アテネ五輪期間中連載コラム

「主将・井上康生、旗手・浜口京子の重圧と使命」


アテネ五輪
第13日
 こぶしを両膝に置いていた井上康生が、急に立ち上がった。視線の先では、心強き「相棒」が、右手で小さなガッツポーズを作り、笑顔で拍手をしている。井上もまた右手でガッツポーズを作り、ウン、ウンとうなずくように拍手を送り返す。女子レスリングで銅メダルを獲得した浜口京子と、観客席で見守った井上、旗手と主将。23日、2人の仕事は偶然にも、ともに苦い敗戦を喫した同じアノリオシアホールで、ようやく終わった。

 すでに帰国した選手たちが自宅で、実家で、職場に戻ってねぎらいと花束を受け取っているが、井上はまだアテネで踏ん張っている。柔道打ち上げの夜、乾杯の音頭と同時に選手、サポート隊全員に飲み物を注いで回り、盛り上げ役に徹し、どこか複雑だった雰囲気を鮮やかに変えて見せた。わざわざ入り口に直立不動で立ち、関係者、先輩からの批評、叱咤(しった)を、ハイ、ハイと真正面から受け止め、最後の最後に会場をあとにしている。

 勝って雪辱、重圧に勝ての激励、安易な同情、どれも必要ない。「このままじゃあ、絶対に終わらせませんから」と、畳の上の鬼として敗戦と向き合い、逆襲に備える。
 浜口も、敗戦から短時間で見事に気持ちを切り替え、銅メダル獲得に全力を出し切った。

 28年前、アムステルダム五輪・高石勝男氏(競泳では銀1、銅1)以降、主将は歴代13人。アテネ直前、東京五輪で金メダルを手にした主将、「鉄棒の神様」小野 喬氏に教えられた話を想う。

「地元開催、メダル量産の期待、箸を持つのも痛いのに、痛み止めを打って必死で演技に望みました。あの任務には想像を絶する重圧がありますね」

 じつは、主将、旗手の選定、その苦しさを知っているからこそ、水面下で断る有力選手が多い。その中で、あえて光栄、と受けた2人が、結団式から、あるいはアテネを目指す長い道のりで見せてくれたのは一体何だったのだろう、としばらく考えた。

「オリンピックの金メダルは首から下げるものじゃない。見つけようと思えば、私の隣に、いつでも金メダルはある」――陸上女子七種競技の金メダリスト、クリュフト(スウェーデン)の会見から。

(東京中日スポーツ・2004.8.25より再録)

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