これからの大人

大人とは何か。もし「大人=成体」だったら話は簡単だ。成体というのは「生殖可能な状態まで成長した動物」のことだから、その場合は、大人とは生殖可能な人間である。そうなると、大体14才位で大人だということになる。しかし、人間は動物として考えれば済むものではない。大人というのは、動物としての成長とは違った尺度による人間の成長(?)を表すものだ。そして、現代社会の制度の上では18才とか20才とかで成人になるということになっている。

20才くらいで制度上の成人になるということは、それまでに文明社会で生きていくのに必要なことを身に付けているはずだということだ。文明社会で必要なことというのは身に付けるのにそれくらいかかるとされているわけである。すると、現代社会の14才から19才位の子供は大きな矛盾を抱えていることになる。生殖可能なのだから生物としては成体だが制度上は大人ではないという矛盾である。

動物の場合は生殖可能な年齢になれば子育ての能力も持っている。しかし、現代社会の人間は生殖可能な年齢になっても子育ての能力はない。それは現代社会で生きることが非常に難しい仕事で、本能的に身に付けることができるようなものではないからだ。ただ生きていくだけでも大変なのだから、子育てとなるとなおさらである。そもそも、現代社会を生きる方法というのは本能的能力を抑え込むようなことなので、それを本能的に身に付けるのは無理だ。

本能を押さえ込もうとしたって消えて無くなるものではない。だから、本能的能力を抑え込んでいる大人というのは気楽じゃないのだ。そして本能的能力というのは「何となく」のことである。現代社会の大人は「何となく」を抑え込むことで全体的な視野を失い、その結果いろんなことがうまくいかなくなっている。社会全体がうまくいっていないとしたら大人の責任である。大人というものを「社会でうまく生きていける個人」と考えると、大人は本能的能力を取り戻さなくてはならないはずだ。

従来の大人は本能的能力をひたすら抑え込むものだった。しかし、「当り前」だけを身に付けた大人というのはもう終わりである。20才になったら大人、というのも怪しい。今後は本能的能力をうまく発揮できるかどうかで大人かどうかが決まるのだ。子供の本能的能力は大人より優れている。でも子供だけでは文明社会は維持できない。子供と大人の違いは「何となく」を文明社会に生かせるかどうかである。