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19回目を迎えた大会は、昨年のシドニー五輪一万メートル、五千メートル代表の川上優子(宮崎、沖電気宮崎)、田中めぐみ(埼玉、あさひ銀行)、高橋千恵美(宮城、日本ケミコン)、また昨年の東京国際女子マラソンで2時間24分で2位となった土佐礼子(愛媛、三井海上)、また旭化成を退社し新たな競技プランを立てようと再起をはかった千葉真子(出身県は京都)ら、新旧、復帰組と女子陸上界のメンバーが揃ったレースとなった。
下馬評ではNo.1の兵庫は、6区田顔朋美でトップに立ってそのまま9区(10km)アンカーで、昨年からロードレース、トラックでも頭角を現し始めたノーリツの小崎まり(25歳)につないだ。
小崎は、たすきを受けた時点で2位の千葉とわずかに15秒差。復帰にかけた千葉の勢いを背中に感じながらも、最後まで果敢に逃げ切って区間を5位、2時間17分57秒で兵庫に初優勝をもたらした。
千葉は33分52秒で区間25位。また最終区残り1キロで千葉を逆転し2位(2時間19分29秒)とした鈴木博美(千葉、積水化学)は32分41秒で区間6位だった。3位には2時間19分32秒で京都が食い込んだ。
千葉真子「1年ぶりのレースだったが、いつも(怪我で)間隔があいてしまうんで戸惑いはありませんでした。練習では自分の力がはかれず不安だった。応援には励まされてウキウキして走ったが、走りそのものはウキウキできるようなものではなかった。(明日付けで旭化成を退社。今後のことは未定だが、競技はトップレベルで続けて行きたいとの意向のもと、新たな実業団での移籍先、在籍できる場所を探していく)」
1区で2位だった川上優子「右のひざ、左のアキレス腱が痛くなって練習はまったくしていなかった。駅伝シーズンでレースが重なるが、昨年気持ちをしっかりと切り替えたことでここまで走れた。今年の目標は、世界陸上(エドモントン)というよりも、1万メートルの30分台突入です(日本記録は自身が持つ)」
アンカーで区間14位、中国合宿の疲れのピークだった土佐礼子「体が思うように動かなかった。中国での高地練習(昆明、大阪国際マラソンに出場予定の渋井陽子のパートナーとして)ではあんまりにも練習がきつくて、本当に走りながら涙が出てきました。マラソンのほうが、一人の責任なんで気が楽です」
中継したNHKでゲスト出演した高橋尚子(積水化学)は、正月から伊豆大島で練習を再開。温泉に入るなど疲れも抜きながらの始動だったが、途中で外耳炎であごのあたりが腫れてしまい入院することになったという。国内のレースは、2月4日の丸亀ハーフからスタートすることになっている。
高橋の話「気持ちの上では充実していましたが、体、足作りをするまでに至りませんでした。(小出)監督からは、春のレースを決めるように言われていますが、まだ細かいことは話していないのでゆっくりとその辺を話します」
千葉県の主将を務めた鈴木博美「最後はもう一杯一杯でしたが、後輩たちがしっかりつないでくれてよかった。これで競技の日程は一段落するのでゆっくりと来シーズンのことを考えたい。マラソンは気持ちで走るものなので今は考えていないです」
「お願い、このまま逃げ切らせて!!」
兵庫のアンカー、小崎は走りながら沿道の応援を頼りに心の中でずっとつぶやいていたのだという。10kmの間、一度も後ろを振り向かない、と決めてスタートしたために、後続との差を知らせてくれるのは、「兵庫、兵庫」という大きな声援と、その後に、「京都」と聞こえないことだけに頼るしかなかったからだ。
千葉がわずか15秒差に迫っていたことを知ってスタートを切らなくてはならなかった。千葉のレースが1年ぶりとはいえ、持ちタイムを比較すれば30秒の差がある。その後ろには、千葉県のアンカーで世界陸上金メダリストの鈴木博美もいる。「怖かった」と、小崎はレース後目頭をぬぐっていたが、自分の力や実績を判断すれば、正直な気持ちだったに違いない。
しかし小崎は、中間点で1分15秒も千葉を引き離し、向かい風の中気迫の走りを見せて競技場に戻ってきた。トラックを半周終え、ゴール直前、ようやく、2位の鈴木を見つけてほっとした、と笑った。
駅伝のような団体競技に置いて、追うには力以上のものを出そうという覚悟と勇気がいる。同時に「逃げ切る」ことにも、とてつもない覚悟と勇気が必要だ。まして、初優勝、西川美代子監督の花道ともなればプレッシャーは相当なものだったろう。
年末に右の親知らずを抜いたことで体のバランスを崩してしまった。坐骨の痛みがあり、年頭もウォーキングから始めるほどだった。
「今年は駅伝だけでなくて、世界への一歩を踏み出したいと思います。世界選手権(エドモントン)へは一万メートルで行ってみたい。大舞台、大観衆の中で自分を試してみたいんです」
将来的にはマラソンを走りたい、今年は、一万で31分58秒を、31分40くらいまでにしたい、と話す。
ダイナミックな走りと粘りを持った小崎には、陸上関係者も「もっと伸びる可能性がある」と期待を寄せる。
後ろを一度も振り向かず、自分の力だけを信じて10km走り切った小崎の姿には、かつて京都のアンカーで何度も逃げ切った真木和(当時ワコール、現在グローバリー)が持っていたような強さがあった。
決してトップ選手ではないが、素質はある。今はまだ十分ではないが可能性も秘める。そんな小崎の、いわば「上昇志向」は、シドニー五輪後の女子陸上界の行く先を占う重要な鍵になるはずだ。
21世紀最初の女子ビッグイベントで小崎が逃げ切った先は、兵庫の初優勝であり、「世界」への入り口であったのかもしれない。