アテネ五輪期間中連載コラム

「北島よ!! 先人たちの伝統と誇りをダイナミックに優雅に返せ」


アテネ五輪
第3日目

 水に飛び込めば自分に戻れる、と北島康介(東京SC)は言った。モ・ド・レ・ル?
「はい、戻れるんです。まず肌が潤います。次に呼吸が楽になって、足がよく動くんです。陸(オカ)はどうも自然にいかなくて、難しいんですよ」
 目の前で、真顔で話す「新・両生類」とでも言うべき姿に噴き出しながら、しかしこの男なら32年もの空白を、ダイナミックなストロークひとかきで鮮やかに埋めてくれるに違いないとも思った。

 日本スポーツ界のお家芸といえば、平泳ぎにほかならない。体操、柔道といった「競技」とは違い、短足、胴長、ズングリムックリ、ガニ股、これらすべてを武器に、28年のアムステルダム、32年ロスで競泳唯一の連覇を遂げた鶴田義行、ベルリンで日本3連覇を守った葉室鉄夫、メルボルンの古川 勝、そしてミュンヘンの田口信教、女子では前畑、岩崎、と、まさに黄金の単独種目である。しかし輝きの分だけ辛酸をなめた。古川の潜水泳法、田口のドルフィンキック、世界一美しい平泳ぎと賞賛され、金メダルに手をかけていた高橋繁浩の頭部水没、日本が頂点を極めようとする瞬間、常に泳法失格に泣いた、不運の系譜にのろわれた種目でもある。

 北島が明日狙うのは、ライバル、ハンセン(米国)に勝つことだけでも、ファンの期待以上に金メダルで応えることだけでもない。アムステルダム以来、76年、田口が最後に金メダルを手にしてからでもじつに32年、先人たちが知恵を絞って表現し続けた伝統と誇りを表現し、歴史に残した借りを、彼の泳法と同じにダイナミックに、優雅に返す日にもなるはずだ。

 鹿島体育大の田口に聞いた。北島の技術がいかに洗練され、熟成されたものかを解説してくれた田口に、最後にもし北島に会えるならどんなアドバイスを、と聞いた。

 「スポーツの訳は“運動”。運動という字をよく見れば、運が動くと書く。運を呼び込め、それだけです」

 32年前の金メダリストは「ちょっとは含蓄がありましたか?」と笑っていた。

(東京中日スポーツ・2004.8.15より再録)

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