2月12日

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Special Column 〜SALTLAKE 2002〜
数字の独り言(1)

 2月2日のデイリーニュースでも触れたが、スケルトンの越 和宏選手(ホクト産業)の言葉を借りるなら、冬季五輪は「道具と人間のせめぎ合い」であり、勝利は「物と人が噛み合う一瞬」を探すことに等しいということになります。冬季五輪には道具を使わない種目は存在しません。夏の競技のような「対人」とは別の歓喜や怖さ、意外性などが冬季種目の魅力でもあります。越選手が残してくれたヒントを考えながら、冬季五輪を見ると、また一味違った側面を知ることができます。
 そんな側面を思うと、数字が浮かび上がります。ソルトレーク五輪の間に、専門家たちのアドバイスをもらいながら、そんな数字の独り言を何回か書いてみようと思います。


「幅0.9ミリの橋」

 スピードスケート男子500メートルの清水宏保(NEC)が、初日を34秒61でスタートし2位につけている。明日(13日朝方)には2本目を滑り合計タイムによってメダルの色も決まっているはずだ。今季腰痛に苦しんだ清水が、五輪の本番になって34秒台で上がってきたことには、正直なところ驚きはない。腰痛と関係なく、すでに昨シーズンの当初に五輪への抱負を聞かれて「五輪で100%というのは本当に難しい。むしろ80%とか70%の力しか仮に出せなくても勝てるような練習を積まなくてはならない」と答えた姿を覚えているからだ。
 五輪では調整うんぬんにかかわらず、8割の力、──つまりストレスやプレッシャーや様々な条件の差異によって万全ではない、むしろ最悪の結果──を想定して日々を積み重ね、それを克服していくことが、トップ選手の必須条件である。
 その点、むしろ本当に驚いたのは、ライバルとされるウォザースプーン(カナダ)の転倒のほうだった。しかも、コーナーではなくて直線、それもスタート直後に足をとられるという、言ってみれば考えられないような初歩的なミスで、優勝候補が1本目で消えてしまった。清水も驚いたに違いない。

 このレースでは転倒者が4人いた。ウォザースプーンの前に3人と彼。しかし原因は明らかに違っているのだと、関係者は言う。
「前の3人はコーナーで転倒している。これは体に対して技術がついて行っていないために起きたものです。ところがウォザースプーンは、氷に乗ることさえできずに終わってしまった。技術ではなく精神的な動揺がすべて出てしまった格好です」
 焦ったといっても種類はいろいろある。
 清水が滑った後だけに、彼にしてみれば世界記録を攻めて行くという気持ちもある。清水のタイムが彼の予想を下回ったために、逆に「いける」との気持ちが、焦りを生んだかもしれないし、トップが彼として決して不得意な相手ではないフィッツランドルフだったために生まれたゆとりが、気持ちと足を前のめりにしてしまったともいえる。
 いずれにしても、世界記録を持ったことのある選手の、スタート直後の転倒などはめったに起き得るものではなかった。

 スピードスケートの刃(エッジ)の幅は、わずかに0.9ミリである。清水の刃でおそらく長さが42センチ程度だが、刃は平らではなくて、角度があるため、実際に氷に触れる部分は30数センチでしかない。選手がよく、スケート靴を遠めに見る仕草をしているが、あれはこのソリ具合をチェックしているのである。
 長さ、30数センチ、幅0.9ミリに、体重のすべてをかけ、技術と4年の重みすべてをかけることを思うとき、どんなライバルよりも手強いのは、この、うっかりすれば落下してしまうような細い「橋」の上で、精神と技術を繋ぎ止める困難のほうではないか。
「スラップになったことで高速化の反面、ちょっとした気持ちやテクニカルのブレが大失敗を招くことにもなった。ウォザースプーンの転倒の瞬間、刃がかかとからパカっと開いてしまっているんですね。あんなことは、よほど体重移動に間違いがない限り起きないものです」
 スラップ、ノーマル両方を知る専門家はそう話す。

 反対に清水のスタートは「ロケット」といわれるパワーを放ちながら、スラップのかかとが接地の瞬間と実にスムーズに連携し、決して開かず、全体重を0.9ミリの刃が吸収し続けている。走る、乗る、滑る、すべてを瞬時に行えることは、「たとえ80%しか出せなくても勝てる」という、リスクマネージメントから生まれること、“まさか”は“まさか”ではないこと、これらを優勝候補の転倒は残酷なまでに象徴していた。

 清水は2本目、後ろから2組目(17組、同走者はカナダのアイルランド=1走目は6位)のアウトコースからスタートとなる。最終組のフィッツランドルフ(1走目は1位)とカーペンター(1走目は3位)の米国勢に先制攻撃をかけるはずだ。
 34秒32の世界記録をマークした際も、清水はアウトスタートだった。これと同様、バックストレートで同走者に追いつく勢いで果敢に記録を狙って行くだろう。清水が狙う記録が、フィッツランドルフにとって、プレッシャーとなるような、インパクトを持った記録であることは間違いない。



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