■セブンアイ
 
為末 大


 台風10号が関東甲信越地方を直撃しようという先週土曜日の早朝、暴風雨による深刻な被害を画面で追いながら、JRもバスも運休では仕方ない、取材は中止、と自分に言い訳をしてみた。ところが、こういう状況になると決まって別の声がするのだ。
「だったら自分で運転して行けば?」
 結局、何かのエネルギーに引っ張られるように豪雨の中央高速を、時速40キロで富士吉田市に向かう。パリ世界陸上(23日)代表の短距離陣の取材である。

 2001年のエドモントン世界陸上で、四百メートルハードルの為末 大(大阪ガス)が初の銅メダルを獲得する快挙を果たした時、私は彼の父上、母上を取材しながら観客席にいた。2人は緊張のあまり、息子のレースを見ていなかったが、ただ一度、第三コーナー付近で顔を上げ両手を合わせて息を呑んだ姿を鮮明に学えている。初の大舞台だったシドニー五輪で、息子が風にあおられ転倒した場所だ。その父上が7月に亡くなられた。

「不思議なもので、父の病状が悪いと僕の成績が悪い。僕の結果が出ると父が回復する、父子なんですかねえ、この半年、そのシンクロ(調和)を繰り返していたんです」
 ホテルのロビーで暴風雨を背景に、しかし為末は静かな口調でそう言った。本当は実家で付き添いたかったが、父は「いつも通り海外遠征に」と譲らなかった。同時に今年は初めての大スランプも味わった。藁をもつかむ思いで「走る」美しさに引かれ競馬に見入った。サラブレッドを見ながら、今の自分には「ひたむきな前傾」が欠けていた、それは技術的にも精神的にも、という。

 あの銅メダルの瞬間、父上は同じ事を言っていた。
「シドニーで親や応援団の目前で転ぶなんて、男として傷ついたと思う。銅メダル以上に失敗というハードルを越えた前向きさがすごい。自分の子じゃない程大きく見えます」

 身長170センチと世界一小柄な、もちろん世界一短足のハードラーが忘れかけ、そして取り戻した「前傾」は、パリでどう表現されるのだろう。そして、全ての交通機関が止まってもなお、自分がそこに引かれた理由もまた、決して停滞しない彼らの「前傾」の力にあるのだと、ふと思った。

(東京中日スポーツ・2003.8.15より再録)

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