、そもそも「自分のやりたいことを自分でやる」というのは経済活動にならない。お金になることは「他人がやってもらいたがっていること」だから、「お金になりそうなことからやりたいことを探す」というのは無理なのだ。実際、多くの人にとって「やりたいことはお金にならないからやらないもの」であり、仕事は「やりたいこととは違うけどお金になるからやるもの」である。

デフレが進むと何をやってもお金にならないので、「何をやるか」についての選択の前提が変わる。どうせ何をやってもお金にならないのなら、「お金にならないから」という理由でやりたいことをやらないのは変である。だからといって我々が急に自分のやりたいことをやるようにはならない。自分のやりたいことをやるには、そのための能力を身に付ける必要があるので、すごく面倒くさい。やりたいこと自体が面倒くさいうえに、なかなか他人に評価されない。「お金にならない」というのは「他人から評価されるためのシステムが発達していない」ということなのである。

お金にならないことをやるとしたら、なるべくお金のかからない生活をする必要がある。お金は他人に何かをやってもらうためにあるので、お金のかからない生活とは「自分のことは自分でやる」生活だ。お金をかけなくてもゼイタクをしなければそれなりに面白い生活はできるはずである。デフレという状況は「生産能力の過剰」によって起きるのだから、世の中に生活必需品は充分あるのだ。生活必需品が足りているとしたら、後は自分でどれだけのことができるかによって生活の豊かさが決まる。その豊かな生活は面倒だし誰にも評価されないかもしれないが、とりあえずしょうがないのである。

(01.4.8)

 → デフレになるのはなぜか