![]() |
![]() |
※無断転載を一切禁じます 陸上 ◆◇◆現地レポート◆◇◆ 第9回IAAF世界陸上競技選手権パリ大会 午前の予選では、女子ハンマー投げの綾 真澄(グローバリー)が、68m50の予選通過記録には及ばず敗退した。夜の種目には、前回大会で銅メダルを獲得した四百メートル障害の為末 大(大阪ガス)が予選に出場する。
「トラックはありません」 国際陸連(IAAF)の加盟国は、現在211にも及んでいる。地理の勉強不足はいくら世界選手権やオリンピックを取材していても一向に改善されず、来るたびに、「えー、そんな国があるの?」「どこにあるのよ?」と、国名一覧表と、地図を見てはドタバタと大騒ぎをする。陸上を取材している記者はまだましで、女子八百の女王マリア・ムトラのお陰でMOZといえば「モザンビーク」といった上級編にも対応しているはずだが、ちょっと気分を良くしていると……である。 「SKN」―ご存知でしょうか? 10秒07は世界陸上が初めて行われた1983年(ヘルシンキ)以来の遅い優勝タイムで、結局今大会は、9秒台が出ることなく、終わってしまった。 「国には、トラックもないし競技場もない。そもそも今日、私のレースを国の人が見てくれたかどうかも心配になるが、多分、テレビがない人は店のテレビで見てくれたんではないかって思う」 予選で起きた2次予選2組目、ドラモンドのフライング(レース全体で2度目のフライングを冒した選手が失格とされる)をめぐる大混乱の際、コリンズは不運なことに最終組となる4組目にいた。このため、予定していたスタートからほぼ1時間近く、アップをしながら出番が来ない、いらいらするような時間を過ごすことになった。しかし、予選で2番目の好タイムとなる10秒02でトップに立って通過を果たし、多くの選手が失格となりながらトラックでパフォーマンスを繰り返したドラモンドの態度を「くだらない」「バカバカしい」と、何も言わずに、怒りだけを表して通過していく中、最後の最後まで、コメントしていたのも人のいいコリンズだった。 「彼は、自分が優れたスプリンターだというのならわかるはずだ。百メートルでスタートがどれほど大事か。ああした態度は、彼とこの大会に参加した多くの選手たちを失望させるものだし、イメージを落としてしまうから」と、いつまでもコメントしていた。 10秒07は胸が躍るタイムではなかったが、それでも、ああした混乱の中で最後の最後にメダルをつかんだのが、優勝常連国ではなく、人口わずか3万人の、のどかでおおらかで、記者など一人も送られてはいない国の選手だったことに、どこか安堵させられる思いもする。 ドラモンドのフライングで注目された「リアクション・タイム」は、例えば予選から決勝全員を調べてみると、もっとも遅いのが0.318秒、もっとも速い反応時間が決勝では足を痛めてしまったモーリス・グリーンでなんと0.106。これだけの差がある。 反応時間はスターティングブロックの場合、音を聞いて、足の筋肉が動きだして、それが伝達されていく最速の限界が「0.100」と定めているわけで、いわゆる「ヤマをはる」とか「どんぴしゃ」というのは、認められないわけである。 ドラモンドには同情はしないし、米国的な傲慢さは、彼だけではなくて、あのパフォーマンスをずっと大笑いし、喜びながらミックスゾーンで見ていた米国記者たちにも特有のものである。 陸上競技は実は、少しも科学的でも、タイムですべてが割り切られるとされる客観的なものでもなく、走り幅跳び踏み切りでも、棒高跳びでも、風速計の故障もあれば、多くの計測で、頻繁におかしな判定や不条理が起きていることを、ほとんどの選手は受け入れている。そんな不条理をいくらも見てきた。 一方で、これは道徳競技会ではないので、あの態度はフェアプレーに反すと、当たり前のことをいったところで普通の答えでしかない。個人的にはむしろ、同じスミスコーチの元、チームメイトでもあるモーリス・グリーンが見せたスタートに、彼らの肉体は比べる必要もないほど機械より正確なのだという、背筋がぞくっとするような瞬間を見せられた気がする。 その時のリアクションタイムが、フライングとされる0.100の設定に対して、0.106(レースは10秒04で3位)である。フライング手前0.006スタートで、グリーンは間違いなく怒りを表して、機械とスターターに挑戦をした。自分たちが磨いてきたスタートの技に「フライングが取れるものならとってみてくれ」ということだったと思う。彼の走力なら最後にスタートしたところでゴールは間に合うはずであるし、あんな異常な状況下で、まして2次予選で、これほどのギャンブルを冒す必要など全くないのだから。
◆男子四百メートル障害 男子四百メートル障害では前大会銅メダリストの為末 大(大阪ガス)が1組目に登場し49秒45で同組4位に。準決勝への進出条件は各組の3位以内及び4位以下の記録上位者9人であったが、為末は4位以下の選手の中で10番目の記録。しかし5組に失格者が出たため予選通過となった。 為末 大「非常に助かりました。本来、拾われていない立場なんで、明日は決勝のことは考えずに、一本一本大切にレースをしたい。拾われた命であることを忘れずに行きたい」 ■関連コラム:「為末 大」(「東京中日スポーツ」連載コラム「セブンアイ」2003.8.15より)
