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●9月20日
それまでは、ジョホールバルの一戦やドーハの一戦などを除けば、勝っても負けてもどこかに引っかかりを覚える試合がほとんどだった。レベルが上がったことももちろんあるが、原因はそればかりではない。サッカーそのものに魅力を感じるのだ。娯楽度は以前とは比較にならぬほど高い。 昔と今と何が違うか。昔は、堪え忍ぶような試合ばかりだった。すなわち守備的だった。守って守って失点をゼロに抑えて、ラッキーな1点に期待する。極端に言えばそんなサッカーだった。僅かに格上、あるいは互角の相手に先にゴールを許したら、その瞬間、多くの期待を寄せられなくなった。だから負けた時(その割合は高かったのだけれど)は、切ない気分に襲われたものだ。弱さがいっそう際立って、情けなかった。 でも今は違う。例えば、緒戦の南ア戦で、先制点を許した時も、むしろ「さあ、これで楽しくなった」と、袖をたくし上げたように記憶する。サッカーは間違いなく攻撃的になっている。得点の予感はいつでもする。 最終ラインが3人しかいないこと。両サイドの位置が高いこと。加茂、岡田時代とトルシエとの最大の違いはそこだ。選手たちは前の方に多く配備されている。だからプレスもよく掛かる。トルシエは標榜するスタイルを「プレッシングサッカー」とは言わないけれど、実際には、そう豪語した加茂サンよりプレスは遙かに利いている。ブラジル戦の後半、ペースを握る時間が多かったのも、その攻撃的な守備に負うところが大きい。 3バックは危なっかしい。でも、プレスはよく掛かるし、攻撃的サッカーが展開しやすいメリットがある。3バックの問題点を指摘する人はけっこういるけれど、バックの枚数を増やせば、守備力は増すものの、攻撃力が減退することは目に見えているわけで、それを言うならそのデメリットにも言及しないと整合性は低くなる。最終ラインで「数的優位」を保てば、前線では「数的不利」な状況に陥る。守備は安定しても得点の予感は低い。つまり3バック是非論は、攻撃的サッカーが好きなのか、守備的サッカーが好きなのかの指向の違いに発端がある。
それでいて準々決勝へ進出した。3試合はすべて1点差で、最後のブラジル戦は、他会場の経過にもハラハラドキドキしながらの観戦だった。ドラマ性にも富んでいた。たっぷりとしたお得感に酔いしれた。次のアメリカ戦も、いろんな意味で面白くなりそうである。
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