アテネ五輪期間中連載コラム

 「眠れぬ夜」


アテネ五輪
第2日目
 金メダルに沸き立つシドニー五輪の優勝者記者会見場で、絶叫に近い質問が飛んだ。
「金メダル2つを手にした今、次の目標は何でしょうか?」
 男は、不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「3連覇を狙います」
 そのとき、会見場に一斉に起こった爆笑は、今も耳に残っている。もちろん、男も多少は「ウケ」を狙っていただろう。しかし、大笑いした記者たちの誰もが、目前の金メダリストのウィットをたたえると同時に、決して悪い意味ではなく、3度目の金メダルを獲ることなど本気にとらなかったのだ。

 13日、競技開始初日の14日に日本五輪史上100個目の金メダルの期待を担う柔道60キロ級の野村忠宏(ミキハウス)が、最後の練習を行い会見をした。2度目の五輪覇者が「試合の前は怖くて眠れない」と率直に言い、13日の夜分、相手と戦う前に、まず眠れぬ夜と自分との戦いに決着をつけるのだと、唇をかむ。

「最後の練習が終わって、こっから明日、畳に立つまでなんです、一番苦しいのは」

 2人で車までの道を歩きながら、野村は独り言のようにつぶやいた。シドニー後結婚し、留学し、柔道を一時辞め、しかし「あれほどしびれる日々や柔道にしかない」と、アテネのために復帰。現実は甘くはない。得意だった外国選手相手に、臆病にもとっさに腰を引いていた自分にあきれ果てた、と聞いたこともある。4年前の会見の話をしながら笑った。

「あの時は、自分でも、今日が来るとは思わんかった。でも、来たんですね、ついに。でも、ここで勝たねば男になれんのです」

 そう、4年前の試合前日も、あなたは「これに勝って男になる」と話し、金メダルを獲ったのだ、と言いたかった。しかし、深い礼をして立ち去る背中を見送りながら、おのれと戦う眠れぬ夜を思い、言葉を飲み込んだ。前人未到の3連覇を目指して畳に立つ前、誰も知ることのない壮絶な夜が、どうか無事に明けてほしいと、心の中で祈りながら。

(東京中日スポーツ・2004.8.14より再録)

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