「文句は言わせません」 26日に行われた三千メートル障害では、予選で日本記録を樹立して決勝進出を果たした岩水嘉孝(トヨタ)が、ケニア、カタール勢によるハイスピードのレース展開の中8分19秒29で11位(優勝はカタールのシャヒーン=8分4秒39)と落ち着いた走りを見せ、予選、決勝を通じて力を出し切った。また男子棒高跳び予選では澤野大地(NISHI A.C.)が、5m60を飛んで決勝進出を果たした。 四百メートル障害では、49秒45で4着、各組3位までに入れなかった前回銅メダリストの為末 大(大阪ガス)が、記録で拾われる上位9人にも入れず敗退(24人が進出)、と思ったら、上位に失格者が出たため、一転、準決勝に進出するラッキーなハプニングもあった。 岩水は、スタート直後から、大外に弾かれてしまったが、その後も入賞の着順を守って冷静に、焦らずレースに集中した。一時は8位をキープしたものの、最後は、ラスト1000mが障害種目にもかかわらず2分45まで上がる超ハイペースのレースとなり、11位となった。 「最後の水濠を乗り越えられるかどうかで頭が一杯で、追い込まれてましたんで」 レース後すでに10分近くが経過しているのに、岩水の呼吸はまだ落ち着かない。細い体を小刻みに震わせたまま、答えを懸命に探す。ケニア、カタール、モロッコ、スペイン勢に囲まれた岩水の身体はひときわ華奢で、しかもとんでもない長さの足で、障害や水濠をまたいでいく外国選手に挟まれた岩水の11位は高く評価されるものだ。 日本の実業団長距離にあって、駅伝、マラソン以上に、三千障害のみで欧州を転戦するのは、会社や周囲の理解がなければ難しい。しかし、細い体と柔軟性、また沢木監督によれば「どこかポワーンとしていて鷹揚で、かと思うと、決勝の前に、入賞狙います、なんて言ったりする。いくらなんでもそれは言いすぎだ、と修正して送りだしたんだが、ああいうのはいいところ」と、のびやかな感性を才能だとする。 すべてが三千障害のためになる、とアイディアをめぐらしてそれを試す。4月からは、食事をした後、何もしないのはもったいないから、と、エアロビクスのレッスンに入会。女性が音楽に合わせて踊っている、というイメージだが、実際には、腹筋など「辛い補強を、音楽を聞きながら楽しくやってる」と本人は効果におおいに満足しているのに、周囲からは「完全にバカにされてました」と笑う。 「でもこうして結果が出たんですから、もう皆には何も言わせません」と、胸を張っていた。貪欲に積み重ねた練習ひとつひとつが、なぜかトラックに水濠を作り、毎周回シューズを濡らす過酷な種目に結びついた。そして「サンショウ(略してこう呼ぶ)を少しでも知って欲しい、陸上競技をもっと人気のあるものにした」という思いが、23年ぶりの日本記録更新、決勝進出の快挙の原動力でもあった。男子のゼッケンスポンサーはTDKだったが、岩水はトヨタ所属のランナーとして、存分に、その強靭な「オフロード仕様」をアピールしたのではないか。 澤野大地「観客というか、スタンドの雰囲気が最高の気持ちよくて、入ってきたときに絶対もう一度、決勝に戻って来ようと思った。今まで5m60をクリアできなくて苦労してきたが、予選というのは、目前の高さをどんどん飛ばないことには突破できない。それで高さより飛ぶことに集中できたのかもしれない」
第4日
(フランス・サンドニ、スタッド・ドゥ・フランス)
また、男子マラソンの藤原正和(ホンダ)が、30日の競技を欠場することが決定し、26日午後、日本陸連が発表した。藤原は7月18日、最初に右腸けいじん帯(ひざの外側から腰に走るじん帯)の痛みを覚えたが、その後、チームのトレーナーの治療による、はり、マッサージなどで一度は痛みが取れた。しかし再発した後8月9日からボルダーへ行き、フランクト入りしたものの走れる状態ではなくなり、25日晩、一度パリ入りして面談を行った後、決定された。藤原は初マラソンで2時間8分12秒をマークし、ホープして期待されていた。
25日、異例ともいえるほど遅い22時25分、気温21度とかなり涼しい中で行われた男子百メートル決勝で、SKNのティム・コリンズが初の金メダルを獲得した。SKN=セント・キッツ&ネービスは北米、西インド諸島にある島で、人口は約3万人、公用語は英語、大きさは淡路島の半分ほどだという。
コリンズはそういって、結局メダルのなかった米国や最速男常連国のメディアの前で大笑いをしていた。自身は米国でトレーニングを積んでおり、細身の肉体は、「危ないから」とウエイトトレーニングをしないし、「好き嫌いはないから」と、ほかの選手が目の色を変えて選ぶサプリメントも取らないという。「僕はああいう島の生活で育ったから、あまり厳しいアスリートの生活は好きではないのかもしれない。楽しむこと、それが一番だと思っている」と会見でも話す。
4組目にいたグリーンはあの事件でドラモンドの2組目があとに送られ、スターターが動揺し、会場が騒然とし、選手がみな混乱するさなかにスタートを切ることになった。
人間の限界に挑戦しているのがこの競技である以上、機械さえも追い抜いていく瞬間は常にあるのだということ。ドラモンドとグリーンの「スタート」に、そんなことを考える。
もともと地味な陸上競技にあって、さらに地味な2種目だが、2人の健闘は、これまで常に期待の中心を担ってきた男女長距離の不振と反対に、今後へ大きな希望を抱かせるものだった。
しかし、レースを終えた岩水は、スタンドに自ら手を振り、密かに小さなガッツポーズを繰り返していた。
読者のみなさまへ
スポーツライブラリー建設へのご協力のお願い