アテネ五輪期間中連載コラム

「強烈な憧れを受け継ぎ、それを超えようとする人々」


アテネ五輪
第14日
 女子マラソンで、23歳ながら7位に入賞した坂本直子が25日朝、寝不足に目を赤くしながらアテネ空港にやって来た。直前には、野口みずきもショルダーバックに金メダルを入れて帰国しているから、今ごろ、2人とも日本でもみくちゃだろう。「メダルを獲れずに残念ですが、先輩と走れて幸せです。4年前の気持ちがあったから、あの足でも7位で帰って来られました」と笑顔で手を振る坂本を見送りながら、7月2日、アテネでの試走を終え、米国の合宿にたった彼女を、同じ空港で見送った日を思い出した。

 坂本は別れ際、手紙をくれた。
 そこには、自分が「憧れ」を実現できた幸せが書かれていた。天満屋の先輩、マラソンの山口衛里が転倒してもなお7位となったシドニー五輪で、坂本は残り5キロ付近を「センパーイ!」と泣きながら並走している。レースを諦めなかった山口に、五輪に、震えるほど憧れ、自分もいつか、と心に決めた日である。そうして4年後、足が止まりかけた残り5キロ付近、今度は山口が自分の名前を絶叫しながら走ってくれる姿を見つけ、レース中、涙が出たという。

 4年に一度の大きな壁に向かうオリンピアンとは、強烈な憧れを受け継ぎ、それを超えようとする人々でもある。小学生だった塚原直也は、当時高校生代表としてソウル五輪で活躍した西川大輔が、空き時間に一緒に観戦してくれた際、「直也くんも将来こういうところで演技するんだよ」と、かけてくれた言葉にずっと憧れ、金メダルを手にした。

 北島康介も小学生で見たバルセロナ五輪で、4位だった同じ種目の林 亨に憧れた。4年前のシドニー五輪(4位)、引退する林が「お前はここで終わる男じゃないぞ」とかけてくれた言葉を忘れなかった。

「我々の最高の舞台は五輪であり、何年もかけてプログラムを作り、誰もがアテネでの金を夢見たのです」

 野球の豪州代表ディーブル監督は言った。金メダルは義務だ、金メダルを長島監督に、とアテネに乗り込み銅を手にした「ドリームチーム」には、彼らの五輪には、本当の夢や憧れはあったのだろうか。

(東京中日スポーツ・2004.8.26より再録)

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